川柳の吟社の仲間で、川柳画を趣味として楽しんでいる人がいる。
川柳は自作よりもむしろ仲間内の作品を題材に絵葉書を作成して、それを仲間内に贈るのを楽しんでおられる。
先日は私の句が葉書になって送られて来た。
「残り蝶昨日の風を追って舞う」という川柳マガジンへ投句したものだった。
自分でもちょっと気に入っていた句だったので掲載されて喜んだのだが、絵葉書にして貰ったのも嬉しかった。
定年退職をした年に「退屈をしない程度に生きてみる」という句が新聞に掲載され喜んだことがあるが、悠々とまではいかなくとも、あくせくでも、それを自適として人生を送りたいと願ったものだった。
残り蝶の句は、あれから何年か経って多少心身に負担感が漂う中、成り行きに任せざるを得ない現在の自が身を詠んだものだった。
昨夜は凄まじい春雷が轟き、私としては気合いを入れられているような気分にさせられた。
幾つかのやるべき事項が3月中旬から4月上旬にかけて集中している。
同窓会など対外的な絡みから周到に準備すべきものと、自分の裁量で何とかなるものの時期的な混在を仕分けしたい。
かくて、少しは残っている体力気力という昨日までの風に身を委ねて、この春を舞いきることが出来ればと願っている。
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川柳は自作よりもむしろ仲間内の作品を題材に絵葉書を作成して、それを仲間内に贈るのを楽しんでおられる。
先日は私の句が葉書になって送られて来た。
「残り蝶昨日の風を追って舞う」という川柳マガジンへ投句したものだった。
自分でもちょっと気に入っていた句だったので掲載されて喜んだのだが、絵葉書にして貰ったのも嬉しかった。
定年退職をした年に「退屈をしない程度に生きてみる」という句が新聞に掲載され喜んだことがあるが、悠々とまではいかなくとも、あくせくでも、それを自適として人生を送りたいと願ったものだった。
残り蝶の句は、あれから何年か経って多少心身に負担感が漂う中、成り行きに任せざるを得ない現在の自が身を詠んだものだった。
昨夜は凄まじい春雷が轟き、私としては気合いを入れられているような気分にさせられた。
幾つかのやるべき事項が3月中旬から4月上旬にかけて集中している。
同窓会など対外的な絡みから周到に準備すべきものと、自分の裁量で何とかなるものの時期的な混在を仕分けしたい。
かくて、少しは残っている体力気力という昨日までの風に身を委ねて、この春を舞いきることが出来ればと願っている。
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