カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

川尻「港跡」を訪ねて

2020-06-05 10:35:10 | 日常あれこれ
 相方の川尻「工芸会館」行きに付き合ったもう一つの理由は「港の跡」に立ち寄ることだった。

 「陶磁器展」に付き合うかわりに、港の跡まで付き合ってもらう。

 会館から比較的近かった記憶を頼りに、のんびり歩くことにした。

 
 (裏通りの道路標示)

 何年か前に訪れた時に見た一風変わった路側帯表示には見覚えがあった。

 間違いない、このコースだった。

 面白い道路標示で、裏通りの狭い道だがら車には用心して走って貰おうという気分が伝わってくる。

 
 (川尻の港跡)

 港跡の上を、今は鹿児島本線と九州新幹線の鉄橋が通っている。

 流通の主流が海運であった頃は、ここ川尻は重要な港町であり、参勤交代の薩摩街道の宿場町としても栄えていたのだ。

 また工芸会館にも象徴されるように、職人の町でもあった。

 川尻包丁は、いまも我が家の台所に君臨している。

 
 
 
 (港の跡)

 江津湖から流れ出た川は、加勢川となって緑川と合流するが、合流点の少し上流に川尻の町がある。

 潮の干満や、流量の変化によって船の着岸する高さが変化するので、階段状の船着き場にしたりと工夫がなされている。

 そう言えば、時代劇の撮影などでよく使われる琵琶湖の岸辺の、近江の「八幡堀」の船着き場も似た形をしていた。

 ただ、規模ではこの川尻の港が圧倒的に大きくて、大きく弓形に蛇行する川に接して延々と続いている。

 以前は、電車も走っていて季節の催事と共に風情のある街だった。

 ただ車社会になると、国道3号線が大混雑で交通のネックになっていた。

 バイパスが出来て、混雑は解消されたが、その代わりに賑わいは奪われてしまった。

 参勤交代の「本陣跡」などは残されているが、港として栄えていた頃の古い建物は少なくなっている。

 港跡や運河、伝統の催事や町並みの活用など、可能性を秘めた町のように見える。

 「裏通りむかし表てであった頃」・・・・しろ猫

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コメント (2)
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