カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

「言葉」と「空気」

2020-06-15 09:11:11 | 日常あれこれ
 首都圏や一部の地方では、今も新型コロナの流行が続いている。

 第2波というより、さざ波程度に衰えたものの、凪にはなり切れていなかったものが、人間の活動に合わせて波立ったという感じ。

 例年のインフルエンザだと、温暖で湿気などが著しくなる今の季節頃は影を潜める。

 それにしても、新語・流行語大賞にノミネートされるような言葉が、ここ2~3か月は溢れた。

 とある記事を読むと「その、エビデンスやファクトに乏しいドメスティックでセンチメンタルな物語を、国際社会がシェアしてくれるかどうかは、わからない」とあった。

 私は、「あんたの言っていることがわからない」と呟きながらうなだれてしまった。

 

 紫陽花と同じで、情報を一生懸命につかもうとしても、降ってくる情報の極端な雨の重みにうなだれてしまう。

 この雨あられと降ってくるカタカナ文字は、もっと平易な誰でも分かり易い日本語文字に変換できないものか。

 先日テレビを見ていたら、たまたまどこかの町での、銅像の除幕式の様子が流れていた。

 除幕式での幕を除くお歴々への、司会進行中の女性の言葉が楽しかった。

 「それでは、どうぞう~」と言ったのだ。

 普通は勧める場合は「どうぞ」と言うが、掛け声として一斉に動作をさせるときは言葉の尻を伸ばすことがある。

 たまたま、「どうぞう~」は「銅像」と同じ発声になってしまったのだ。

 

 こんなささやかな、偶然の語呂合わせでも発見すると楽しくなる。

 昭和天皇が熊本に行幸された折、阿蘇を案内した首長が「あの山が阿蘇でございます」と説明すると「あそォ」と声に出された後で、自分の語呂合わせに気が付いて、思わず笑顔になられた話は知る人ぞ知る話である。

 世の中は、何気なく使う偶然の語呂合わせでも楽しまなきゃってこと。

 俯いた紫陽花も、上を向こうというもの。

 これも先日、始皇帝の廟の近くで発見された、「兵馬俑」発見の際の逸話に興味がそそられた。

 農作業中に、埋もれていた遺跡に鍬が当たって、地域の役人に届けたら、役人は面倒くさくなって放置した。

 時は、文化大革命の最中で、密告があって更に上級の政府筋に知られるところとなったが、その指示は「速やかに、妥当な処置をとれ」だったという。

 保存なのか、処分なのかさっぱり分からない、後で責任問題に発展した場合にどうにでも言い訳の出来る指示を出したとか。

 始皇帝が、既存の価値観を徹底的に破壊し、新たな帝国を作り上げた功績を毛沢東が認めたことで、発掘保存に舵が切られたらしい。

 歴史的な大発見は、時の権力者の解釈の仕方で陽の目を見た。

 「妥当な処置をとれ」とは面白い指示だが、指示をされなくとも、流れから「忖度」する勝手な指示受けもある。

 「言葉」も「空気」も、とても重要で難しいことであり続けることだろう。

 にほんブログ村 オヤジ日記ブログ がんばるオヤジへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする