石川、能登で震度6強の地震!
自分の居住地で起これば勿論のこと、こうした報道に接する度に、私にはとっさに”世界平和の祈り”が出てしまいます。
表向きにはそれから離れていた時期も長くありましたが、なんだかんだ言って、私には五井先生の残された道が根付いているのかな、と感じています。
以前に、あの祈りは、”ダイレクトに神的なものにつながるには適していない”、みたいなことも書いたりしましたが、”それはそれ”、そういう祈りが出るのも自然なことでしょう。
ああいう事象にあって、”恐れてはいけない、不動心を持て!”、何ていうのは無理な話ですが、だからこそ、祈る必要があるのです。何よりも安らぎを得られるのですから...
五井先生には、そのように、恐れる思いから離させる、という意図がはっきりありました。
近未来に大地震が起こるとか、理想天国のような世界が開かれる前に大天変地異が起こる、何ていう予言も断固として先生は否定していました。
しかしながら、表向き五井先生の道を継承しているかのような装いを持ったカルト的な一派では強固にそうした終末予言が信じられているのです!
未来のことなんか、一分先のことだって確かなことは分かりませんよ!
だけど、これだけは言える!...阿鼻叫喚の地獄の様態が来るのを信じ込むことは、地獄的想念に囚われているのだ、と。
何と五井先生の心とかけ離れていることか!...予言と結び付いて知られている「日月神示」でも、終末予言に囚われるのは、魔に通じている、と示されているではないか!
これ、そのカルトで同じように信じられている、陰謀論に絡めた、フリーメーソンだか陰始だかの”闇の勢力”への”熱心な信仰”にも伺うことが出来ます。
もっとも私自身は、陰謀自体は否定していません。多くの人たちにも多分、この国にも、世界にも薄気味悪いものが取り巻いているであろうことは、何となく感じていることでしょう。
私はただ、マヌケな(確かな根拠など全く抜けた、それについて考えようともしない子供じみた)陰謀論を否定しているのです。
しかし、もっとも肝心なことは、未来の予言、否流言と同じく、自己の深いところでどこに意識が向けられているか、ということではないでしょうか?!
天災も、魔の暗躍もあるかもしれません。
しかし、それも自己の内奥に息づくものに照らせば、その恐れも疑心暗鬼の思いも、移ろいゆく表層部分でのこと、ということになるでしょう。
これも、五井先生は消えてゆく姿として説いていたことです。
私は手放しで、”それは消えているのです!”、ということは言えませんが、少なくとも地獄的想念からは離れることは出来ます。
あなたの本心は何を望んでいるのか、何を信じているのか?...
祈りを通して、あなた自身に尋ねてみて下さい!
自分の居住地で起これば勿論のこと、こうした報道に接する度に、私にはとっさに”世界平和の祈り”が出てしまいます。
表向きにはそれから離れていた時期も長くありましたが、なんだかんだ言って、私には五井先生の残された道が根付いているのかな、と感じています。
以前に、あの祈りは、”ダイレクトに神的なものにつながるには適していない”、みたいなことも書いたりしましたが、”それはそれ”、そういう祈りが出るのも自然なことでしょう。
ああいう事象にあって、”恐れてはいけない、不動心を持て!”、何ていうのは無理な話ですが、だからこそ、祈る必要があるのです。何よりも安らぎを得られるのですから...
五井先生には、そのように、恐れる思いから離させる、という意図がはっきりありました。
近未来に大地震が起こるとか、理想天国のような世界が開かれる前に大天変地異が起こる、何ていう予言も断固として先生は否定していました。
しかしながら、表向き五井先生の道を継承しているかのような装いを持ったカルト的な一派では強固にそうした終末予言が信じられているのです!
未来のことなんか、一分先のことだって確かなことは分かりませんよ!
だけど、これだけは言える!...阿鼻叫喚の地獄の様態が来るのを信じ込むことは、地獄的想念に囚われているのだ、と。
何と五井先生の心とかけ離れていることか!...予言と結び付いて知られている「日月神示」でも、終末予言に囚われるのは、魔に通じている、と示されているではないか!
これ、そのカルトで同じように信じられている、陰謀論に絡めた、フリーメーソンだか陰始だかの”闇の勢力”への”熱心な信仰”にも伺うことが出来ます。
もっとも私自身は、陰謀自体は否定していません。多くの人たちにも多分、この国にも、世界にも薄気味悪いものが取り巻いているであろうことは、何となく感じていることでしょう。
私はただ、マヌケな(確かな根拠など全く抜けた、それについて考えようともしない子供じみた)陰謀論を否定しているのです。
しかし、もっとも肝心なことは、未来の予言、否流言と同じく、自己の深いところでどこに意識が向けられているか、ということではないでしょうか?!
天災も、魔の暗躍もあるかもしれません。
しかし、それも自己の内奥に息づくものに照らせば、その恐れも疑心暗鬼の思いも、移ろいゆく表層部分でのこと、ということになるでしょう。
これも、五井先生は消えてゆく姿として説いていたことです。
私は手放しで、”それは消えているのです!”、ということは言えませんが、少なくとも地獄的想念からは離れることは出来ます。
あなたの本心は何を望んでいるのか、何を信じているのか?...
祈りを通して、あなた自身に尋ねてみて下さい!