人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

20世紀の賢者たち

2019-04-08 11:53:22 | 人生の裏側の図書室
ティヤール.ド.シャルダン(1881ー1950)。フランスのカソリック司祭、作家、生物学者。代表作「現象としての人間」、「神の国」(みすず書房他)
シモーヌ.ヴェイユ(1909ー43)。フランスの作家、思想家。「重力と恩寵」(春秋社他)「超自然的認識」(勁草書房他)
ニコライ.ベルジャーエフ(1874ー1948)。ロシアの哲学者。「人間の運命」(白水社)、「孤独と愛と社会」(白水社他)
マルティン.ブーバー(1878ー1965)。ユダヤ系哲学者。「我と汝」(岩波文庫他)、「ハシディズム」(みすず書房)
カール.グスタフ.ユング(1875ー1961)。スイスの心理学者。「心理学と錬金術」(人文書院)、「変容の象徴」(ちくま学芸文庫他)
ジョーセフ.キャンベル(1904ー87)。アメリカの神話学者。「千の顔を持つ英雄」、「神話の力」(ハヤカワ.ノンフィクション文庫他)
ラビンドラナート.タゴール(1861ー1941)。インドの文学者、思想家「ギターンジャリ」(岩波文庫他)、「人間の宗教」(レグルス文庫他)
鈴木大拙(1870ー1966)。日本の仏教学者。「日本的霊性」(岩波文庫他)、「禅の思想」(春秋社)

上記は、私なりに20世紀に活躍した、生没年を見てもお分かりのように、ほぼ同年代の、代表的な(私の独断もあるかも?)賢者と感じている人たちを思い付くままに掲げてみたものです。(代表作というのは、何かと接する機会が多いという意味です)
誤解しないで頂きたいのですが、"彼らこそが優れた20世紀の賢者である"、という意味ではありません。
勿論彼ら以外にも漏れている名前(我が国で知られていない人たちを含めたら、数え切れない程存在している)もあるでしょうが、彼らにはいくつかの共通項があるのです。
まずは、欧米の知識層を中心に認知されていること。
欧米偏重という観方も出てくるでしょうが、コスモポリタン的というか、世界的に知られているということは、20世紀においてはどうしても欧米に浸透していることが不可欠の要素かと思われるのです。
これと関連して彼らの中には、自他ともにキリスト者と認められている者については当然として、そうでなくとも西欧キリスト教に対して、一定の理解を持っている、ということは指摘出来ることです。だからと言って、我々読者は、彼らからキ教を中心に学ばなければならない、という話にはなりません。
キ教への肯定的、批判的言辞共々あっても、我々はキ教に限らず、自由に囚われを持たずに、諸宗教の根底に流れている、普遍的なあるものをそこに嗅ぎとることが出来るかと思われます。
そうです。彼らは皆それぞれの色合いで、その精神が普遍性に開かれていることを言明しているのです。
そして、"宗教哲学者"と言われている人も、そうでない人も宗教、哲学について多く語っています。
哲学については、彼らは狭義の意味での、論理を構築、体系化して(私のような頭ではお手上げのように)自説を展開する、"所謂"哲学者ではありませんが(ブーバーはかなりそれに近い、難渋な面がありますが)、彼らは何がしかの学者であることには変わりありません。
以前A.バンクロフトという著者の「20世紀の神秘思想家たち」(平河出版社)という本が出たことがあり、彼らもその括りで語られることも可能かも知れませんが、そこで取り上げられた、ラマナ.マハルシやグルジェフ、バパ.スブーといったグルー.タイプの人は、先の理由でここには入らないのです。クリシュナムルティ、シュタイナー、といった人らはどうなんだ...ライン上といったところか?
トーマス.マートン(メルトン)などは、東洋と西洋の橋を架けたという意味で正しく、この枠向きで、入ってもおかしくないですが、世代がもう一寸後だし、ずっとカソリックの修道士だったところがどうも...惜しいね、マートン"教授"i

欧米で彼らに対して、ある呼称で呼ばれているのか、どうかは分かりませんが、こう名を列記してみて、我が国のある筋の人にもピンと来る人も居るかも知れません。
要するに、私が個人的にベルジャーエフを知って以来、ずっと読書を中心に親しんできた脈筋の人たちのことを、多少のノスタルジーを込めて記したまでのことです。



コメント
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