人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

生ける現存

2019-04-25 12:02:44 | 現臨、ハタラキ
過去を振り返るな...
未来を案ずるな...
過去も未来もない、今しかないのです。現在に生きよi

って...その現在が退屈で退屈で、ヒマを持て余すばかりだったらどうするのでしょう。
何か、恐ろしい、忌まわしい現実に直面してて、そこから離れなきゃどうにかなりそうだったらどうするのでしょう。
過去、未来のことに意識が向けられていて、何だか気持ちがワクワク、生き生きとしてくるかもしれません。
いくら現在に思いを向けようとしても、その思いが生き生きとしていなければ、思いが死んだようになっていてはどうしようもないのではありませんか?
だから、思いを生き生きとしたものにしなければならないのですi
って...そうしなければならない思いに囚われたりして...(笑)

ここ最近、もう朝目覚めたら耳鳴りがきーん、きーんって状態で、ちょっと意識すると神鳴り?がじーん、じーんという感じになる状態が続いています。
過去、未来のことを思おうと、現在に集中するとか、何とかなど関係ありません。
ただ、その過ぎ去ったことも、来ない先のことも生き生きと、リアルなものに感じられます。
これは自分を、思いをどうとかするとかいうことじゃないのです。
自分の思いを現在に向けようとしたり、自分の思いで、自分の思いを生き生きとさせることじゃありません。
現実、現存在らしめるものが臨んでくる...意識が現臨にある、ということなのです。
過去、未来を生きたものにさせるのは、このものによる...このものが生ける現存なのです。
過去も未来もない、現在しかないという...しかし、過去、未来から切り離された現在など、そもそも"現在してない"のではないでしょうか?
生ける現存は、現臨と共にある。
この意味では過去も未来もなく、現在しかないと言えるかもしれません。
しかし、それは不自然に過去、未来から分断されたものであろうはずはないのです。
過去、現在、未来を貫いて生き通しているものです。
意識がこの現臨にない時、逆説的な言い方ですが、思念が生き生きとし始めます。しかし、そこに生きた現存はありません。
そして、過去や未来に囚われ、囚われてないフリして現在に囚われ始めます。
思念が現臨に取って代わり始めます。
現臨にあることとは、ひっきょう思念の囚われから離れるということに他なりません。
だから、そーゆー囚われから離れないといけませんi...じゃあなくて...
不自然なことや出来もしない、ややこしいことは置いといて ...一寸意識を外に向けてみたら...
小鳥がぴよ、ぴよ鳴いている...耳鳴り、神鳴りに呼応するように...

コメント
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