私はよく"最善のもの、最愛のもの"、といった表現を使いますが、私の場合、これには逆説がありまして、それは、"これが最善、最愛のものだi"、と"思っているもの"じゃない、ということです。
だから、何か問題があったとして、それに対処すべく、"これが最善の道i"と考え出されたものは、必ずしもそうじゃない、ということです。(それは、そういう時処限定の最善の解決策といった意味合いのものでしょう?)
要するに、私にとって最も...であるものとは、思いを超えたもののことを言っているのですi (あなたにとってどういうものなのかは知りません)
それは、現実には存在しないものなのか?、何たる逆説i?
取っつき安いという意味で、ここでは、最愛のものについて触れてみます。
それは考えていても分かりません。それが何か、ということは、それに出くわした時に分かります。
思いを超えて、そのものに全身全霊が惹き付けられてしまう...理屈じゃ無いってことです。
選択の余地が無くなるとは、そういうことを言っているのです。選択した上で決められることは私には次善以下のものにすぎません。
いつ出くわすかは分かりません。それは考えても分からないものだけど、意識はされているものだと思いますよ。
というよりも、意識の根底にずっと息付いているものなのではないでしょうか?
そうでないと、多分その出会いの瞬間は分からないでしょう。(この意識次元のことも、私は出くわしたことで分からされたのですが...)
こういう風に書くと、"ははーん、あなたは神のことを言っているのだな?"、と取る向きもおられるかもしれませんが、神的なものであるとはいえ、そうとは限りません。"宿命の人"かもしれません。どっちみち、出会った瞬間、考えていたことが吹っ飛ぶから神的なのですi
そういうことは皆ここにある...意識に根付いているi...ある、ある...あるともi、最愛のもの...考えなくとも、感じられる...
私の内に常にあるんですが...それが顕わになる、出てくる、出くわすということが、この現れた世界~現実世界の宿命なのではないでしょうか?
意識に根付いている最愛のものは、出てくる、現れることになっているのですi...だから、こうして書き表せる訳で...
しかし多くの人は、その通路を閉ざしたままにしているようです。表層の思いでフタをしている...
人間は考えているか、行動しているかだけじゃないのです。もっと根本的には意識が生きているのです。
そこに常に火種がある...いつ点火され、燃え出るとも分からない...
だから、祈らされている、祈らざるを得ない...これは、私が考えてることじゃない、だから選択の余地の無いことなのですi
だから、何か問題があったとして、それに対処すべく、"これが最善の道i"と考え出されたものは、必ずしもそうじゃない、ということです。(それは、そういう時処限定の最善の解決策といった意味合いのものでしょう?)
要するに、私にとって最も...であるものとは、思いを超えたもののことを言っているのですi (あなたにとってどういうものなのかは知りません)
それは、現実には存在しないものなのか?、何たる逆説i?
取っつき安いという意味で、ここでは、最愛のものについて触れてみます。
それは考えていても分かりません。それが何か、ということは、それに出くわした時に分かります。
思いを超えて、そのものに全身全霊が惹き付けられてしまう...理屈じゃ無いってことです。
選択の余地が無くなるとは、そういうことを言っているのです。選択した上で決められることは私には次善以下のものにすぎません。
いつ出くわすかは分かりません。それは考えても分からないものだけど、意識はされているものだと思いますよ。
というよりも、意識の根底にずっと息付いているものなのではないでしょうか?
そうでないと、多分その出会いの瞬間は分からないでしょう。(この意識次元のことも、私は出くわしたことで分からされたのですが...)
こういう風に書くと、"ははーん、あなたは神のことを言っているのだな?"、と取る向きもおられるかもしれませんが、神的なものであるとはいえ、そうとは限りません。"宿命の人"かもしれません。どっちみち、出会った瞬間、考えていたことが吹っ飛ぶから神的なのですi
そういうことは皆ここにある...意識に根付いているi...ある、ある...あるともi、最愛のもの...考えなくとも、感じられる...
私の内に常にあるんですが...それが顕わになる、出てくる、出くわすということが、この現れた世界~現実世界の宿命なのではないでしょうか?
意識に根付いている最愛のものは、出てくる、現れることになっているのですi...だから、こうして書き表せる訳で...
しかし多くの人は、その通路を閉ざしたままにしているようです。表層の思いでフタをしている...
人間は考えているか、行動しているかだけじゃないのです。もっと根本的には意識が生きているのです。
そこに常に火種がある...いつ点火され、燃え出るとも分からない...
だから、祈らされている、祈らざるを得ない...これは、私が考えてることじゃない、だから選択の余地の無いことなのですi