ある時、道院の集会である会員がこのようなことを言っていました。
「我々の道は、キリスト教や仏教など諸宗教のさらに上のその大本の神を奉じているのだ、云々...」と。
こんな言葉はキリスト教会でも聞かれますよ!...その道というものは、諸宗教とどこが違うのでしょうか?
要するに自団体の優位性を主張したいんでしょう。こういう傾向は、既成宗教だろうと、”そんじゃそこらの宗教とは違う道”だろうと、人間の集まるところでは多かれ少なかれあるものでして、他の”超宗教”においても同様のことを聞いたことがありますが、反感こそすれ共感したことなど一度もありません。
こういう主張がなされること自体、数多の宗教が辿る運命のように、その元なる大道に開かれた在り方からズレてしまっていることに気が付かねばなりません。
ハッハッ!...そこにどうして五教を統べて、一なる道に融和させる道が開かれるであろうか?
何故、こういうズレが生じてしまうのでしょうか?
抽象的な教理、字理にトラワレてしまうからでしょう。何故トラワレてしまうのか?
内に道統に連なる火、道を照らす火が点されていないからでしょう!
事の優劣でなく、道と宗教を分かつものは、那辺にあると言えます。
それは、具体的に、物理的とは言えないながらも、ある暖かみとして感じられるものなのです。愛、安らぎと言い換えてもいいでしょう。
そしてそれは、自己自身と離れてあるものでは無い!、方時も無いのです!
教理、字理に関するものは、それについて思念する自己と二元的に分離していて、それに一致するには追従してゆくしかありません。
しかし、それはどこまでも二元的な思いの世界を超えることは出来ないのです。
又、道統の火は、別の団体においても、あらゆる固定観念を乗り越えて、虚心坦懐に臨めば、多少感じ方は異なることはあっても感じられるはずです。
大道に二つは無いのだから...それは普遍世界につながっているものなのだから!
世に数多の教えがある訳では無いのです。一なる道があるだけではないでしょうか!
これ、”我が宗のみ尊し”、という如何にも普遍世界から浮いた在り方とは、天と地ほどの開きがあると言わねばなりません!
というようなことは、今だからエラそうに言えるのでして...実はあの道を照らす火、光のことは、ずっと自覚的に感覚されていた訳では無かったのです。
ただ、どういうものが私の内に息づいているかは感じていたのです。
それは、見えない導きとして認識されていたものに他なりません!
「我々の道は、キリスト教や仏教など諸宗教のさらに上のその大本の神を奉じているのだ、云々...」と。
こんな言葉はキリスト教会でも聞かれますよ!...その道というものは、諸宗教とどこが違うのでしょうか?
要するに自団体の優位性を主張したいんでしょう。こういう傾向は、既成宗教だろうと、”そんじゃそこらの宗教とは違う道”だろうと、人間の集まるところでは多かれ少なかれあるものでして、他の”超宗教”においても同様のことを聞いたことがありますが、反感こそすれ共感したことなど一度もありません。
こういう主張がなされること自体、数多の宗教が辿る運命のように、その元なる大道に開かれた在り方からズレてしまっていることに気が付かねばなりません。
ハッハッ!...そこにどうして五教を統べて、一なる道に融和させる道が開かれるであろうか?
何故、こういうズレが生じてしまうのでしょうか?
抽象的な教理、字理にトラワレてしまうからでしょう。何故トラワレてしまうのか?
内に道統に連なる火、道を照らす火が点されていないからでしょう!
事の優劣でなく、道と宗教を分かつものは、那辺にあると言えます。
それは、具体的に、物理的とは言えないながらも、ある暖かみとして感じられるものなのです。愛、安らぎと言い換えてもいいでしょう。
そしてそれは、自己自身と離れてあるものでは無い!、方時も無いのです!
教理、字理に関するものは、それについて思念する自己と二元的に分離していて、それに一致するには追従してゆくしかありません。
しかし、それはどこまでも二元的な思いの世界を超えることは出来ないのです。
又、道統の火は、別の団体においても、あらゆる固定観念を乗り越えて、虚心坦懐に臨めば、多少感じ方は異なることはあっても感じられるはずです。
大道に二つは無いのだから...それは普遍世界につながっているものなのだから!
世に数多の教えがある訳では無いのです。一なる道があるだけではないでしょうか!
これ、”我が宗のみ尊し”、という如何にも普遍世界から浮いた在り方とは、天と地ほどの開きがあると言わねばなりません!
というようなことは、今だからエラそうに言えるのでして...実はあの道を照らす火、光のことは、ずっと自覚的に感覚されていた訳では無かったのです。
ただ、どういうものが私の内に息づいているかは感じていたのです。
それは、見えない導きとして認識されていたものに他なりません!