”何かが在る、実在している”、とはどういうことなのでしょうか?
”そんなものは決まってる!、モノとしてそこに在るということだろ!“、と思われますか?
それでは、あなたは肉体として実在しているということでしょう?
んじゃ、そう思っている、感じている、意識しているあなたは?
いや、あなたはスピリチュアルな道を歩んでいて、“人間存在は、肉体だけでなくて、霊体、幽体、アストラルなんとか体などで成っている”、とか主張するかもしれません。
それらは目に見えないようですが、“体“ってものは在るようですね。
私は見たことないので、それがどういう様態なのかは分かりませんが...どうも肉体として存在するような有り様で存在していることが想起されます。というか、その説明というのは大体がそういう方に落とし込もうとしているようです。
どっちみち、それらが見えない大多数の人には、そういう体を想像してみるしかありません。(他人から落とし込まれちゃうんだ!)
そして、体といったものを想起すると、そうしてる私とは切り離されていることに気が付きます。
体はあっても無くても私は在る!...死んだらどうなる?、肉体は消えて見えない体は残る?、んなもん、死んでみなきゃ分からない!
私はモノとして無くとも在る、というのをここでは実存、実存感覚と呼んでいます。
実はこういうものは、モノにトラワレていると中々気付かないですが、日常当たり前のように感じているものが多いのです。
例えば愛、平安...これだ!...これ感じられませんか?、これの感じられない人生って想像出来ますか?!...“そんなん、思ってもみなんだ!”、って人は多分、モノとして在ることにトラワレているんでしょう?
だから、愛、平安というものは、その対象となるもの“モノ”が無くなると、失われてしまうと思い込んだりするのでしょう。
も一つ、客観的実在論と容易に結びつく”リアリティ、現実在?“、というものもそうなのです。
それが客観的に実証されたとしても、あなたはそのことにリアリティを感じるとは限らない!、それは、全くもってあなたに自明な何かによってもたらされるものでしょう。
これは、そう感じているあなたと切り離されないものであるはすです。
そして又、私がしばしば言及している、”神、神的なもの”というものもそうなのです。
それは、どうしたって愛、平安、リアリティと共にあるものなのだから!...そして勿論、そう感じている私やあなた自身とも!
然るに、何とそれが実在するか否かを巡って論義が絶えないことか!
かくも、思いを超えたものがトラワレた思いの中で語られているとは!
神は思われたままの我々の前には、一度たりとも実在したことは無いのではありませんか?!
この世にゃ神も仏も無いのか?...そう、きっと無い!
だけど、この世の実在はともかく、あなたに愛、平安、リアリティが感じられるなら、きっと実在している?!...
”そんなものは決まってる!、モノとしてそこに在るということだろ!“、と思われますか?
それでは、あなたは肉体として実在しているということでしょう?
んじゃ、そう思っている、感じている、意識しているあなたは?
いや、あなたはスピリチュアルな道を歩んでいて、“人間存在は、肉体だけでなくて、霊体、幽体、アストラルなんとか体などで成っている”、とか主張するかもしれません。
それらは目に見えないようですが、“体“ってものは在るようですね。
私は見たことないので、それがどういう様態なのかは分かりませんが...どうも肉体として存在するような有り様で存在していることが想起されます。というか、その説明というのは大体がそういう方に落とし込もうとしているようです。
どっちみち、それらが見えない大多数の人には、そういう体を想像してみるしかありません。(他人から落とし込まれちゃうんだ!)
そして、体といったものを想起すると、そうしてる私とは切り離されていることに気が付きます。
体はあっても無くても私は在る!...死んだらどうなる?、肉体は消えて見えない体は残る?、んなもん、死んでみなきゃ分からない!
私はモノとして無くとも在る、というのをここでは実存、実存感覚と呼んでいます。
実はこういうものは、モノにトラワレていると中々気付かないですが、日常当たり前のように感じているものが多いのです。
例えば愛、平安...これだ!...これ感じられませんか?、これの感じられない人生って想像出来ますか?!...“そんなん、思ってもみなんだ!”、って人は多分、モノとして在ることにトラワレているんでしょう?
だから、愛、平安というものは、その対象となるもの“モノ”が無くなると、失われてしまうと思い込んだりするのでしょう。
も一つ、客観的実在論と容易に結びつく”リアリティ、現実在?“、というものもそうなのです。
それが客観的に実証されたとしても、あなたはそのことにリアリティを感じるとは限らない!、それは、全くもってあなたに自明な何かによってもたらされるものでしょう。
これは、そう感じているあなたと切り離されないものであるはすです。
そして又、私がしばしば言及している、”神、神的なもの”というものもそうなのです。
それは、どうしたって愛、平安、リアリティと共にあるものなのだから!...そして勿論、そう感じている私やあなた自身とも!
然るに、何とそれが実在するか否かを巡って論義が絶えないことか!
かくも、思いを超えたものがトラワレた思いの中で語られているとは!
神は思われたままの我々の前には、一度たりとも実在したことは無いのではありませんか?!
この世にゃ神も仏も無いのか?...そう、きっと無い!
だけど、この世の実在はともかく、あなたに愛、平安、リアリティが感じられるなら、きっと実在している?!...