ある霊能者が「守護霊というのは、迷った霊なので、頼ったり、信仰してはなりません。頼り、信仰するのは、天照大神のみです」というようなことを言っていました。
そうかもしれませんが、これは如何にも守護霊や天照大神のような主神と言われる存在が実体として捉えられている人の言い分ということになるでしょう。
それに当然のことながら、霊能を持たない普通の凡人には、その信仰している霊なり神の存在がどういうものかは分からないのです。
いづれにしても、それはそうした存在を対象にして信仰しているということになります。
だけど、それが宇宙の主宰神だろうと、一介(?)の守護霊だろうと、宗教的な道を歩んでいる我々は、自分を超えたものの導き、ガイダンスを仰ぐことには変わりは無いでしょう。
考え、為そうとする自分の力のみに頼るのでなければ、それが個体を持たない、ハタラキ、法力といったものでも、何らかの導きを頂かなければならないのです。
というより、私なんかは、ごく自然にその自分を超えたものに意識が向けられてしまうのですよ。そっからしか開かれようが無いのです。
それは、守護霊なのか、宇宙の主神なのか?...そんなこた、知らないって~の!
知る必要が無いだろう!...自分の思いを超えてるんだから分からないのが当たり前なのです。分かったというのは、実に不遜なことですよ!
ここで大事なことは、分からないものは余計な詮索などしなくていいということです。
例えば、守護霊というのは、先祖の悟った霊(迷ってない?)という説明があるのは私も知識としては知っています。だけどそういう実体があるかどうかは分からないし、先入観、固定観念が生じる元になるから、参考程度に置いといて、囚われないことが必要でしょう。
天照大神とか最高神(自分を高くしたい人間ほど、そうであることを信じたがるんだ!)というのを持ち出すのも同様ですよ!
それよりも肝心なことは、その霊的、神的存在を信じる、というか意識を向けることが、自己自身、自己の実存、本心を開くことにつながるかどうか、ということなのです。
自己実存と関わらない、つながらない宇宙の最高神を信じ、仰いでいたってそれが一体何になるのか?、アクセサリーにもなりゃしないですよ!
だから、自分にとって真の神、正神、最高神とは、実体が何かは分からなくても、意識を向け、深まれば深まるほど、真の自分に目覚める道が開かれ、一つになるような存在でしょう。
だからだから、私の神、あなたの神の他に真の神は無いのです!
愛、平安そしてリアリティが感じられるから、分別知で分かろうとする必要がありません。分かったって、リアリティが感じられなかったらしょうがない!
もう、このように今は、神を自分の向こうに対象にして拝む時代では無いのです!...真の神は、真の自己と切り離されないものである!...そういう時代相を我々は生きているのでしょう!
私がいつも書いていることは、そのことを日に日に身に覚え、そう促されるものを感じているからに他ならないのです。
そうかもしれませんが、これは如何にも守護霊や天照大神のような主神と言われる存在が実体として捉えられている人の言い分ということになるでしょう。
それに当然のことながら、霊能を持たない普通の凡人には、その信仰している霊なり神の存在がどういうものかは分からないのです。
いづれにしても、それはそうした存在を対象にして信仰しているということになります。
だけど、それが宇宙の主宰神だろうと、一介(?)の守護霊だろうと、宗教的な道を歩んでいる我々は、自分を超えたものの導き、ガイダンスを仰ぐことには変わりは無いでしょう。
考え、為そうとする自分の力のみに頼るのでなければ、それが個体を持たない、ハタラキ、法力といったものでも、何らかの導きを頂かなければならないのです。
というより、私なんかは、ごく自然にその自分を超えたものに意識が向けられてしまうのですよ。そっからしか開かれようが無いのです。
それは、守護霊なのか、宇宙の主神なのか?...そんなこた、知らないって~の!
知る必要が無いだろう!...自分の思いを超えてるんだから分からないのが当たり前なのです。分かったというのは、実に不遜なことですよ!
ここで大事なことは、分からないものは余計な詮索などしなくていいということです。
例えば、守護霊というのは、先祖の悟った霊(迷ってない?)という説明があるのは私も知識としては知っています。だけどそういう実体があるかどうかは分からないし、先入観、固定観念が生じる元になるから、参考程度に置いといて、囚われないことが必要でしょう。
天照大神とか最高神(自分を高くしたい人間ほど、そうであることを信じたがるんだ!)というのを持ち出すのも同様ですよ!
それよりも肝心なことは、その霊的、神的存在を信じる、というか意識を向けることが、自己自身、自己の実存、本心を開くことにつながるかどうか、ということなのです。
自己実存と関わらない、つながらない宇宙の最高神を信じ、仰いでいたってそれが一体何になるのか?、アクセサリーにもなりゃしないですよ!
だから、自分にとって真の神、正神、最高神とは、実体が何かは分からなくても、意識を向け、深まれば深まるほど、真の自分に目覚める道が開かれ、一つになるような存在でしょう。
だからだから、私の神、あなたの神の他に真の神は無いのです!
愛、平安そしてリアリティが感じられるから、分別知で分かろうとする必要がありません。分かったって、リアリティが感じられなかったらしょうがない!
もう、このように今は、神を自分の向こうに対象にして拝む時代では無いのです!...真の神は、真の自己と切り離されないものである!...そういう時代相を我々は生きているのでしょう!
私がいつも書いていることは、そのことを日に日に身に覚え、そう促されるものを感じているからに他ならないのです。