人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

反省と叡知の光

2022-01-20 10:00:16 | 哲学・思想
最近、このブログをずっと最初の方から遡って読んで下さっている、とても奇特な方がおられます。
有難いと同時にこっぱずかしいことこの上ないです。
まだブログのやり方も不馴れのまま始めたので、あちこち見苦しい点があるでしょうが、そのままにしてます(めんどくさいから...スミマセンi)。
記事の内容の方も随分と、メッセンジャー気取りというか、"私が真理を教えて進ぜやう"、みたいな上から目線の心的傾向も見えますねえ...
それと"人生の裏側の世界ってもんはこうなっているんだi"、とやたらと、予断、固定観念から言い表しているところもあります。そのホントの真相はどうなっているか分からないのに...こういうことは、それもそのままにしてるから分かることなのです。
今、とても反省してます...最初の頃よりは、ちっとは反省するようになったのは確かだと思いますよ(?)
金子大栄師の本でもやたらと反省という言葉が出てきますが、これは通常思われているような意味合いのものではないでしょう。
内省、省察とか言った方がいいのか...いずれにせよ、省みて色々思考を巡らすようなことを連想しますが、これはむしろ思考を超えた智慧、叡知の光に与るというようなことが根底にあり、そのことが含まれ、その上にたっての思索というものに他ならないでしょう。
そうでなければ、師が語られる自己に超越し、内在しているような消息のことは出てこないはずです。
こういうことは、どうも適切な言葉が見当たらず、一般にはよく考えることだと思われているのです。それだけ思いを超えるということの消息が知られていない、ということを物語っているのでしょう。
だけど、誰もが知っているはずです。考えているようで考えてない、考えの外から知りたいことが降りて来たとか...これは、そう在らしめるもの~現臨とつながっているのです。
これは、固定観念の打破につながることであり、予めそうであると決められたような教説に囚われたような、大勢や権威に容易く迎合する精神からは求むべくもありません。だから中途半端なところで思考停止していたらダメなのです。自分の頭で考えろi、もっと反省しろi
反省したら、思考停止して、天来の光が...ああ、もうややこしi...
何故、こういうことを言うのかというと...叡知の光に与るということは、愛、平安に与ることに他ならないからですi
中途半端に留まっていたら、中途半端なものしか与えられないだけの話です。
私は長年、真理の追求とか、理を明らかにすることばかりに囚われていました。そう駆り立てるものの根底にはそういうものが隠れていたのです。愛、平安と切り離された真理というものは無いのです...。
ああ、もうエラそうに、口はばったいこと言うの反省しなきゃ...
こういうことは、一人一人の実存的問題なのですからね。
ホントに言いたいことは...あなた自身の実存的神、佛に聞くべしi
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