人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

感性はウソをつかないi

2021-04-01 11:53:52 | 雑感
"聖書にはこう書いてあるので、それに従うのが正統のキリスト教だ"
"ブッダの本当の教えは、これこれこういうもので、後世のものは歪められているのだ"
"OO先生の教えを誤りなく従い、伝えなくてはならない"
その他、瞑想の正しいやり方、あれは中途の段階、本当の悟りの段階とはこれこれ...

もう、ゲップi...
何が正しい真理なのか分からないけど、自分が好きで好きでしょうがなく、惹かれてやまないことをしているんだから、イチイチ構わないで欲しい...
惹き付けられてやまない...愛し愛されている...ここから外れて真理の探究もヘッタクレもないじゃありませんか?
愛と切り離された真理などただの屁理屈でしょう...
どんな高遠な教えだろうと、何か取っ付きにくく、おっくうで、それに取り組むことで、惹かれるもの、喜びというものを感じないとしたらその道は、今の自分には間違ったものであるのは分かりきったことじゃないですか?
逆に、"今の私にはまだ一寸..."、と感じているものがあるとしても、どうも気になってしょうがないものがある...避けようとしても、どうしても意識してしまう...そう、気になるコが居るのと一緒です。ホントは飛び込んで行きたいクセに...
自分の思惑だのメンツだので、一生後悔することになるかもしれませんよi
最愛のものを取り逃がすなんて...
そこに愛が感じられなければ、自然に、そこに足が赴くということがない...何か遮られるものがある、何かが引っ掛かる...迷う...安らぎが得られない...
誰しもが、究極の悟り、人類の救済とか、ご大層なことはホントはどうでもよく、愛、平安を求めているのではないですか?
それの無いところに悟りも救済も無いであろうに...
自称正統のキリスト教徒も、仏教徒も、真正の覚者も自説に固執し説法して人をどうとかするよりも、自分が如何にその道に関わることで愛、平安に与っているかを証していればいいのではないでしょうか?
それとも彼らは、この無くてはならないものをどっかに置き忘れてしまったのでしょうか?
要するに...あなたが幸福であれば私も幸福なのです。
今日は4月1日...私は決してウソは申しませんi
イヤ、ホントは自分がよく知っているはず...
自分の感性はウソをつかないということが...
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3 コメント

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Unknown (ZIP)
2021-04-01 18:14:26
悟り・・・

2千年以上前に生活していた人達の感性(人生観・生命観・世界観)が、現在生きている人達と比べてどれほどの違いがあるのか想像してみれば分かりそうなことだと思います。
当時はまだ大地の上に生きていたと思われますが、現在は大地の上に生きてはいないわけですから、仏陀が一体何を悟ったのか分かるはずもないでしょう。
当時の人達の感性が、今と全く同じだという明らかに間違った思い込みにさえ気付かずに勝手なことを言う馬鹿な人達はさておき、もし現代において仏陀が生活していたとすれば、果たして悟ったかどうかは疑問です。

いずれにしても縁起という仏陀の教えは間違いなく桁違い、且つ破格級であると思います。
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Unknown (シタテルヒコ)
2021-04-01 20:23:39
ZIPさん、確かに現代日本人の感性だけで、残されている文献資料だけで、数千年前の聖者の言行について知り得るというのは土台無理というものでしょうね。
仏陀については、カースト制というものが、我々には一寸理解出来ないことで、それが体感出来なければ、おそらく本当には、その悟りというものの内実は伝わらないと思います。
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Unknown (ZIP)
2021-04-01 21:09:03
そもそも現代においてさえ感性が個々人にとって全く同じであるはずがないわけです。
もしそのような感性を認めるのであれば、悟りは絶対に分からないという結論にしかならないはずです。

一応、悟りがそのような類いのものであったとすればの話ですが。
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