人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神はすべてで一つのもの

2021-11-12 10:01:42 | 
人間は一個でなっているのではない。その真態は、他己、各々の個が相依り相成す関係体とも言うべきものなのか?
この大調和協会の命御様において覚証せられたことは、私においても垣間見させられたことなのでした。
これは仏陀の縁起観とも通うものとも思われますが、私はそれ以外にも、ベルジャーエフの"ソボールノスチ"と名付ける、個にして普遍なる霊的共同体について言及されているもの、小池辰雄先生のキリストの体なる教会ーエクレシアの原義、出口王仁三郎師が観られたという"天界は個々よりなる一つの有機的個体である"、との教えなどにも触れているのです。
言うまでもなく、私はこれらに深い共感を覚えているのですが、この中で、"大調和世界観"と呼ばれる命御様に表されたものは、より現実世界へ応現されたものを言い表している、ということは言えるでしょう。
ということは私の場合も含めて、これらは内的な直感として受け取られても致し方ないようでもありますが、私はそれを単なる思われた世界の一思想的なもの、一主観的なものとして片付けられてしまうことには、どうしても同意出来ないものを感じています。
何故かと言うに、それは正に、思いを超えたところからもたらされたものに他ならないからです。それにただの思想的なものと言うには、あまりにもリアル、私に間近すぎるではないかi、そんなもの今生では受けたことがありませんi
要するに...この私が垣間見た"普遍調和世界は私自身だi"、と言ってもいいくらいのものなのですi ...この"エターナル.フレイム"は、今も尚消えることは無いi..."私は神を見たのだi"
おお...先の我が教師たちに加えて、この人の名を忘れてはならないi...明治時代にその"見神体験"で時の人になった、"綱島梁川"!
神!...それは、この有機的共同体的なもの、関係体的なもののことなのでしょうか?...分かりませんi
ただ、そういう形容が思わず出てしまうということは分かりますi、分かるともi
"神の実体とは、そういう関係体のことなんですよi"、なーんて概念的な説明を、例え実証を交えていくら並べたって、永久に分かりゃしないですよi...神的なものを目の当たりにするってそういうことですよi
それでも、一つこういうことは言えるでしょう。一つi...そこにはどうしても引き離すことの出来ない、"一なるもの"があるi
どんなに個々の多様なる有機的関係があろうとも、一なるものが貫かれてあるi...普遍なるものに二つは無いi...これは唯一神論とか多神論とかの論議の沙汰じゃありませんi
"神との関わりは、どこまでも主一でなければならない"、とは王仁師の言葉でもあるし、聖書の宗教では厳しく説かれる通りです。
これは掟の類じゃありません。そうならざるを得ない、"小池節"にならざるを得ないのですi
それはあまりに私自身のことだから...私とは独一無二の個である。それも一なるもの...これは神的一なるものと切り離されていないのです。
この意味で神と私は一つなのでしょう。(そういう信仰題目はともかく)
神とは?...それはすべてで一つのものだ、としか言い表すことが出来ません...。
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