人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

幻の殺人事件

2015-02-14 21:01:29 | 身辺雑記
私はつ、ついに衝撃の告白をしなければならなくなったようです!…
実は…私は人を殺しました!
去年の夏、ある未明のことです…
夢の中で…

10数年前にも似たような夢を見た事が有りました。
この時は暴漢のような男に襲われたので、トラックの助手席に逃げ込んだのですが、男は尚も前に立ち塞がって来たので、運転手に「構わないから出してよ!…いってまええ!」とやってしまったのです。
男の生死のほどは不明でした。
しかし、今度はヤバかった…
会ったこともないどっかのオヤジがなんかの理由で、イチャモンをつけてきて、それがこじれてもみ合いになり、弾みだったか故意だったか、柱に思いっきりオヤジの頭をぶつけてしまったのです!
エッ…動かなくなってしまった! こ、これは…ヤバイ!
そこで、とっさに考えたことは…
「見つかってしまうゾ!…どっかに隠さないと…」
又、すぐさまこんなことも…「これは…そうだ、そうなんだ!ものの弾みってヤツなんだ!」実際のところ、殺意は?確かに…有った!…
要するに保身に懸命だったのです…。
こういう事はごリッパな人間には間違っても書けないでしょうね?
私はへーちゃらです。タダの人間ですから。当たり前のことながら…
でも、しばらくして冷静さを取り戻した時、もう茫然自失です…。
「私は何てことしてしまったんだろう…取り返しの着かないことを…」
その時の気持ちには、良心の呵責というものも有りましたが、なんて言うか…それまで感じたことの無いものがもたげてきました。
私の心に、このオヤジの人生を全うすることなく、命を絶たれてしまったという、無念さというものが伝わってきたのです。
そして命を奪ってしまった事の申し訳なさ…それは自分の存在を切り刻むという事に等しいものです。
言い訳がましいですが(あのお…これはあくまで夢の話なんですからね!)殺人というものは、「やってはいけないこと、罪なこと、罰せられるべきこと」というより、命そのものを損なうという事は本来性からやれないこと、他の命だけでなく、自他の命に係わることなのだ、という事を実感させられたのです。
そして、全身にジワーッとくる言葉を超えたもの(それはあのバイブレーションというには、さすがに重たいものが有りましたが)に包まれました。
これは通常良心(これには多分に社会的倫理観といったものが投影されていると思います)というものよりも、もっと根底的な、本来的なものの様に感じられました。
小池先生はモーセの十戒にある「汝殺すなかれ」に「汝、神の子なれば、殺すことなどすまい」と福音的解釈をしていました。
人を殺めることは罪というより、出来ないことなのです!
そうした感情は、人の本来性から与えられているものなのです!
今日いやと言うほど、毎日のように繰り返される忌まわしい殺人報道。それに手を染めてしまうという事は「自分が何をしているのか分からない状態」としか考えられません。
そのような宿業は誰もが皆潜在的には持っていると言わざるを得ません。
又人が定めた法や倫理に依らなくとも、誰にも自ずからそのような宿行に走らない生命法ともいうべきものが与えられています。
これらはどちらも他人事でなく、自分のこととして見つめる必要が有ります。
私は本当に貴重な経験をさせてもらったと思っています…。

人を殺めてしまうということは、何と忌まわしいことなんでしょう…
一生私は十字架を背負って生きなければならない…
でも、すぐ救われました。
夢だと気づいたから…。








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