最近、職場で久しぶりに宗教の勧誘を受けました。
私はこのブログでもかなり宗教(教団)にまつわるものには批判的なことを書いてますが、頭からはねつけることなどしません。とりあえず、聞いてみる事にしています。相手はどことなくとっつきやすい感じの人だったし…
して…O波のH教団ですか? ウーン…名前は聞いた事が有るけど…M教団と似たようなものか?エッ、違う?でも話を詳しく聞いてみると、これは典型的な新興宗教だわい…
「あなたは信者になって長いの?」と訊いたら、実にややこしい話になってました。
お金が無くて会費を納めてないんだとか…”ヒ、ヒサンやな~”
となると…この人は信者なの?某教団だったら会費を納めないと、(掟に背いても)霊線?が切れて光が受けられなくなるそうですが…!
人を導いたら会費は免除されるとか?
で、そもそもこの人の入信の動機が生活苦などで、”藁にも縋る思い”からだったらしいです。これもよく聞く話ですね。
何時もの私の口調とはまるっきり違うかも知れませんが、”宗教、神に関わることは自立心を欠いた依存な精神の表れだし、妄信は学の無いこと…”と言い切るのは簡単ですが、そのような切実な局面に立たされていたなら、その打開の突破口になるものだったら何だっていいだろう…と思います。どんな神サマでもとりあえずの避け所になり得るものです。
大体私自身だって昔は依存もしてたし、学の無いこともしてた訳ですし…経験してたからこそ、ついエラそうな言葉も出ちゃったりする訳で…
でも…その教団のことはよく分かりませんが、洗脳組織だったら辞めた方が身のタメです。
典型的なそれなので、”他の教えを聞いちゃあダメ!”ということなので我が一人教祖、一人信者の”唯我独尊教”の話など聞いちゃあくれそうにありません。「僕にもね、時々神が舞い降りるんだよ!」なんて半分冗談で言ってみたのですが、その時だけは真剣な顔して「それは一体、どこのドエライ悪魔なんだ!」といった表情でした。(笑)
この人は見た感じ、そんなに洗脳されている様には見受けられませんでした。ガチガチのあの特有の目つき、固着した口調は感じませんので…言い換えるとイイカゲンに見える…何か達観しているような…
何でも”数十年前に自分の人生を諦めた、世捨て人になった”んだとか…そんなに人生にくたびれたようには見えないが…どっか悟ってしまった人の様にも見えます。
ただ、”どうせ自分の人生はこんなもの”という惰性的諦めの思いに支配されている様でした…。
そんな中、私はどうしても彼にこんな事聞いてみたくなりました。「全てを失ったようになって分かった事ってないですか?」「ンー…別に…」
…私は本当にこの人のように路頭を迷うような局面に立たされたことこそ無いですが、全てを失ったような心的状態になったことは何度かあります。それは境遇によるものでは無く、全託に赴かせる力によってです。
そして、ハッキリ分かります! のっぴきならない事態に陥ってしまう事というのは、恩寵の力が臨む契機になるという事が…
宗教の信者という誰かが信じている神サマに縋ることなどのことや、又本当の意味で自らの人生を無にしてしまうこと、そして、ドエライ悪魔だか現臨だかに捉われてしまう事、というのは実に隣り合わせのことです。
これらの局面はいずれものっぴきならないものであるのは変わりません…(”自分は何でも知ってるし、何でも出来る”と自認して、自分を超えたものに預かろうとしない、ブルジョアの皆さんとは縁も所縁も無いことです。)
この内、最後の方は自分の意志を超えたところからもたらされるものです。
全てを失ったようになっても、生きている…という事は生かされているという実感を示されるという事です。
生かされているだけで伝わる幸福感!(ああ…気の毒なブルジョアの皆さん!)
それは人生を諦め、世捨て人のようになった人にこそ、開かれるかもしれないのです。
聖書にある”貧しいものは幸いなり”というイエスの言葉の意味が伝わってくるようです。
今度会った時は私の方から”唯我独尊教”の勧誘をしようかな…何て…ムリです!
私以外の誰も信者になれません。信者になるにはあなた自身の神サマを通じてしかなれません!(言い換えると自己信頼です)
会費も要りませんし、入ったら、辞められません! 脅されるから? いや辞める人は生まれてくることが間違ってます!
私はこのブログでもかなり宗教(教団)にまつわるものには批判的なことを書いてますが、頭からはねつけることなどしません。とりあえず、聞いてみる事にしています。相手はどことなくとっつきやすい感じの人だったし…
して…O波のH教団ですか? ウーン…名前は聞いた事が有るけど…M教団と似たようなものか?エッ、違う?でも話を詳しく聞いてみると、これは典型的な新興宗教だわい…
「あなたは信者になって長いの?」と訊いたら、実にややこしい話になってました。
お金が無くて会費を納めてないんだとか…”ヒ、ヒサンやな~”
となると…この人は信者なの?某教団だったら会費を納めないと、(掟に背いても)霊線?が切れて光が受けられなくなるそうですが…!
人を導いたら会費は免除されるとか?
で、そもそもこの人の入信の動機が生活苦などで、”藁にも縋る思い”からだったらしいです。これもよく聞く話ですね。
何時もの私の口調とはまるっきり違うかも知れませんが、”宗教、神に関わることは自立心を欠いた依存な精神の表れだし、妄信は学の無いこと…”と言い切るのは簡単ですが、そのような切実な局面に立たされていたなら、その打開の突破口になるものだったら何だっていいだろう…と思います。どんな神サマでもとりあえずの避け所になり得るものです。
大体私自身だって昔は依存もしてたし、学の無いこともしてた訳ですし…経験してたからこそ、ついエラそうな言葉も出ちゃったりする訳で…
でも…その教団のことはよく分かりませんが、洗脳組織だったら辞めた方が身のタメです。
典型的なそれなので、”他の教えを聞いちゃあダメ!”ということなので我が一人教祖、一人信者の”唯我独尊教”の話など聞いちゃあくれそうにありません。「僕にもね、時々神が舞い降りるんだよ!」なんて半分冗談で言ってみたのですが、その時だけは真剣な顔して「それは一体、どこのドエライ悪魔なんだ!」といった表情でした。(笑)
この人は見た感じ、そんなに洗脳されている様には見受けられませんでした。ガチガチのあの特有の目つき、固着した口調は感じませんので…言い換えるとイイカゲンに見える…何か達観しているような…
何でも”数十年前に自分の人生を諦めた、世捨て人になった”んだとか…そんなに人生にくたびれたようには見えないが…どっか悟ってしまった人の様にも見えます。
ただ、”どうせ自分の人生はこんなもの”という惰性的諦めの思いに支配されている様でした…。
そんな中、私はどうしても彼にこんな事聞いてみたくなりました。「全てを失ったようになって分かった事ってないですか?」「ンー…別に…」
…私は本当にこの人のように路頭を迷うような局面に立たされたことこそ無いですが、全てを失ったような心的状態になったことは何度かあります。それは境遇によるものでは無く、全託に赴かせる力によってです。
そして、ハッキリ分かります! のっぴきならない事態に陥ってしまう事というのは、恩寵の力が臨む契機になるという事が…
宗教の信者という誰かが信じている神サマに縋ることなどのことや、又本当の意味で自らの人生を無にしてしまうこと、そして、ドエライ悪魔だか現臨だかに捉われてしまう事、というのは実に隣り合わせのことです。
これらの局面はいずれものっぴきならないものであるのは変わりません…(”自分は何でも知ってるし、何でも出来る”と自認して、自分を超えたものに預かろうとしない、ブルジョアの皆さんとは縁も所縁も無いことです。)
この内、最後の方は自分の意志を超えたところからもたらされるものです。
全てを失ったようになっても、生きている…という事は生かされているという実感を示されるという事です。
生かされているだけで伝わる幸福感!(ああ…気の毒なブルジョアの皆さん!)
それは人生を諦め、世捨て人のようになった人にこそ、開かれるかもしれないのです。
聖書にある”貧しいものは幸いなり”というイエスの言葉の意味が伝わってくるようです。
今度会った時は私の方から”唯我独尊教”の勧誘をしようかな…何て…ムリです!
私以外の誰も信者になれません。信者になるにはあなた自身の神サマを通じてしかなれません!(言い換えると自己信頼です)
会費も要りませんし、入ったら、辞められません! 脅されるから? いや辞める人は生まれてくることが間違ってます!
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