人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

思いは異なもの

2016-06-07 12:20:17 | 身辺雑記
関東地方も梅雨入りした近頃、どうも気分が憂鬱になってきたと思ったら、急に近所でカラスが増えて来たのに気が付きました。今朝など、電線に一列に並んでとまっていたのです。
又、自分の住居のオーナーの依頼で周りの雑草を全部刈ってしまうことになり、「扉付近のここはそんなに伸びないから残しておいて下さいね…」と言っておいたにも関わらず、仕事から帰ったらきれいに刈り取られてしまっていたではありませんか!
そこは何ていう花だか知りませんが毎年今頃、白だったり、黄色、オレンジ色、ピンク…違う色で咲いて私の眼を潤してくれていたのでした。
ああ…
誰知れずボロ屋の片隅に変化(へぐれ)花 心の花はいつ咲き出づる

私は全く酒飲めないのですが、こないだ仕事仲間に飲みに誘われました。
「君は飲んだら絡んでこないだろうねえ…」と念を押していたにも関わらず、杯が進むにつれ始まり出しましたよ…グダグダと…
”OO君は…現場の主任は…会社の上司は…世の中は…”ったく、もう…分かったよ、君はどうだってんだよ!
自分はどうしたい、こうしたい、どうあったらいいか…って事が全く伝わってきません。
又、同じことを何度も何かのマントラのように繰り返して言っています。
ベルトコンベアーみたいに同じところをグルグル回り続けています。
で、どこに向かうのかというと、”自分はこう思う”に戻る…
こういうのに付き合うのは、二時間が限度で、それ以上は”急用を思い出した!”で強制的にお開きにするっきゃありません。ま、向こうのおごりだったからいいや…
この人はどうも悩みを一人で抱え込んでしまうようです。
状況など実際どうなっているかなどわかりゃしないのに、アレコレ考え巡らしている…要するに考えすぎです。
私はよく人と接する時は”休みの日とかどうしてますか?、とか趣味は何ですか?”とか聞くようにしていますが、こういう人というのは決まって好きな事をしてませんね。周りのことばかり気にしていて好きに生きてません。
人間好きなことしてたら、酒の席でもうるさいくらい、そういう話で盛り上がるものです(ジャズ・ファンってのが特にウルサイ)。それはそれで迷惑ですけど、生き生きとした顔を見てるとこっちも生き生きとしてくるものです。
ということはアレコレ考えちゃいない、ということです。
こう考えると、思いというものは実に重いものです。
ほんの些細なことから、思考ベルトに覆われてしまうものです。
この重い網にかかると容易に自力では脱出不可能になります。
そういう時は”自分でどうにもならない〝と気付けばいいんです。
”考えるのはよそう…”とするのは、考えすぎる人にはアダにしかなりません。
思いをどうこうしようとしなくても、意識があっちに向いたら勝手に離れて行くだけです。
これは思いを神の中に入れちゃう、ということで、こういうものが祈りというものでしょう…
祈りといっても形や行としての祈り以前にあり、またそれを超えてあるものです。
生きている、生かされていることが祈りと言ってもいいでしょう。
意識を向けよう、とか入れようとか自意識でそうしなくても、身に覚えるようになればオートマッチックになります。
そして又、思いに捉われるのが些細なところからなら、それから解放されるのもひょんなことからだったりします。
好きな事に夢中になった時とか、どんなことが媒体になるのか分かりません。
思いは又今日のどんよりとした雲模様みたいに流れて行くものです。
思いというのは実に異なものですね。
捉われば足かせともなるこの思い気付けば雲間に光ひとすじ

さっきふと玄関を出たら、あの刈り取られた所からもう小さく草が生えてきていました。
来年、いやこの秋には何色に咲くかなあ…。






















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