あれは、30数年前の今頃の季節でした。
私は周りのことも、自分自身のことも何もかも嫌になり、気分転換のつもりで、何処という目的地も無く、JR福知山線に乗り独り旅に出たことがありました。
"ヤツは忘れた頃にやって来る"...久しぶりに例の思考のガンジガラメ状態になってしまったのです。
ところが...その車内、隣で若いニイちゃんやネエちゃんたちで、ワイワイ、ギャーギャーとうるさいのなんの...
確かジェスチャーで、「うるさくて俺は気分害してんだぞーi」と、アッピールして、それが伝わるとは思ってなかったのですが、伝わってしまったらしく急に静かになって、ネエちゃんの一人が...
「どうしたんだろう? そんなに邪魔なのかなあ...」と、つぶやいたのです。
"ああ...ヤバイ、何て大人げないんだ、俺は...もう、この場にゃおれない、早く離れなきゃ..."、という恥ずかしい思いと、自分が嫌になっている時によくある、"コイツら俺のことをバカにしてやがんのだろう..."、といった被害妄想的思いとが混じりあい、にわかに顔が真っ赤になるのと、青ざめてくる(自意識過剰の極み)のを同時に覚え、駅名も知らない次の停車駅(宝塚と篠山の中間なのは確か)で居たたまれず降りたのでした。
"あー、もう、ヤダヤダ何もかも..."思いが袋小路に入り込み、何処へぶつけていいか分からなくなりながら、全く何にも無い、駅というにはあまりにも辺鄙な町とも村ともつかない辺りを当てどもなく歩き続けたのでした。
人っ子一人見当たりません。誰も居ない。
思えば私は人の言葉を、天からの言葉みたいに受け止めすぎるところがあったのです。
「こうでなければ、ああでなければダメじゃあないか、みんなに笑われるぞi」と...
"ドイツもコイツも、そんな声を真に受けるお前もみんなうるせーi みんな失せろーi"と...見たらみんな居ない...。もう、うっとおしい人間は相手にしなくていい。相手にするのは...そう、こういう時こそ神に訴えてみようi" と思い立ったのでした。
"やい、神よ、お前は何処に居るi 何処に隠れやがったのだi 俺は無礼なことを言っているのかi そんなに悪いことなのかi 懲らしめたいか...バチを当てたいのなら、さあ当ててみよi ここには誰も居ない、俺は何処にも逃げやしないぞi
さあ、神よ、隠れてないで出てきやがれi そしてお前の全能なる威信とやらを見せてもらおうじゃないかi"
私は破れかぶれでしたが、どっかで神が生きてこのミジメな私に臨んで下さること、ハタライて下さることを願っていたのです。
しかしそれは、ムチャクチャながらもそれまでのどんなお体裁ぶった、お決まりの所謂"お祈りごと"にも増して、のっぴきならぬ、真剣なものだったと言わざるを得ません。
私はもし神が居るのなら、バチが当たっても構わないと本当に望んでいたのです。
"それが、狂気の沙汰と言うのなら言わしておけi 私はぶっつぶれてしまうことで、神の実在を証明したいi"
すると...神は居るのか、どうかは分からないけれど、あれよあれよという間にあれほど私を苛んだ、思いの絡みつけが解かれ始めたではありませんかi 思考の密閉空間に風穴が開いたのです。
"ああ秋の涼風がこんなにも心地がいいものとは..."
神は我々のはるか彼方にお在し、超絶したお方なのかもしれません。永遠に知ることも、触れることも出来ないのかもしれません。
でも、知らないながらも、捨て身(ヤケクソ)で求め続けることで苦境は開かれる...それは何かは分からない...全く思いを超えている、そして思いがけない導きには与ることがある...そのことをまざまざと知らされたのでした。
私は周りのことも、自分自身のことも何もかも嫌になり、気分転換のつもりで、何処という目的地も無く、JR福知山線に乗り独り旅に出たことがありました。
"ヤツは忘れた頃にやって来る"...久しぶりに例の思考のガンジガラメ状態になってしまったのです。
ところが...その車内、隣で若いニイちゃんやネエちゃんたちで、ワイワイ、ギャーギャーとうるさいのなんの...
確かジェスチャーで、「うるさくて俺は気分害してんだぞーi」と、アッピールして、それが伝わるとは思ってなかったのですが、伝わってしまったらしく急に静かになって、ネエちゃんの一人が...
「どうしたんだろう? そんなに邪魔なのかなあ...」と、つぶやいたのです。
"ああ...ヤバイ、何て大人げないんだ、俺は...もう、この場にゃおれない、早く離れなきゃ..."、という恥ずかしい思いと、自分が嫌になっている時によくある、"コイツら俺のことをバカにしてやがんのだろう..."、といった被害妄想的思いとが混じりあい、にわかに顔が真っ赤になるのと、青ざめてくる(自意識過剰の極み)のを同時に覚え、駅名も知らない次の停車駅(宝塚と篠山の中間なのは確か)で居たたまれず降りたのでした。
"あー、もう、ヤダヤダ何もかも..."思いが袋小路に入り込み、何処へぶつけていいか分からなくなりながら、全く何にも無い、駅というにはあまりにも辺鄙な町とも村ともつかない辺りを当てどもなく歩き続けたのでした。
人っ子一人見当たりません。誰も居ない。
思えば私は人の言葉を、天からの言葉みたいに受け止めすぎるところがあったのです。
「こうでなければ、ああでなければダメじゃあないか、みんなに笑われるぞi」と...
"ドイツもコイツも、そんな声を真に受けるお前もみんなうるせーi みんな失せろーi"と...見たらみんな居ない...。もう、うっとおしい人間は相手にしなくていい。相手にするのは...そう、こういう時こそ神に訴えてみようi" と思い立ったのでした。
"やい、神よ、お前は何処に居るi 何処に隠れやがったのだi 俺は無礼なことを言っているのかi そんなに悪いことなのかi 懲らしめたいか...バチを当てたいのなら、さあ当ててみよi ここには誰も居ない、俺は何処にも逃げやしないぞi
さあ、神よ、隠れてないで出てきやがれi そしてお前の全能なる威信とやらを見せてもらおうじゃないかi"
私は破れかぶれでしたが、どっかで神が生きてこのミジメな私に臨んで下さること、ハタライて下さることを願っていたのです。
しかしそれは、ムチャクチャながらもそれまでのどんなお体裁ぶった、お決まりの所謂"お祈りごと"にも増して、のっぴきならぬ、真剣なものだったと言わざるを得ません。
私はもし神が居るのなら、バチが当たっても構わないと本当に望んでいたのです。
"それが、狂気の沙汰と言うのなら言わしておけi 私はぶっつぶれてしまうことで、神の実在を証明したいi"
すると...神は居るのか、どうかは分からないけれど、あれよあれよという間にあれほど私を苛んだ、思いの絡みつけが解かれ始めたではありませんかi 思考の密閉空間に風穴が開いたのです。
"ああ秋の涼風がこんなにも心地がいいものとは..."
神は我々のはるか彼方にお在し、超絶したお方なのかもしれません。永遠に知ることも、触れることも出来ないのかもしれません。
でも、知らないながらも、捨て身(ヤケクソ)で求め続けることで苦境は開かれる...それは何かは分からない...全く思いを超えている、そして思いがけない導きには与ることがある...そのことをまざまざと知らされたのでした。
時々、三田へ行きますが、どの辺りだったのかなあと、いつも車内でふと思ってしまいます。