人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

確かなこと、不確かなこと

2023-05-04 09:52:30 | 雑感
いつも読んで下さる方にはお分かりのように、私は精神世界に付きものの、例えば死後の世界や前世、未来の予言などのことに言及することはほとんどありません。
理由は至って簡単、それらは不確かなことだからです。
そういう世界へ行ってみて、確かめてくる訳には行きませんし、見ただけでは正確かどうかも分からないでしょう?(幻覚かも分からない?)
だから、大概はそういう霊能者なりの言葉を信じるしかないのです。
信じる人には真実らしく映るのでしょうが、これ、ほとんど話者(こっちも熱烈な信者である場合が多い!)の不確かなことを確かなことのように話すトリックに引っかかっているのです。
もし、それが真実でなければ、虚偽を信じ込まされているということなのですよ、それって罪になりませんか?...この世界は、言ったもん勝ちみたいで、それも確かめようが無いし、責任も取りようがありません。こんな無責任なことあるか?、誰が一番バカを見るのだろうか?、こういうことで誰か幸福になるか?
何にせよ、不確かなことを確かなことのように語ることは、よりいっそう迷妄を深めることにつながることは、”確かな”ことです!
勿論、だからといって、そういう世界を否定している訳ではありません。要するに、決めつけた物言いをしなければいいのです!
私はね、そういう見えない世界のことは言わない!、ということはない!
そうそう、神的な現臨のこととか...それは霊なるものとは言ってますが、何かの霊体であるとか、実体あるものとして語ったことは一度もありません。この意味で不確かなものなんで。
だけど、何度も言っているように、それが臨むことで、思念のマツワリから解放され、愛、安らぎに与ることが出来るのは、全く確かなことなのです!
何かの科学的事実が立証されるより確かなことですよ!(立証出来ないが...)
自分自身に直接感じられる、というほど確かなものは無いのです!
でも、そのことはもどかしいことに、確かなこととして伝えることは出来ません!
でも、あなたは自分自身で確かめることが出来ます(でなきゃ、こんなことは言いません)。
あなたにその気さえあれば!...確かなものに会おうという気持ち、祈り...
確かなこと、確かめられること、感じられることは信じる必要はありません。いや、信仰ごと、観念ごとにしてはならないのです。
確かなものに導かれないのであれば!...確かなものと共にあれば幸福!...
私のように、信用の無い人間の言うことなど信じて貰わなくても結構!
しかし私には、多くの人に幸福になって欲しいという願いがあるのは確かなことなのです!(でなきゃこんなこと書いてませんて!)




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鎮魂と神の道 | トップ | 科学と直接経験 »

コメントを投稿

雑感」カテゴリの最新記事