人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

本当のものは証明出来ない

2019-05-03 11:13:30 | スピリチュアル
愛、平安、リアリティ...
到底、言葉では言い表せないもの...
もう、他のことはどうでもいいくらいですi
我々のまっただ中にあり、我々はそのまっただ中にある...
実在、実存、現存...本当に"在る"と言えるのは、このものを置いて無いi これを知らない、分からない、というのは全くどうかしてる...
実在するとは、その実感から言えども、この存在は実証出来ません。
愛、平安...実証しようなどというのは、なおさらバカげているのは誰でも分かるでしょう。
本当のものは証明出来ないのですi
いくらその辺りのことを科学的なアプローチで証明しようと、あなたが本当にそのものを感じないことには、そのものの中に、そのものと共になければ、何にもならないのです。
んなもん、「へえ、そうなの...」でオシマイじゃないですか?
ああ...こんなまっ中心のこと、表現が拙いこととて、どれだけの人に伝わるのだろうか?

すべてのことは、ここから出発しなければならないのに、教えたがる、それを広めたがる人ほどズレてしまう。
"この教えだけが絶対、これ以外に救いは無い"
外なる、他なる神に拝詭し、人にもそれを強いようとしている...
彼は実存する神を知らないのです。神は内なる実存と切り離されてはいない。
愛、平安、リアリティを知らないところからズレてしまうのです。
おまけに次から次へと、前世、予言、陰謀論...全くリアリティの感じない異教群に走ってしまい、益々中心から遠のいて行ってしまうのです。
自分自身の中心、正神、正師への信から離れ、取り巻きの言葉に信を置いてしまうのでしょう。
証明することの出来ない、自分のまっ中心から離れ、その外に確固たるもののように思える、人伝に聞いた真理を追い求めているのでしょう。
他人がそう言っている、証明されたかに見える真理は持ち歩くことは出来ても、証明出来ない真理には永久にたどり着けません。
外に探そうと、正にその中心から足を踏み出し、そこからズレてしまうことだから...彼は二度や三度どころでなく、ずーっと正神、正師に背き続けているのです。
しかしどんなに自己のまっ中心から離れ、他神に自己を明け渡しても、彼はずっとそこに在り続けるだろう...
あなたは毎日鏡に映る自分自身を見ているのではないのか? それを直視することは、ン十年に渡る涙ぐましい信仰、修行生活よりも至難なことなのだろうか? 本当のものはあなたの本当に他ならないのです。
我々はこのまっ中心から出発しなければならない...そして、ここに帰らなければならないのです。
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