私はホントにメンタルの弱い人間だった!(だった?)
まったく前回と同じ書き出しをしなきゃならないほどです。
自分が信じられない、自己信頼の出来ない人間だったのです。
最近ではあまり言われなくなったようですが、学校では特に”自分のアイデンティティを確立しなければならない!”、なんて言葉に煽られて、その意味も、どうしたらいいのかも分からず、ただいたずらに”このままじゃダメだ、ますますダメになってしまう!”、といつも何者かに迫られ、責められるような思いを抱えていたのでした。
大体、自分が何かが分からないのだから、根本的に何の問題かすら宙に浮くような話ではありませんか?
自分というものは、周囲の見方、評価によって出来ているようにしか思えなかったのです。
おまけに人一倍感受性が強く、傷つきやすい性格でして、これが又引け目に感じていたのは確かでした。
だから、人に弱みを見せちゃあイケナイ!...心が揺れ動かない、強いところを見せなければならない!...そおして感情を表に出さない人間像を演じるようになったのです。内心は、そういう自分の本来の性格を自覚していたのですが...
本来の!...かつての私はまるで人形のようだった...それがもう今ではかくも変わってしまったのですよ!...
って、そんなことはないねえ!...私はそのような自分の弱さを自覚していたので、変わるように努力したということは無いのです。
少なくとも、たとえ何だろうと自分の本来性を変えようと思ったことはありません。
これについて、決定的な事態というのは、いつも言っているように、思いを超えたものが臨んだ~現臨~という、そのことに尽きるのです。
すべてはこのものにあっての私...私がどんな自分だろうと!
自分が信じられなければ信じなくてもいい!...このものに在りさえすれば!、信じざるを得ないものが臨むのだから!...
この現臨感というもので特に強調したいことは、それは神的な超越したものであると同時に私の本来性と切り離されたものではない、ということです。
私は未だに本当の自分というものは分からないのですが、現臨にあって自然に、本来性に戻らされざるを得ないことで、その何がしかを感じ取ることは出来るでしょう?
一つそんな弱いのか強いのか(本当の私の強みは両方を知っていることかもしれない?)、生来の性格を感謝しなければならないことは、多分母親ゆずりの感受性の強いところでしょう。
”あっ、何か思いがけなく幸福感に包まれた!”
そのことがただそう思っただけのことにならないで、ずっと忘れずに感じ入ってしまうのです。
これは、あのつらい、苦しい感じにずっと苛まれていたことの裏表のようなものかもしれません。
まったく前回と同じ書き出しをしなきゃならないほどです。
自分が信じられない、自己信頼の出来ない人間だったのです。
最近ではあまり言われなくなったようですが、学校では特に”自分のアイデンティティを確立しなければならない!”、なんて言葉に煽られて、その意味も、どうしたらいいのかも分からず、ただいたずらに”このままじゃダメだ、ますますダメになってしまう!”、といつも何者かに迫られ、責められるような思いを抱えていたのでした。
大体、自分が何かが分からないのだから、根本的に何の問題かすら宙に浮くような話ではありませんか?
自分というものは、周囲の見方、評価によって出来ているようにしか思えなかったのです。
おまけに人一倍感受性が強く、傷つきやすい性格でして、これが又引け目に感じていたのは確かでした。
だから、人に弱みを見せちゃあイケナイ!...心が揺れ動かない、強いところを見せなければならない!...そおして感情を表に出さない人間像を演じるようになったのです。内心は、そういう自分の本来の性格を自覚していたのですが...
本来の!...かつての私はまるで人形のようだった...それがもう今ではかくも変わってしまったのですよ!...
って、そんなことはないねえ!...私はそのような自分の弱さを自覚していたので、変わるように努力したということは無いのです。
少なくとも、たとえ何だろうと自分の本来性を変えようと思ったことはありません。
これについて、決定的な事態というのは、いつも言っているように、思いを超えたものが臨んだ~現臨~という、そのことに尽きるのです。
すべてはこのものにあっての私...私がどんな自分だろうと!
自分が信じられなければ信じなくてもいい!...このものに在りさえすれば!、信じざるを得ないものが臨むのだから!...
この現臨感というもので特に強調したいことは、それは神的な超越したものであると同時に私の本来性と切り離されたものではない、ということです。
私は未だに本当の自分というものは分からないのですが、現臨にあって自然に、本来性に戻らされざるを得ないことで、その何がしかを感じ取ることは出来るでしょう?
一つそんな弱いのか強いのか(本当の私の強みは両方を知っていることかもしれない?)、生来の性格を感謝しなければならないことは、多分母親ゆずりの感受性の強いところでしょう。
”あっ、何か思いがけなく幸福感に包まれた!”
そのことがただそう思っただけのことにならないで、ずっと忘れずに感じ入ってしまうのです。
これは、あのつらい、苦しい感じにずっと苛まれていたことの裏表のようなものかもしれません。
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