止まるところを知らないコロナの世界的猛威...
日本人は、この世界的猛威という状況をどのくらいの人が感じているのでしょうか?
一年半くらい前までは、こんなこと想像も付きませんでした。
しかし、数十年前私は、ほとんどの人間は"死に至る病"にかかっており、このままだと人類の滅亡は免れないi、というものが過り、戦慄が走ったことがあります。
こう言っても戯言のようにしか思われないでしょうが、私はリアルにそう感じたのですi
それは私自身、すべての私が照らし出されたことを通して示されたことだったのです。
それは感染症の類いのことではありません。それとは比較にならないほど、もっと根本的なことに、人間存在の根底に関わる病と感じられたのです。
人間は空気無くして生存することが出来ませんが、空気は命みたいなものと言ってもいいでしょうが、空気だけがそうではありませんね。
あらゆるものに命というものがあるのです。命そのもの...それなくしてここに存在することも、生まれ出ることも出来ないもの...私は生まれて初めてそういうものを実感させられたのです。
それは、名状出来ないものではあるが、敢えて神、神的なものと言い表すしかありません。
"神とは何ぞや?"などと、おおよそ抽象的に神について論議するほどナンセンスなことはありませんi...すべての人間は神無しに生きて行くことは出来ないのですi
これが分からないということは、重大な機能不全、人間の存在構造に関わる大きな欠陥と言うべきでしょう。
このような無知蒙昧なる人間が関わるあらゆる営みは、すべてが根底においてズレを来すことは目に見えているではないか?
もはや、崩壊の相しか見えて来ないではないか?
もっと感じたままを言おうi...すべての人間も、この現実世界も最初からその存在性が崩れているのである...今、私が目にしているものは宙に浮かぶ蜃気楼のようなものだ、ということをi...
しかし、確かにどんよりと生気を失ったもののように見えるが、現にここで目にしているのです。
何故だろうか?...命の命である神は、我々の思念の中に生きていないのです。人間世界は神無き思念によって作られた...。
そこに救いがあると同時に、救いようの無さがあるのです。
人類崩壊への序曲は、思われた世界によってワンクッション保たれているようなものです。
このことを通して、私に"我々の思いの根底に、あるいは思いを超えたところに、純粋意識の領域に神が生きたもう"ことが知らされたのです。
しかし、私自身がそうであったように、人間自らこの思念層を突破することなど不可能なのではないでしょうか?
今のコロナを巡る体たらくを見ても...
しかし、しかし、私自身がそうであったように、神御自らが我々に臨み、あるいは思念の層を突き破って、お出ましになるということがあるのではあるまいか?
私には有り体に言って、それ以外の望みというのは考えられない、感じられないのです。
そして私は、神的な声無き声がこう告げたのをハッキリ聞いたのですi
"私はお前の間中に私自身を現そうi"、と...
これをただのイカれた妄言と笑うヤツは笑えi
我々の世界はますます、どうにもならないではないかi
どうにもならなければならないほど、"私のすべて"が高まり、深まり、満たされてゆくのを覚えるのですi
日本人は、この世界的猛威という状況をどのくらいの人が感じているのでしょうか?
一年半くらい前までは、こんなこと想像も付きませんでした。
しかし、数十年前私は、ほとんどの人間は"死に至る病"にかかっており、このままだと人類の滅亡は免れないi、というものが過り、戦慄が走ったことがあります。
こう言っても戯言のようにしか思われないでしょうが、私はリアルにそう感じたのですi
それは私自身、すべての私が照らし出されたことを通して示されたことだったのです。
それは感染症の類いのことではありません。それとは比較にならないほど、もっと根本的なことに、人間存在の根底に関わる病と感じられたのです。
人間は空気無くして生存することが出来ませんが、空気は命みたいなものと言ってもいいでしょうが、空気だけがそうではありませんね。
あらゆるものに命というものがあるのです。命そのもの...それなくしてここに存在することも、生まれ出ることも出来ないもの...私は生まれて初めてそういうものを実感させられたのです。
それは、名状出来ないものではあるが、敢えて神、神的なものと言い表すしかありません。
"神とは何ぞや?"などと、おおよそ抽象的に神について論議するほどナンセンスなことはありませんi...すべての人間は神無しに生きて行くことは出来ないのですi
これが分からないということは、重大な機能不全、人間の存在構造に関わる大きな欠陥と言うべきでしょう。
このような無知蒙昧なる人間が関わるあらゆる営みは、すべてが根底においてズレを来すことは目に見えているではないか?
もはや、崩壊の相しか見えて来ないではないか?
もっと感じたままを言おうi...すべての人間も、この現実世界も最初からその存在性が崩れているのである...今、私が目にしているものは宙に浮かぶ蜃気楼のようなものだ、ということをi...
しかし、確かにどんよりと生気を失ったもののように見えるが、現にここで目にしているのです。
何故だろうか?...命の命である神は、我々の思念の中に生きていないのです。人間世界は神無き思念によって作られた...。
そこに救いがあると同時に、救いようの無さがあるのです。
人類崩壊への序曲は、思われた世界によってワンクッション保たれているようなものです。
このことを通して、私に"我々の思いの根底に、あるいは思いを超えたところに、純粋意識の領域に神が生きたもう"ことが知らされたのです。
しかし、私自身がそうであったように、人間自らこの思念層を突破することなど不可能なのではないでしょうか?
今のコロナを巡る体たらくを見ても...
しかし、しかし、私自身がそうであったように、神御自らが我々に臨み、あるいは思念の層を突き破って、お出ましになるということがあるのではあるまいか?
私には有り体に言って、それ以外の望みというのは考えられない、感じられないのです。
そして私は、神的な声無き声がこう告げたのをハッキリ聞いたのですi
"私はお前の間中に私自身を現そうi"、と...
これをただのイカれた妄言と笑うヤツは笑えi
我々の世界はますます、どうにもならないではないかi
どうにもならなければならないほど、"私のすべて"が高まり、深まり、満たされてゆくのを覚えるのですi
このブログと書きましたが、この記事の語っていることが、その通りだと言いたかったのです
(/. .\)ゴメンナサイ
もうイタチごっこで流石に皆疲れて来てる様です
兎に角シタさんも御自愛下さい