昨日は一日中雨が降り続きました。週一回講義に出かけている大学は驛から10分ほど歩くのですが、横殴りの雨でずぶ濡れになってしまいました。帰りは「ゆりかもめ」に乗ってのんびりと服を乾かしながら帰りました。 が、地元の驛について再びずぶ濡れ。日頃の行いのせいなのか、(^0^;) まあこれでスランプを洗い落としたと考えることにいたしましょう。
ところで当日は交通機関も厄日だったようであちらこちらで電車が止まっていました。 我が小田急線は早朝に東北沢で人身事故があり出かける頃は時刻表はあってなきがごとしで時間に間に合うか心配でした。 ところが、講義を終えての14時頃は東海道線、湘南新宿ラインが運転見合わせ。もう二三の運転見合わせ等の情報が驛掲示板に出ていました。 関西のネット友人も和歌山方面行きは嵐のために延着云々を書いていました。 たまにある交通機関の厄日、この様な時はうろつかない方が賢明です。 ちょっと時間のかかるゆりかもめと遠回りルートを使って素直?に帰宅しました。 家人は外出中、読みが甘かった。まだスランプ?
夕食後に拡げた19日の日経夕刊一面に「防災情報 地域SNSで」という記事が目に入り、あれっと思って見ると佐賀県武雄市のFacebook化が採り上げられています。8,600名エントリだそうで他の自治体と比べて桁違いの多さです。週末の日経夕刊であっても一面に載るなんて素晴らしいなぁーとニッコリしました。 確かにエントリしていると市の情報が送り込まれるので効果的ですね。生まれ故郷とつながっている感を強くします。 樋渡市長の音頭がいい方向に向かっているのだと思います。
さて、本日は吉祥寺北裏鐵道運転会です。雨も上がったし、これから準備してゆるゆると出かけるつもりです。小型の汽車ぽっぽを持参するつもりですが、うまく動いてくれるだろうかなぁー。燃料注入問題が上手く行くことを願っています。
足元にもおよばない(汗) 文士に 阿川弘之氏がおります。 足元に及ぼうなど考えること自体が不遜なことでありますが、内田百閒翁に並ぶ汽車ポッポ好き、食べ物好き、そして海軍好きなところに長年親しみを感じているのです。もちろん直接存じ上げているいうわけでもありませんが、「軍艦長門の生涯」には有田出身、経堂住まいだった遠縁のお爺さまが長門の若い甲板士官として登場することもあり、じっくり読みました。それ以前には「南蛮阿房列車」、なぜか汽車ぽっぽで引きずり込まれておりました。もちろん色々拝読致しております。
随筆集「桃の宿」は亡友と旅をした甲州桃花の波の話でした。 涙なくして読めなかった記憶があります。(汗)
食い物のことを書いてみようと思ったものの一行も真似できなかったのが「食味風々(ぷうぷう)録」でありました。文化勲章受賞者のレベルは違います。と云うことで読ませていただくのが一番であります。
そうそう、旧漢字や旧仮名遣いも実は大好きで抵抗感なく読める特技もいつの間にか持ち合わせているので阿川氏の文体を読むと落ち着きます。
その阿川氏が書くところの文藝春秋の巻頭言「葭の髄から」を毎月楽しみにしていたのですが、先日筆を止めるという擱筆宣言があり大変残念です。 我が郷里出身の古賀元帥の話にも感動しました。
その随筆を単行本としてまとめた。「天皇さんの涙」が文藝春秋社から刊行されていたので数日前手に入れて一気に読み終えた次第です。
その昔、某官庁に出向していた際に隣の課長から省内報のアイデア募集があり、汽車ポッポ文士の阿川さんとの対談を提案したところ、学徒動員の先輩である元事務次官との対談が実現し、そのお礼としてサイン入り「暗い波濤」を頂戴したことも懐かしい話です。 何処に行ったかなぁー?
一方的に何となく因縁のある方と思っているのでありますが、もう書かないと宣言されてしまうと寂しいものです。 御年90歳、汽車ポッポ仲間には90歳台で自動車を運転している方もおりますのでまだまだ書いて欲しいと思っています。
一晩寝ての追記事項
どこかの宰相だった方が、あれは方便だったなどとその場の雰囲気に迎合するような軽口を叩くなどはこのような本を読んでいた方であれば起こりうるはずもありません。鈴木貫太郎さんとのとてつもない落差を思ってしまうのは阿川氏の書物のおかげでありましょう。 あのような似而非(えせ)宰相を最近の指導者としたことがこの國の悲劇と思います。 覆水盆に返らず、綸言汗の如しと云う言葉すらご存じないようです。 墓場まで持って行く約束事を俗人ですら保ち合わせているというのに・・・・・。 前言を翻すのが大得意な方でありますのでまたひっくり返るのでしょうか。 お仲間の方々も同じ穴の狢と見てしまいます。 どこかのテレビでは「八百長相撲とかけて政権与党のマニフェスト」とも云っておりましたなぁー。(笑) 我が田舎でもそのような動きをする もと総務大臣殿も・・・・。情け無い。
昨日の「新報道2001」いかがだったでしょうか? 樋渡・武雄市長さんは、最初緊張気味のご様子で早口でのスタートでしたね。(汗) ちょっとだけハラハラしましたが、その後は堂々たるものですっかり安心しました。 5万人の首長とは思えない雰囲気はなかなかだと思います。 多くの町々と連携し、地域活性化を推し進められるような時代になれば何よりと思いながら見ていました。 武雄市でも温泉療養が出来るではないかとも思ってしまいましたけど、さて如何に? いずれにしろ日本全国同じ顔の金太郎飴にならないようにすべきだなと思います。 徳川時代の幕藩体制にも通じる地域活性化の議論が続いて大変興味深く拝聴していました。
おそらく楽屋ではTVで語られたこと以上に新たなアイデアや施策が生まれ出ていたのではないかと想像します。樋渡さんをはじめ、番組に関連する人と人との連携で更に新しいことどもが産まれて来るように思えました。 この番組をきっかけに様々な取り組みが武雄市でも始まることを期待しています。 贔屓の引き倒しにならないように客観的に見ていましたが、次第に引き込まれてしまいました。 頑張れ武雄市であります。(笑)
ところで、一転して卑小な話になりますが、年末モードの日がスタートしました。 しかしながら、のんびり出来るわけではなく、連日大掃除メインの生活になっています。 学校やその他の宿題はこのところお蔵入り状態です。それに年賀状作成にも振り回されました。
仕事相手の会社は休みに入ったところも多く、静かになりましたが、家の中は慌ただしい限りです。 昨日は寒かったので室内の掃除でしたが、娘に貸していたスーツケースが戻ってきたので収納しようとした時に柱とケースに左の薬指を挟んでしまうという負傷。大したことはありませんが、ボーッとしながらやっているとこんなことが起きてしまいます。 おかげで水仕事を避けています。 それでも、毎年大晦日になってしまう年賀状作成が今朝終了したので一安心です。これで気持ちよく正月を迎えられそうです。
気をよくして久しぶりにスポーツジムに行き山登りマシンがあるのに気が付いて試しに使ったところ、歩きの状況が山登りのように変化して面白い。40分ほど使いましたが、いい汗をかけました。単調に歩くだけの機械より楽しいと思います。これで少し通う気が起きればいいのですが、今年は明日で終了だそうです。
帰路、小田急・経堂駅前に姿を現した小田急オーエックスのビル?を写してきました。以前のノッポビルよりもましですが、どんな具合に町に根付くのでしょうか? 来年3月末の開業とか、どのようなお店やビル内レイアウトになるか楽しみですが、小田急は意外に秘密主義のようでギリギリまで分からないのはどうなのかなと感じます。
やっと保護シートが取り外されてきました。前方に大きな階段があるようです。駅前にはバスロータリーが完成して定期バスが増えたので時間は10分増しですけど渋谷まで安く・居眠りしながら行けるのは何よりです。
同じ場所で180度回り新宿方向を見た光景です。この道路の突き当たりにあるビルは道路拡張のために無くなるという噂です。みずほのビルはそのままのようです。無くなるビルの向こうにはコンビニやスーパー、スポーツジム、賃貸マンションが続いています。元は小田急の検査ヤードでした。小田急に馴染みの地である経堂から鉄道関連施設がどんどん無くなるのはちと寂しい限りです。 先年までは研修センターが残っていましたが、殆どの施設が喜多見駅に移ったようです。
フラフラ歩いてみるといつの間にか町の姿が変わっていて驚かされます。
不在だったのでアマゾンから届くのが遅くなってしまいました。が本日受領、早速読み始めると軽妙な文章にあっという間に読んでしまいました。ちとほろりとする話から、これまで武雄市に行くたびに聞いていた色々な話しが一気につながっていくような気がしました。それにしても既得権を持っている方々の怪しい動きには感心(?)させられました。(苦笑) 昔から政争盛んな土地柄と云われていますが、半分以上は既得権を離したくないための争いだったのかなぁと思いました。樋渡さんの登場でこの悪弊が消えたかと思っていたのですが糠喜びだったようです。この先次第に消えていくことをまず願いました。
全国大多数の市民病院等公立病院経営問題解決が困難な原因をある角度からあぶり出したのは大変素晴らしいことだと感じたのは私だけでしょうか?
思えば会社を辞めた翌年、2006年2月に墓参を考えて武雄まで出かけました。それまで霞ヶ関、高槻市と仕事でお世話になった樋渡さんが市長に立候補するというのでちょっとだけ顔を見にという軽い気持ちで武雄まで出かけたのですが、結局こちらも走ることになってしまいました。 元居た会社の後輩もわざわざ仕事の合間に行ってくれたのは嬉しい思い出です。
そのくだりは、その頃の気持ちとともにホームページに残していますが、あの頃は実に大変だったのですね。 そして昨年11月末、甥の結婚式で佐賀市に行ったついでに武雄市寄ると、またもやリコール選挙に遭遇しちょっとだけお手伝い。よくよく選挙に縁があるなと我ながら感心しました。 その頃の裏話が載っているものだから場面場面が彷彿としてきます。 「相手の悪口は言わない。」といいながらの選挙戦には感心させられましたが、薄氷を踏む選挙戦に心を残しつつ帰京したことが思い出されます。
さすがに今春の改選には帰省しての応援もかなわず結果をやきもきしていましたが、この本にあるようなことが起きていたのですね。
この本を読んで感じたのは、登場する稲富君をはじめ私の同級生の一部がたまたま縁の下から支えてくれたこと、それに先日お亡くなりになった同級生の母上のような方々も・・・。 樋渡さんの登場時期が早くても遅くても支援できなかったのではないだろうかと感じます。
あのスピード感に付いていくのは容易なことではありませんが、(笑) たまたま天の利、地の利、人の和が重なった奇縁を感じます。もちろんめまぐるしい施策の連続パンチで去っていった方もいるようですが、何年か後に武雄市が今以上に活力を得てオールハッピーになることを期待しています。 光あれば陰ありといいますが、いかにこれを少なくするかがこれからの市政の踏ん張りどころだと思いますし、樋渡さんのような首長を抱えた武雄市を羨ましく思います。
政権与党の心を入れずに語る国民目線とは大違いで、市民の目線でこれからの市政を進められることを大いに期待しています。
久しぶりに生まれ故郷への所感を書きましたが、これも「首長パンチ」に打たれたからでしょう。読後感、すがすがしく感じています。
書きたいことも色々出てくるのですが、とりあえずはこんなところでしょうか。
すがすがしい朝ですが、マスコミ報道は映像流出者のことで賑々しい限りです。 もともと扱いを間違った情報で逆なでされた政権与党が世評とは違う見解を出し、栄螺の殻に閉じこもろうとしている図に見えてなりません。 国民の過半数はそう思っていないはずという根拠ない見解でなぜ封印しようとしているのかの謎を明らかになければ納得しない人が多数居ると思います。 理由は何となく分かるのにという隔靴掻痒の思いを多くの人が感じていることでしょう。 yahooのミニ調査を見ると統計上は政府司会者の言葉はとんでもない妄言と思いますが? それともyahooは信用できないのでしょうか?(笑)
「民は知らしむべからずよらしむべし」という400年前の指針が政権与党の基本にならないことを願っています。政府コメンテーター(苦笑)の言葉の端々にそれを感じる最近です。
今回の流出事件で反射的に思ったことは、敗戦直後闇米を拒絶し栄養失調で亡くなられた東京地裁・山口判事です。「悪法も法なり」という言葉を残しておられると思います。この方は生まれ故郷の隣町出身の方なので小学校で何回か教わったことがあります。法を破る危険を犯している点では今回の流出事件とは全く逆の位置づけであるにもかかわらず山口判事を思い浮かべたのは何か相通じるものを小生の潜在意識が感じ取ったのでありましょう。
多くの国民が法を逸脱して闇米を是としていた世相に鉄槌を振り下ろした事件であったと思いますが、この一槌と今回の映像放出とが重なってしまいました。 今朝までの報道を見聞きしながら微かな記憶を手繰って掘り起こした古い事件です。 我が故郷にはこのようなへそ曲がり人間が多いのかも知れません。 ネット検索で色々探し出せてたのでネットの威力プラスマイナスを併せて思い知りました。
冒頭の堅苦しい話は別として、いいお天気には外回りの仕事や散歩が付きものであります。 やり残した庭仕事やらカメラ散歩が気になるものの土曜日の講義資料の印刷、これを終えたら行動開始です。仕事か遊びかはその時の気分、宮仕えを離れた者の特権ですね。(笑)
昨日遅く親しい友人の母上が急逝されたとの連絡をいただきました。高校時代からお世話になった懐かしい方です。学生時代に帰郷し友人宅ではよく飲ませていただいたと思います。 社会に出ても友人とはたまに会うものの母上にはしばらくお目にかかっていませんでした。 それが、2006年の市長選でひょんなことからお目にかかり、帰郷すると寄るようになりました。と云ってもちょくちょくというわけには行きません。最後にお目にかかったのは一昨年の11月下旬でした。しっかりされていたのですが、昨朝片付け中に急にお亡くなりになったそうで大変残念です。88歳、身近な方々には失礼と思いますが、素晴らしい逝き方であったと思います。 長い間お世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。 友人や弟さんにも電話ですけどお悔やみが出来ました。
連絡をくれた方が弔辞を読むようです。ありがとうございます。
今朝も別の友人からこの母上の訃報連絡、ショックを受けた人が色々いるようです。 9月に小学校の同期会に誘われているのですが、まだ返事を出していません。色々用がありそうだけど身内のことも心配なので思い切って行くことにしようかなと考え始めています。
今年もこの季節がやってきました。 友人から案内をもらったので初日の昨日新宿まで行って拝見してきました。 銘品揃いでありますがゲットする元気はないので見学させてもらったというところです。(汗) 最近ゆっくりデパートを回ることもなかったので久々の人混みを覚悟していたのですが、36度の猛暑のせいか意外に人が出ていません。猛暑は中高年の外出に影響するのでデパートの売り上げにはマイナス要素かも知れません。 など考えつつ6階のギャラリーへ。
ご覧のようなレイアウトに独特の色合いの焼き物がずらり。番頭である友人が売り子もしています。
磁器の入れ物の中に磁器を入れ、二重構造の中で焼く、極真(ごくしん)焼きという手法で作ったものの色合いは白でも丸みを持った白に思える独特な感じですね。 以前は十四代で九十数歳になる友人の父上に展示会の度にお目にかかっていたのですが、先年亡くなられたので寂しく思います。 さいごにお目にかかったのはいつだったかなぁ-?
このご時世のゆえか美術品の動きが今ひとつと友人は嘆いておりましたが、良いものは良いのです。継続して出し続けてほしいものです。宮内庁に納めた品々も参考に並べてありました。
京王デパートのお出かけの折は、六階を覗いてみてください。28日までやっています。
昨日はタイミング良く抜け出せたので久しぶりに昼食をともにしました。慌ただしかったのですが、色々話せました。 持っていたパソコンに入っていた画集に興味を示したのはさすがです。バックアップを預かってもらうことにしなければ、でもどうやって中味を確認するのだ。(苦笑)
落ち着いたら夕方会うことにいたしましょう。あ、これ見ていないな。
10時前なのに外は灼熱の太陽という梅雨明け三日目?海の日です。熱中症にはくれぐれも気をつけましょう。自分に投げかける言葉でありますけど。(苦笑)
昨日切ってしまった木をオブジェとして確保、もっと切って確保と思うのですが、この暑さでは万歳気味です。 当初は細かったのが結構大きくなってしまいました。 家屋に影響が出てしまったので残念ながら除去することにしました。
乾燥すればいい置物台になりそうです。
この作業の反動で今日は静かにしていたいなと思いますが、結局朝の担務をこなして一汗かいてしまいました。ぶらり旅に出るのには遅くなったのでさてこれから何をしようかと思案中です。
そういえば、この数日何気なく再読始めたのがあの中島誠之助氏の 「体験的 骨董用語録」(ちくま文庫) です。普段何気なく使っている骨董用語や生活語にも面白い意味を持っているのですね。骨董という視点でこれらの言葉を知ると違った視野が開けそうです。「なんでも鑑定団」で中島氏の語る言葉の背景を知るとコメントの意味もより楽しいというわけです。お手軽な読み物として興味深い本です。 あの番組には諸手を挙げて歓迎しているわけでもありませんが、代わりの番組がないので毎回視聴しております。
が・・・
本をパラパラとめくって見ると、現川(ウツツガワ)、松ヶ谷(マツガタニ)、弓野焼というような佐賀藩や武雄市に関係する言葉も入っています。もちろん先日の平戸焼も。 知っている風を装って何気なく使っている用語への理解がいい加減であることを思い知らされています。 今更骨董趣味へのめり込むことはなさそうですが、良いものは良いですからねぇ-。 しかしながら歳とともに天保銭になってきたなと感じる最近です。(苦笑)
こんなことに落ち着いたので「西洋アンティーク鑑定会」の古い録画を見ながらの避暑が一番でしょうか? またCastleの試運転が遠のいてしまいそうです。
花粉のせいか風邪のせいなのか鼻がグスグスして頭がボーッとしています。そんなコンディションなのにもうすぐお客さんが見えます。ボンヤリと受け答えしながらも歓談になればいいと思っています。反応がのろくなっているのでちょうどいいかも知れません。
ところで五月連休でいつも思い起こされるのは、佐賀県有田の陶器市です。明治20年代生まれの祖母は有田出身、毎年この季節は一人で盛り上がって有田へ買い出しに出かけ山ほど焼き物を買い込んで知人に配るのが趣味でした。(笑) 「今日から品評会だ。」と云って有田へ日参していたようです。 だからお金なんか貯まるはずがないと家族は呆れていました。 当時伯父、すなわち祖母の甥が有田大手のK社に勤めており祖母が訪れると掘り出し物を幾つか渡してくれていたようです。いまで云うインサイダー取引です。そのためか買い物の成果は結構よかったようですが、我が家に残ったものは殆どありません。更には東京の親戚の家で「あなたのお祖母ちゃんにもらったのよ。」と素晴らしい曾祖父の遺品に出会い絶句したこともありますが、まあ祖母らしい気前の良さにも感心しました。 祖母や伯父もすでにあちらに行ってしまいましたが、陶器市からは様々なことを連想してしまいます。
6年ほど前にはご近所の酔考さんと陶器市珍道中をやったり、3年前には樋渡市長さんに有田まで同行して買い物を楽しんだことも楽しい記憶です。 この時第二回目の武雄温泉楼門朝市に遭遇しました。 今とは隔世の感がある手作りの市でしたね。 この季節には何とか陶器市に到達しようとする最近ですが、なかなか遠征の足が延ばせず今年も家ごもりの連休となりました。次は何時行けるでしょうか。
不況で首が回らないと伝わる有田の町ですが、好天に恵まれて少しでも盛り上がってもらいたいと願います。
さてそろそろ来客の時間です。