からくり出張所

様々なからくりを徒然なるままに書くつもりです。
明るく楽しい趣味Blogが目標。
毎日ほっこりと。(^0^)

大山(おおやま)に登る

2010年11月29日 22時57分14秒 | ぶらり旅

 「いいお天気だったら大山(おおやま)に登るよ。」と云われていたので仕方ありません。 日曜日は山登りになってしまいました。

ロマンスカーで箱根に向かう右手に聳える単独峰で山頂に雲のかかることの多い大山ですが、江戸時代から山岳宗教で有名な山です。世田谷区には大山道と云われる街道が残っており、この街道を使い大山参りに出かけていたようです。 車窓から見える高い山に突然登ることになるとは思いもしませんでした。登り終えて満足です。が、また行くとなると口ごもります。 (苦笑)

さて、小田急線・伊勢原駅からバス、ケーブルカーを乗り継いで到着した大山阿夫利神社・下社は海抜700mです。 山頂は1251m、まだまだ高い山なので高尾山のようにへらへらした態度では行き着けないようです。 登り始めた20分は、もう止めようと何度も思いましたが、ここでへこたれたら一生笑われるのでグーッと我慢しました。頂上は28丁目だそうで下社の一丁目から16丁目までは地獄の特訓気味で殆ど思考能力は停止していました。 従って写真もありません。歳だなぁーと思わされる現象の一つですね。(汗)

で、靄気の中に富士山の姿を見た頃から何とか回復してきました。溜まっていた不摂生が汗で流れ去ったのでしょう。

Dsc_0151 微かに富士山が見えていますが、認識できるでしょうか?

 余談ですが、CCD面に汚れがあるのをこの写真で見つけました。カメラをチェックするとクリーニング機能をなぜか止めていました。電池節約のためだったのかなぁー? 本日クリーニングとonとoff時に作動するようにしてみたところ、このシミは消えました。

何とかかんとか苦労して辿り着いた頂上でありますが、「頂上は大山銀座状態だ。」とすれ違った人の云っていた通りです。

Dsc_0156 お天気はご覧通り気持ちのいい青空でした、もう少し早い時間であれば光の具合から富士山がよく見えただろうにと口にしてはいけないレバタラを云ってしまいました。途中もそうですが、山頂は更に山ガールの多いこと、買ったばかりのガスバーナーを説明書片手に組み立てているのは微笑ましい限りです。 当方は残りのサンドイッチを囓っていました。きつくて食欲無し。(苦笑)

Dsc_0155

ここが奥の院、いろいろ社(やしろ)があると何処でお参るするのが、いいのかと迷いつつ手を合わせてきました。これが一番高いところにある本殿でした。

眼下は本厚木方面です。

Dscn9281

下りは途中から登りと違う道に入ったのですが、このルートが皆さんの使う本道であったとは最後まで知りませんでした。登りに使った道より直線的なガレ場的ルート、段差が高くておりるのが大変でした。写真を撮る余裕も次第になくなります。下山し、ルートチェックするお粗末ぶりです。(汗)

どうやら遠回りで遅くなりそうだと思った見晴台コースが一番良かったかも知れません。誰にも聞かずに動いたのが間違いのもとでした。

Dsc_0175

この本道直滑降のおかげか今日は太ももとふくらはぎが張っています。階段を下りるのも大変です。明日は更に痛くなることでしょうね。家人は二本ストック、私はカメラのストック状一脚があったので大変助かりました。

Dsc_0200 折角登ったので下社近辺の紅葉のライトアップを見ながらケーブルカーに乗ることにしました。 小田急の大山キャンペーンに便乗したのですが、最終日の28日には山頂方面は紅葉は殆ど終盤で落ち葉に足を取られぬように気を使いました。

こんなことで予定よりも遙かに遅れて帰宅、グッタリなりましたが、それでも今朝はいつも通り起床し、仕事に走り回っていました。五階の建物を階段で上下したせいで足の痛さは倍増しています。 昨日の山登りでは15000歩、今日の仕事歩数は7000歩、この調子が続けばいいのですけど、明日はクラスメイトと宴会です。メタボ復活しないよう気をつけなければ。(苦笑)


東京紅葉狩り

2010年11月27日 20時28分36秒 | ぶらり旅

 土曜日は講義の日、今日で前半分を終えてホッとしています。レポートをばらまいてきたので一息付いたのは私だけでしょうけどね。(苦笑)

ブログを書くのが遅れ気味になっていますが、一昨日は歩きの師匠、酔考さんのご指導で紅葉見物で歩き回りました。サラリと書いて追いかけます。

まずはごく近所の豪徳寺、井伊家の菩提寺、招き猫の寺として有名です。井伊直弼のお墓がありますが、最近整備されたようです。三重の塔が新しくなっていたのを知らなかったので3,4年行ってなかったようです。

Dscn9252 とても世田谷の片田舎とは思えません。

Dscn9254大きな香炉型の線香立ても大寺院の雰囲気です。

そして、ここから駒込にワープして田沼意次の六義園です。小母さんグループの多いこと、お父さん達はどうしているのでしょうか? 山手線内でスポーツ新聞を持っている退職小父さんが多かったので賭け事?? ここでも女性の文化度が勝っているように思いました。

Dsc_0095 六義園はちょうど紅葉の真っ盛りで夜はライトアップしているとのことです。

見所は沢山ありますが、広い。 私の好みは模型鐵道レイアウト的なコンパクトな小石川後楽園です。子供の小さかった頃、この近くに住んでいたので懐かしいところでもあります。 数年間文京区民だったので半七捕物帳の世界を楽しみました。公園内の竜田川の紅葉を見たかったのですが、今回はパスしました。

Dsc_0107

このあと本駒込の富士神社に登山し、根津神社からに向かうことにしました。

Dsc_0116

45度もあるのではと思った急階段です。短かったので気楽な気持ちで登りましたが、長かったら大変でした。

Dscn9274 根津神社界隈は古い東京がまだ残っていて懐かしい風景に足の痛さを忘れて根岸近くを経由して上野まで歩き通しました。

Dsc_0128

 食べたいときに食堂がなく、上野の手前でやっと遅い(豪華な)昼食となり、ガソリンも補給したので元気を取り戻しました。 さらに京橋から銀座へと転戦し、毎年この時期に開催の佐賀県有田・辻精磁社の15代常陸さんの展示会に顔を出してきました。いつもながらホッとする作品の数々。買えませんけど。 先日の同期会で一緒だった友人とその兄上15代さんにご挨拶して帰還しました。干支の箸置きを頂戴し満足です。

 という鐵道に関係のない合計2万2千歩の旅でありましたが、大変充実の一日でした。

珍しく反省会もなく粛々と帰宅した次第です。(笑) 酔考様、ご案内ありがとうございました。

 


古街道を歩く・瀧坂街道

2010年11月26日 09時17分33秒 | ぶらり旅

予定が続いたので勤労感謝の日に開催された地元のイベント記録が消えそうなので慌てて書きました。(汗)

 赤堤生涯学習センタで毎年実行しているアカデミアの古街道歩きです。今回は昨年歩いた瀧坂街道の残り半分を走破しました。瀧坂街道とは渋谷・道玄坂に始まり世田谷を横断し、調布の瀧坂に至る10数kmの街道です。この道は江戸幕府により甲州街道が開かれる以前の甲州への街道です。 しかも経堂のメインストリート(笑)「すずらん通り」がこの街道であることが意外に知られていません。 今年のルートはこの小田急線・経堂を出発し、徳富蘆花の旧居近くの廻沢(めぐりさわ)を通り調布市・仙川の桐朋学園を眺めつつ京王線を横断して瀧坂に至る5kmちょっとの行程です。歩き通して感じたのは古い街道は馬の背と云われる土地土地の尾根伝いに作られていることです。この目で自分の歩いている道を眺めるとなるほどと思うことが多いと思います。そして歩くには心地いいサインカーブの道です。

Dscn9225

最近センタの活動から遠ざかっておりましたが、今回はスタッフとして最後尾つまり殿(しんがり)担当になりました。 この道のプロである酔考氏が今回の講師兼引率者であります。出発前に1時間ほどの蘊蓄にとむ講話があり午前10時出発です。街道である「すずらん通り」を通るのかと思いきや、普段は目に付かない我が家の前の旧村道を通るというハプニングなサービスがありました。 目立たぬようだんまりを決め込み引率の旗は倒しておきました。知人に誰にも会わなかったので幸いです。(汗)

Dscn9230千歳台小学校の壁面には、この辺出身の谷内六郎画伯の絵がタイル画になっていました。この小学校周辺には縄文時代の遺跡があることからこの繪になったそうです。週刊新潮の表紙とコマーシャルが思い出される懐かしいものです。

そうそう、この手前の明治大学ラグビーグランド側で見つけたのがこの林檎です。グランドでは明大と東海大の練習試合をやっているようでした。

Dscn9219

予定にはなかったリンゴのもぎ取りができました。世田谷区の農家でまさかリンゴ狩りが出来るとは、目が点になりました。 「世田谷育ちの赤リンゴ」とコマーシャルで歌いたくなる気分でした。

Dscn9216 この農場経営の高橋さんのご厚意で特別にもぎ取りをさせていただいたのですが、生まれて初めての体験です。 今度の日曜日、28日が今年最後のもぎ取り日です。 ご覧のようにまだ残っているので近所の方は走りましょう。

20名近くの熟年グループが事故もなく歩き通せたのが何よりでした。 酔考さま、センタスタッフの皆さま大変勉強になりました。ありがとうございます。

途中色々ありましたが、無事終了してホッとしました。 ところで、 世田谷だけではなく、各地域に残っている古街道ですけど、車中心社会となり、いつの間にか消え去ろうとしています。 興味と時間のある方は、是非とも各地元の歴史を見直して歩き回ることもリタイヤ後の楽しみの一つになると思います。 かくいう我々は現役時代に既に細々ながら手を付けていましたので抵抗感なくうろつけるようになっています。後輩の方々には端的只今実行あるのみです。

Dscn9241地元では有名なキューピー仙川工場ですが、閉鎖されるという噂もあります。この対面には江戸のお菓子、榮太楼の工場もあります。

Dscn9244 

そしてこれが終着点の瀧坂です。雨が降ると瀧のように水が流れる急坂なので名付けられたとも。お地蔵さんか石碑の説明だったかも知れません。

おまけの画像です。狭い道筋に無造作に置いてあるところが古道らしいですね。

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歩きの速度で地元を眺めていくと、住宅の新築ラッシュと何処に通じているか分からない道路の新設、古い町並みが一気に消えているように感じました。ちと寂しい限りです。鎌倉街道と云われる道が顕著な例のようです。

皆様方も是非のんびりと古い無名の街道を歩かれたらいかがでしょうか。街道の特徴は、道側にあるお地蔵さま、石の道標、緩やかなカーブです。独特のホッとする雰囲気を持っているので意外に見つかると思います。

帰路は酔考さんとつつじヶ丘駅から下北沢経由で帰宅、短い距離でしたが我々の巡航速度よりも遅い散歩だったせいが意外に疲れました。お疲れ様でした。


3Dってどうなるのだろう?

2010年11月22日 18時25分58秒 | からくり情報

 空き時間は植栽の手入れに追われる最近ですが、今日はお天気が今一つなのでお休みします。 が、溜めてしまった事務処理のクリアが待っています。今年は先行してやっているつもりなのでいつもより集中度は減っているはずですが、その分別の仕事を探し出している観があります。結局自分を忙しくしてしまっているような気がするのですけど団塊の世代のさがかも知れません。(苦笑)

 さて本日は、アスキーネットの古い知り合いのFさんが独逸のクリスマス風景の写真展を開催している東京ガス本社のギャラリーまで行きました。二年前にオリンパスギャラリーで拝見して以来です。独逸のクリスマス風景を生き生きと写してあり、商業ベースの日本のクリスマス風景とは違いやはり宗教行事的な雰囲気が現れています。そんな中にもクリスマスを楽しむ風景も混じっており日本のお盆や正月の風物詩といったところでしょうか。 ホットワインが美味しそうでした。 ちらほら欧州の鐵道風景が混じっているのもFさんらしいと思いました。

その会場で20年ほど前にアスキーネットの鐵道sigopをされていたYさんに遭遇しました。皆さん細々とつながっていたようですね。ご無沙汰していました。

ところでその帰りに「ウエッジ」という雑誌に「3D不振メーカが問われる課題」という文字が踊っています。 立ち読みしてみると「やっぱり」というところです。 各社どうするのだろう? TVに起死回生をかけるのはいささか腑に落ちないと思っていたので気になりますが・・・? アバターでの3D映画フィバーをTVにつなごうとした試みのようですが、はたして周囲の受像器を「あれば面白い」程度の3D機能に変更したいニーズがどれだけあるかはなはだ疑問です。

それにコンテンツ不足もありそうです。このままブームが収束するのではないかと危惧しますが、専門家の見方はどうでしょうか?

3Dについては私も先行ユーザでありまして、我が家には既に数台の3Dカメラがあるのです。一時期はずいぶん3D写真に凝りましたが最近は飾りになったままです。これが10年前、そして使ったカメラがこれです。

Dscn9210 昭和22年米国製ステレオリアリストというカメラです。これを活躍させていた頃はコダックのポジで撮影し、イマジカという現像所に出すと二画面一組の専用のステレオマウントに入れて戻ってきました。一説にはこのマウント機械が壊れたタイミングでステレオマウントサービスがお仕舞いになったと聞きました。 その後は自分で切ってマウント用紙を購入して組み上げるのです。そんなことをやっていたのを思い出しました。作品を見るのは専用の双眼鏡のようなビューワーです。リアリストは全手動、しかも暗い場合はマグネシュウムの発光バルブを使います。これの光量は意外に大きいので結果はなかなかなものです。とはいえ絶版球を気軽に使うわけにいかないので市販部品を改造し、ストロボでも撮影できるようにしてあります。

そしてこの10年後に出てきたのがこのカメラです。その間香港製カメラなど色々あったのですが省略します。

Dscn9207 意外に優れもので専用のビューワーが付いています。普通のコンパクトの感覚で撮影し、L版プリントをビューワに入れるとそのままステレオ写真になります。こちらのカメラは電池でフィルムや自動露出が動作し、普通の写真も写せます。 基本的にはストロボ多様になるようです。近接撮影は駄目なカメラですけど。

そのまた10年後が現在です。今日目撃したのですが、パナソニックからマイクロフォーサーズ用のステレオレンズが発売されていました。売れないかも知れないのでレアものになる可能性大です。 じつはNikon S型用ステレオレンズには天文学的値段が付いているのは周知の事実です。

そして時代を遡ること100年以上前、日露戦争や当時の日本の観光地を撮った3D写真があるのは有名な話しです。先日の日テレdash村で木製ステレオビューワを早田カメラの早田さんが鑑定?していましたね。 更にその前、リンカーン時代の結婚式などもステレオで撮影されていました。

時代の最先端では、NASAのジェット推進研究所が打ち上げた火星探査ロケットパスファインダーなどでも3D写真を使っています。打ち上げ当時、毎日発表される火星の立体写真を楽しみにしていました。まだ見ることが出来るのかなと、捜してみるとこんなサイトがありました。

http://astro.uchicago.edu/cosmus/projects/marsstereo/

そうそう、交通事故の現場検証写真にも確かステレオカメラを使っていると思います。

 何だか違う方向に脱線してしまいました。細かく云えば更に派生した出来事もありますが省略です。  最新技術を使っての3Dと騒いでいるのですが、じつは大昔の技術の蒸し返しです。このように周期的に流行り廃りを繰り返すものを商品化したことに問題がありそうです。そういえば小学生時代に赤と青の眼鏡をかけてみた立体映画がありました。ウーン。(苦笑)

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飛行機と新鉄道唱歌

2010年11月21日 09時42分49秒 | からくり情報

昨晩、書いた記事をアップしようとしたらブラウザがおかしくなって消えてしまいました。ショック。やる気も失せてそのまま寝てしまいました。

金曜日の夜参加した入社40周年記念同期会のことを書いたのですが、トホホホでした。懐かしい面々に会えて何よりでした。夜行バスで金沢に戻るという友人を現場実習仲間で新宿まで送り届けました。バス待ち時間がなかったのですぐ側の屋台の缶ビールで壮行会です。(笑)

ところで昨日は講義日でしたが、前夜の会合のせいなのか終わった途端グッタリしてしまいいつもなら寄り道する銀座の伏魔殿もパスして帰宅。おかげで珍しい光景に出くわしました。 おそらくブルーインパルスと思う6機編隊のT4戦闘機が近所の上空を通過、しかも短時間ですが、最後尾の飛行機が白い白煙を吐いていました。演技終了後の後始末といった感じです。

しかしながら、あっと思ってデジカメを取り出すまでが、5秒程度だったでしょうか、その間編隊は彼方に飛び去り絶好のシャッターチャンスを逃してしまいました。想定外の場面に会うと一瞬何をすべきかという空白の状態が出てしまうのは修行不足です。(汗)

Dscn9202 画面ではよく見えなかったので適当に方角を決めたらご覧通りです。何とか残ったので記録できました。 このあとちゃんと数枚撮ったのですが離れすぎたのか編隊の形が水平一線になってしまいました。残念。

南へ飛んでいったので濱松を目指したのでしょうか?

で、脈絡もなく浮かんだのがこの昭和の御代になり作られた「新鉄道唱歌」です。 テンポがいいので好きな鉄道の歌の一つです。

帝都をあとに颯爽と 東海道は特急の 流線一路富士 櫻 燕の影もうららかに

この先新たに開通した丹那トンネルを通過し新東海道線を列車は進みます。この頃、御殿場線は主役の東海道線の座を降りたのです。

その先の歌詞に

その名も優し濱松の 松風ならぬ青空に 爆音高く飛び交うは わが陸軍の飛行隊

彼の地は古い昔から飛行機に縁のある土地だったのです。しかし飛行機からこの歌を連想するとは我ながらちとおかしい。(笑)

さて、本日はこれから庭職人です。残った松の剪定をやろうと思う青空の日曜日です。家にいるとなかなかフリーな時間がありません。気になる宿題もまた溜まり始めてしまいました。

(お昼に追記)

剪定をやっているさいちゅうに、またもや編隊を目撃しました。いまから40分ほど前です。今度は青い機体を確認できました。白煙を吐きながら北の方向へ飛んでいきました。今日は入間基地の航空祭だったような気がします。鋏をパチパチ鳴らしていたので写真を取り損ねました。またまた残念です。 でもこの目でしっかりと編隊飛行を眺められたので儲けたような気分です。(12:30)

以下鐵歌マニア以外の方はパスしてください。

ついででありますが、新鉄道唱歌の歌詞を索引させていただきました。当時の世相を表す言葉が随所にありますが、これも我が国の歴史であります。

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  • 作詞:土岐善麿

  • 作曲:堀内敬三

東海道1

  1. 帝都をあとに颯爽と 東海道は特急の 流線一路富士さくら つばめの影もうららかに

  2. 横浜過ぎて野はみどり 松風ふくや鎌倉の 歴史の名残浪遠く 銀幕花のいろ競う

  3. 小田原ゆけば湯の箱根 天下の険もバス電車 越えゆく伊豆の海青く 温泉湧きて谿深し

  4. 科学のちから一念の 大地の闇を貫きて 丹那に入れば今ここに 時代は進むまっしぐら

  5. 霞の高嶺雪の富士 松原遙か静岡へ 石垣苺澤そえて 三国一よ世界一

東海道2

  1. 新茶のかおりほのぼのと 甍も匂う静岡市 駿府の趾に家康の 栄華の夢を偲ぶかな

  2. 川波白き大井川 島田金谷の宿々に 今なお残る朝顔の 昔がたりも哀れなり

  3. その名も優し浜松の 松風ならぬ青空に 爆音高く飛び交うは わが陸軍の飛行隊

  4. 弁天島の真帆片帆 浜名湖過ぎて豊橋や 稲荷詣の客下りて 島影すずし蒲郡

  5. 日本照らす草薙の 御剣祀る御社 熱田の宮を拝めば 名古屋の駅ははや近し

伊勢路編

  1. 春風かおる菜花の 伊勢路の旅のうららかさ 桑名祭は鉦太鼓 石採神事の賑わしさ

  2. 万古の煙空高く 築港ひろき四日市 温泉玉如す湯の山は 渓間の紅葉桜狩

  3. 鈴鹿の峰を右に見て 伊勢は津で持つ安濃の津の 阿漕が浦は浦清み 暑さを洗う人の浪

  4. 朝日に匂う敷島の 日本精神を鈴屋に たずねて仰ぐ松阪や やがて宮川宇治山田

  5. 神の都の神路山 内外の宮を伏し拝み 二見の浦の夫婦岩 動がぬ御代を祈らばや

尾張・美濃・近江路編

  1. 黄金の鯱の真かがやく 天守そびゆる名古屋城 富の中京観巡りて 古え訪わん中村に

  2. 風折烏帽子腰蓑に かがり火におう鵜飼舟 長良の流いさぎよさ 岐阜市過ぐれば大垣市

  3. 東西両軍決戦の 名残を留むる関が原 伊吹の夏はハイキング 冬はスキーの人の山

  4. 彦根の城に登り立ち 望む湖国の遠霞 石山寺の月影に 式部をしのぶ源氏の間

  5. 琵琶湖の水に恵まれて 湖畔につづく工業市 大津を出でていざ行かむ 八景めぐり島めぐり

近畿編

  1. 逢坂山を越えたれば 醍醐山科紅葉して 平安京をみんなみへ 加茂の流れの白く行く

  2. 御代の初めの高御座 めぐりて立ちし百官の 威儀かたちどる山々は 盛りの秋の色深し

  3. 鳳凰堂のなおも立ち 源平の武者たたかいし 宇治を思えば神在ます 八幡の山に霧上る

  4. 大坂城の天守閣 光り輝く高き屋に 伸る力の限りなし 平和の都市を望むべし

  5. 淀川の橋風きよく 芦屋住吉六甲の 山に続きて今入るは 大楠公の神戸駅


剪定&車掌車

2010年11月18日 22時58分03秒 | からくり情報

今日は色々仕事したなぁーという疲れ具合です。眠たくなる前に慌てて書いていますが、そろそろボーッとしてきました。(苦笑)

午前中は生け垣の剪定、プロ並みにカットできたのではなかろうかと気分がいいのですが・・・・・誰も誉めてくれません。(笑)

Dscn9175これは剪定前。

Dscn9176 

剪定後。

でもこれだけでは全貌が見えないので出来具合は分かりませんけど。

これを終えて遅い昼食、その後会社を辞めて5年経ったので持ち帰った段ボール3個に入っていた書類や名刺、ノートをバッサリと捨てしまいました。講義用に利用した技術的なものを除くと殆ど見ることはありませんでした。これで会社人生からは完全に離脱できたかも知れません。

といいつつ明日夕方は、入社40周年記念の会合です。まだ大多数は会社の手の中で泳いでいるようですが、当方には気楽な会合です。(笑) 全国から集まることと思いますが、会いたい御仁も結構来ているのではないかと思い楽しみにしています。

いずれにしろハード?な作業を終日やってしまったのでいささかくたびれました。食事は美味しいのでデブのままですけど。(苦笑)

ここまで書いたついでに再々度のチャレンジで工作を再開してしまった車掌車の最近を紹介いたします。工作に着手して既に7年半経過、なんとまあ贅沢な貨車でしょうか。お仲間はきっとあきれ果てていることでしょう。これまでの経過はHomepageに記録しているのでご覧ください

Dscn9184 当時は木製下地のままでしたが、五年前に焦げ茶に塗装していました。このあと内装の色と屋根の曲げに悩んで放棄試合になったのです。 五年も経つと「まあいいか」といい加減になっての再開なのでいい加減な貨車になりそうです。当時の塗料も消滅、色違いの仕上がりになりそうですが、「まあいいか。」であります。

Dscn9186 車掌車の内部です。実物に入ったことがないので図面の配置に基づいた想像の産物です。だるまストーブの囲いや石炭入れを作ります。ストーブ側の壁面はアルミ貼りになっているようです。さらに壁面用石油ランプを三基設置予定ですが、何処に付けたらいいのでしょうか?。 これって点灯しますぞ、ミニ電球ですけど電気供給方法も考えなければなりません。

Dscn9183内装の接着は小物部品の取り付け順序を理解していないのでいつになるのか分かりません。 まさに牛歩状態でなかなか先へ進みません。とにかく細かすぎて大変です。 ブレーキマンの立つ場所の板張りもこれからというところです。

貨車の扉も可動式です。微少なヒンジで開閉できる前後の扉とスライド式の側面の扉と当分工作が続きます。ボルト頭のような細かな金属飾りはずーっと先になります。

このキットはバラバラな木製で買う人がいなかったのか半値?更にオプションキットも押しつけられてフル仕様になっているのですが、何処にどう付けるのか解説も曖昧です。それだけ作成者の裁量に任されているのだと云えば聞こえはいいのですが、センスのない私にはちと重荷です。この先どう展開するのか自分自身でも分からないところが楽しいのです。

Dscn9179

眠くなったので編集中のままだったのを翌朝ちょっとだけ補正しました。(ペコリ)


吉祥寺北裏鐵道11月運転会

2010年11月14日 20時54分08秒 | からくり情報

 このところ変則な運転日ですが、本日は吉祥寺北裏鐵道運転会でした。そして増えて欲しくないと思ってしまう私の誕生日でもあります。 運転会が重なったのでいい日でありました。 それにささやかな祝の夕の膳、伜がちらっと現れましたが、家人と二人の静かな夕食です。また一年健康でありたいと思います。

 さて、運転会にはまだ堅さの残るGWR Castle単機を持ち込みました。先月の運転会以来動かす機会もなく、軸動ポンプの根元のナットを緩めただけの整備でした。これを会場到着してすぐ動かしました。結果は、前回よりだいぶ良くなっていました。というのも加減弁の開口角を小さくしても前回以上の速度で安定走行します。 長年の酷使で線路の一部が沈んだ箇所が出ていますが、ここが蒸機にとっては難所です。この箇所も低速でも何とかクリア出来るようになりました。排気音はたぶん一番大きく、目を離しても音だけで動いていることを確認できました。

 本日はアルコール500ccを消費、慣らし運転もそろそろ終盤に来たと思いますが、持ち帰ったままになってしまい運転後の変化を観察していません。じっくりチェックするつもりです。

P1010963 流し撮りにチャレンジしたもののご覧の有様になってしまいました。修行が足りません。このタイミングでKさんのC571も快走していました。

ところで本日は、大型機関車が集結し、久しぶりに北裏鐵道らしい雰囲気でした。 まずはH田さんのキャブフォワードです。「動いている姿は珍しいよ。」というご本人談でありますが、まずまずの走りですが、大きな車体の割にはバーナーが小さいのでパワーが蓄積されるまではご苦労されていました。それでも重たいSouthenの客車一編成を牽いて走り回ってました。

P1010957

ついでAZさんのWestern Maryland Shay NO.6です。この機関車は我が鐵道にも在籍していますが、彼の地の石炭ホッパー編成で力強く走っていました。というか余力が残りすぎのようでした。

P1010951

その間、泥沈氏のモスグリーンBR仕様のDuchessや くりさんのRC化されたスターリングシングルEveningstarが走り回っています。まだまだ沢山走っていましたが、自分の機関車の安定走行に懸命になってしまうと周囲が見えなくなり、終わってみると写真はおろか動画も適当でした。 それでも満足な気分で終わった運転会でありました。

そうそう、最後に登場したAZさんの2-6-6-6-アレゲニーでしたが、バーナー不調で残念ながら本日は撤退となりました。ご本人もがっくり、ご苦労様でありました。

次回は早くも十二月運転会ですが、忘年会付きとなるので持って行く機関車を何にするのか楽しい悩みの始まりです。大きなものでは大変なので小型の選択となります。さて何にしましょうかね。小型機が揃ったので余裕の対応が出来ます。 Jumboの手動ポンプが不調のままなので修理する必要はありますけど。


山口判事

2010年11月11日 10時07分03秒 | 佐賀のこと

 すがすがしい朝ですが、マスコミ報道は映像流出者のことで賑々しい限りです。 もともと扱いを間違った情報で逆なでされた政権与党が世評とは違う見解を出し、栄螺の殻に閉じこもろうとしている図に見えてなりません。 国民の過半数はそう思っていないはずという根拠ない見解でなぜ封印しようとしているのかの謎を明らかになければ納得しない人が多数居ると思います。 理由は何となく分かるのにという隔靴掻痒の思いを多くの人が感じていることでしょう。 yahooのミニ調査を見ると統計上は政府司会者の言葉はとんでもない妄言と思いますが? それともyahooは信用できないのでしょうか?(笑)

「民は知らしむべからずよらしむべし」という400年前の指針が政権与党の基本にならないことを願っています。政府コメンテーター(苦笑)の言葉の端々にそれを感じる最近です。

今回の流出事件で反射的に思ったことは、敗戦直後闇米を拒絶し栄養失調で亡くなられた東京地裁・山口判事です。「悪法も法なり」という言葉を残しておられると思います。この方は生まれ故郷の隣町出身の方なので小学校で何回か教わったことがあります。法を破る危険を犯している点では今回の流出事件とは全く逆の位置づけであるにもかかわらず山口判事を思い浮かべたのは何か相通じるものを小生の潜在意識が感じ取ったのでありましょう。

多くの国民が法を逸脱して闇米を是としていた世相に鉄槌を振り下ろした事件であったと思いますが、この一槌と今回の映像放出とが重なってしまいました。 今朝までの報道を見聞きしながら微かな記憶を手繰って掘り起こした古い事件です。 我が故郷にはこのようなへそ曲がり人間が多いのかも知れません。  ネット検索で色々探し出せてたのでネットの威力プラスマイナスを併せて思い知りました。

Dscn4801

 冒頭の堅苦しい話は別として、いいお天気には外回りの仕事や散歩が付きものであります。 やり残した庭仕事やらカメラ散歩が気になるものの土曜日の講義資料の印刷、これを終えたら行動開始です。仕事か遊びかはその時の気分、宮仕えを離れた者の特権ですね。(笑)


車掌車作り再開?

2010年11月09日 06時38分46秒 | からくり情報

 心地よい気候が続いていますが、これももうしばらくすると小寒い日になりそうです。そのせいか色々手を付けたくなるこの頃ですが、全部やっていると幾ら時間があっても足りません。まずは仕事と自分に言い聞かせておりますが、つい余計なことに手を伸ばしてしまいます。リソースへ集中が肝心と云うことは分かっているのですが・・・

なぜかその気になって2005年3月以来中断していた1/24縮尺のCabooseというか車掌車作成を再開してしまいました。確か塗装をどうするかで嫌になったままだったのをこのままでは勿体ないと思ったからです。 Homepageからもこっそりと撤退させてしまいました。 同じ縮尺の機関車が2台になったのでもうそろそろ潮時であると思ったこともあります。 途中経過の写真と思ったのですが、最近は記録写真が疎かとなっているので着手時期に撮っていたものを引っ張り出しました。現在も殆ど変わらないからご容赦ください。

Dc060802 モスボール状態にしていたので紛失したものはなさそうです。これが側面図、楽しそうな車両です。内装もあって、これが悩みの種でした。

Dc110706

この状態に外部を塗装をしたままで保管していましたが、内装は未着手でした。10日前から屋根の作成を始め、まあ何とか曲線が出来たので気をよくして、思い切って塗装作業も始めてしまいました。写真とはイメージは変わったと思います。 屋根の取り付け方法をどうしようかと考えていたことも思い出しましたが、ヒンジ式にして開閉できるようにしてみる気になっています。

やることが溜まっているのでいつまた中断するか分かりませんが、とりあえず再開したことを朝飯前にメモしました。

中断したのが会社を辞めようとしていた頃だったので作るのに嫌気がさしていたのかなと当時を振り返っています。もう五年経ちましたね。既に靄気の彼方になってしまいました。(笑)

さて本日は、金曜日宴会でお話をした方々へメールしなければ、宿題もいただいたことだしそろそろタイムリミットですね。遅くなってすみません。(ペコリ)


西世田谷もよう

2010年11月07日 09時57分37秒 | ぶらり旅

 金曜日の夜は梁山泊のような宴会に参加、都合が悪くてこの集まりへの参加は一年以上あいていました。コアの先生から何人かご紹介いただき、心地よい集まりに時の経つのも忘れていたというのが感想です。ありがとうございました。いつもながら名刺なしの小生でありますのでご紹介いただいた方々に後日メールすることにしましたが、当日のほろ酔い?が残っていたせいかまだ書いておりません。数日中には。(ペコリ)

さて、昨日はこの酒精分を散じるべく世田谷区内を無念無想?で歩いておりました。まず砧公園まで裏道散歩。 異様なほどの住宅建築ラッシュに驚愕しました。景気いいのかなぁ-? エコ補助と金利の安さの影響なんでしょうか? 我が家の裏通りに面した空き地に五軒完成していたのにもビックリ、数年空き地のまま手付かずだった場所です。 桜ヶ丘地域の農地も宅地と化し、砧公園から用賀への道筋の農地も同様です。 朝行ってきたクリーニング屋の小母さんも経堂小学校近辺で大規模宅地造成中と云っていたなぁー。 この状況にはマスコミ報道との違和感を感じます。持っている人は持っているのでしょう。 しかしながら骨董品のような贅沢品には金が回っていないようです。 この先の不安から砦を固めようとしているのでしょうか? といいつつ何もしていない我が家でありますが・・・?

カメラ散歩も試みたのですが、撮る気は今一つでした。まあカメラ散歩をする気になったのも心境の変化が出てきたのかも知れません。

Dsc_9692 D300にエルマー65mm/f3.5というライツのビゾ用レンズを付けて撮ってみましたが、相変わらず破綻のない結果です。60数年前のレンズなのに現代レンズにひけをとりません。古いレンズはデジカメCCDとの相性がなかなかマッチしませんが、このレンズは別格です。好きなレンズの一つです。

用賀近辺でバス専門の小さなお店を発見して入りましたが、模型、ミニカー、書籍などはバスのみの品揃えだったので挨拶して退出しました。バスマニアには堪えられない店と思いますが、車輪の数が少ないせいか小生は無反応でした。じつは、砧公園に着く前に大型ゲージの店・トレインシティに久しぶりに寄るのを楽しみにしていたのですが、土曜日は休業のようで残念でした。

このように地元散歩から長い間遠のいてしまっていたのを反省しつつ歩き回ったせいなのか足を重たく感じる日曜日であります。

Dsc_9707

さて、用賀から三軒茶屋へと回り、さすがに疲れたので東急世田谷線に座って山下へ、豪徳寺商店街をうろつくと最近まであったはずの古道具屋が消え去って車庫になっています。ちと残念。 店の前を通ったのも縁であると自家製ハム店で ボンレスハム、ビアシンケンを多めにゲットしておきました。 とにかく町並みが場所によってはがらっと変わってしまったのを確認させられた散歩となりました。アンテナを上げていなければ地元においてさえ取り残されてしまいそうです。 こんなことを考えるようでは無念無想には遠いのですけど。 ゆりの木公園通りの並木道をラストスパートしていくと我が家は間近です。

Dsc_9712

折角買った肉製品でありますが、たまたま娘と伜が家に寄ったので分け与えてしまいました。何だか甘くなってしまった最近です。(苦笑)