昨日の山登りの後遺症で筋肉痛の一日でした。正確には午後になり更に地球の引力を感じるようになっています。年寄りは反応が遅くなると云うことでしょう。とはいえ我が家の慶事のために衣装合わせに行かなければならない今日は疲れる日でした。
衣装合わせが終わり、家人と倅で彼が小さい頃に住んでいた社宅跡を見に行ったのですが、周囲の変貌に驚きました。社宅は敷地に余裕を残し子供の遊び場もあった14階建ての一棟建てでした。その13階にいたので都心を眺めていました。夜の高速道路のテールライトが記憶に残っています。 ところが敷地一杯に巨大なマンションが建てられていましたが、凄い。隣は出版会社の倉庫で、広いスロープで子供がよく遊んでいたのですが・・・ ここも建物が出来ています。
風呂敷包みを抱えてバス待ちの春風亭柳橋師匠を目撃したこともあります。上野行きのバスが通る街です。その昔は市電がブレーキの火花を散らして下ってきたという伝通院から続く安藤坂のバス停です。
いま思うと江戸の名残が僅かに残る大変懐かしい地ですが、家並みが殆ど高層化してしまいました。
地元の商店街はいわゆる東京都の計画道路がいつの間にか本物になり走り抜けてしまい、しっかり残っていた地域コミュニティが殆ど壊滅したように感じました。僅かに残った見覚えのある蕎麦屋や酒屋を見てホッとしましたが、夏祭りに金魚すくいの小父さんをした商店街が消え去るとは思いもしていなかったことです。数年前に行った時は買い物によく行ったお店の小母さんが「ここはバブルに取り残されたのでよかったわ。」と云っていたのですが。順番に回ってくる社宅の寮長になった際に町内会役員もやったおかげでした。
役員会によく行った諏訪神社を見つけるのに迷いましたが、この一角は残っていました。
ここは後楽園ドームから徒歩10分程度の飯田橋界隈の古い町です。牛天神という神社や野村綺堂の半七捕物帖にも登場する河原河岸町や諏訪町、水道町の後楽町会地区です。 そういえば小石川後楽園が庭代わりでした。 自転車の前後に子供を乗せて高田馬場、秋葉原、上野広小路と走り回っていました。(笑) 子育て時期に住んだ町は懐かしいものです。これが殆ど消えてしまったようで寂しく思いつつこの街を後にしました。
都心の一角に立つと記憶の底に沈んでいた様々なことが思い出されます。どうやら知らないうちに我が故郷の一部になっていたようです。当時2-3歳だった倅は殆ど記憶していなかったようですが、隣のスロープを玩具の車にまたがって滑っていたことは忘れてないようでした。
飯田橋駅です。右手の店は確かロッテリアだったはず。ここでよく食べさせたとは家人談でした。
変わってしまうのが当たり前の東京での変貌にショックを覚えましたが、変わるはずのない(と思っていた)故郷の街が変わることがいかに大ショックであるかを再認識しました。 が、時既に遅し、我が故郷も壊滅してしまいました。