帰京して10日ほど経ちましたが、この間色々あって次第に九州旅行も遠いものになって来ております。12日はあの寒空のもと皇居前で在位20年の奉祝提灯を振っておりました。いい経験でした。その日佐賀県のテントで県事務所の方とバッタリ、いいものは売れてしまったそうで、丸芳露、嬉野紅茶、海苔を手にしていました。
さて10月31日のことでありますが、久しぶりの武雄の朝が明けました。喉が痛い。声が出なくなる前兆でありました。(汗)
宿の前の永島の堤、江戸時代からの灌漑用水地とのことでいい夜明けでした。 昨晩急用で会えなかった友人が送ると迎えに来てくれました。忙しいのにと感謝。今度はゆっくり会いたいものです。持ってきたお土産をドカンと渡してすっかり身軽になりましたこんな具合で今回はさっと来てさっと去るというスケジュールです。
さて、武雄のお土産は、前日まちなか「がばい」で求めた麗人豆と楼門珈琲、特に珈琲は東京の物産展で顔見知りの職員の方から薦められて気に入った珈琲です。 もう一つの大物は図書館が出した「武雄軍団秋田を駆ける」です。駅頭で見付け鞄にしまいましたが、以前から知りたかった内容の資料です。 昭和41年の高校の卒業式で当時の本山市長さんから武雄藩の庄内出陣のことを無智な我々への送る言葉にしていただいたのですが、43年後に具体的なドキュメントとして目にした次第です。このような歴史は意外に語られていません。我が高橋とて同じことです。繰り返し語り続けるしかありません。
幕末のレベルまでとは云いませんが、潜在的な実力は持っているはず、それを具現化する施策を採り続けて欲しいと思いました。佐賀の乱で武雄の科学工業は消し去られた雰囲気がありますね。 そういえば明治20年有田生まれの祖母が親戚の誰それは佐賀の乱に行ったとか行かなかったとか曾祖父から聞いた話をたまにしていました。 宮野の話しかなぁー? 団塊の世代は江戸時代と意外につながっているのです。(笑)
武雄の街も次第に明るくなってきた印象を受けましたが、九州はじめぶらり旅であちこち回るとまだまだこれからと思います。市内外の仲間との横連携でまず底上げを。今後を期待しています。
という心を残しつつ佐賀駅までは各駅停車の旅でのんびり出発したつもりです。 記念に高橋駅の駅標を写し、さて北方、大町と過ぎていくと次第に乗客が増えてきます。快晴無風のもとでの国際バルーン大会のせいでありましょう肥前山口駅では山手線並みの身動きできない混雑です。武雄温泉駅でバルーンの見える右の席に座っていてよかったぁー。
嘉瀬川河畔は既にこのような状況です。朝の競技が終わった後だったせいか降りる客と同じくらいのお客が臨時駅から乗り込んできます。うーん、一大イベントだと感心。結婚式の大荷物があるから降りられないと諦めました。
まだお昼前なので佐賀の街散歩に切り替えました。佐賀市内を歩くのも40年ぶりでしょうか?
佐賀はやっぱり佐嘉・松原神社であると思っていってみると年二回ある骨董市です。嫌いではないのでウロウロ見回っておりました。大変興味深かったのは火縄銃の多さ、うーんいいな。相場も分かった。(笑) 後は日本刀、店の中で抜き身で見ている人もいてびっくり。ただし、店主が作法を教えているのには感心しました。鯉口の切り方、手の持ち替え方、「あんた、そがん持ち替えすると鑑定会では即退場たい。」と怒られている人もあります。さすが九州の骨董市、酔考師匠をご案内して行きたい催しでありました。 カメラ用電池とフェイクの自動巻時計を嘘のような安さでげっと、これなら荷物になりません。あと、松原神社のお守りをいただきました。(笑)
この延長で新装なった佐賀城御殿見学をしてきましたが、此処も立派、後日見てきた熊本城御殿とはコンセプトが違うので優劣付けがたいのですが、贔屓目で佐賀城御殿に軍配を上げました。ハリボテでないものが再現されていくのは嬉しいものです。
ご存じ佐賀城鯱の門、佐賀の乱の弾の跡をじっくり見てきました。
ついでではありますが、この近辺の鐡道唱歌を再掲します。
58. ふたたびかえる鳥栖の駅 線路を西に乗りかえて
ゆけば間もなく佐賀の町 城にはのこる玉のあと
59. つかれあびる武雄の湯 みやげにするは有田焼
めぐる車輪の早岐より 右にわかるる佐世保道
60. 鎮西一の軍港と その名知られて大村の
湾をしめたる佐世保には 我が鎮守府をおかれたり
御殿の一部です。
夕方、家人と落ち合って散歩で聞き込んで見付けた有明海料理の老舗に行きました。ムツゴロウ以下種々の料理を楽しみにしていましたが、はっきり言って駄目。料理の組み合わせ、味付け、接客ともに感心しません。聞き込み時に地元の人もウーンと口ごもっていた意味が分かりました。きつく評価してくれる人が居ないのでしょう。これはいけないなと思った次第。伝統にあぐらをかいている見本のようです。こんな印象は、昔駄目になった箱根の奈良屋以来ですが、杞憂かな?
佐賀の昼間の好印象が料理一つで駄目になる恐ろしいことですね。客観的になれるかなれないかで勝負が分かれるようです。何とかならないものでしょうか? いや、他人事ではないことに気が付きました。(苦笑)
こんな感想でこの日はお終いです。
今回の旅の目的は明日佐賀市で行う甥の結婚式ですが、これは私的なことなので割愛します。大盛り上がりで無事に終わりホッとしました。某公的機関勤務、元気でやってね。