何だか色々用が重なり何もできない「からくり趣味」です。牛の歩みでしか進まぬ仕事に焦燥感を覚えます。そんな時にはバーチャルモノ作り?
本日は会社の同期会でありましたが、そんな具合なのでやむなく欠席しました。(ペコリ)
最近ふと思い出すのが,この電機EF65が牽引していたブルートレインです。もう二度と出現することのないだろう寝台列車を失ったことは鐵道界の大きな損失だったと思います。 鐵道会社が商売人と化したので仕方ないことかも知れません。先人の築いた鐵道魂を金に換えているように思えてなりません。
学校を卒業し上京の際に乗ったのは みずほ でした。三四郎の上京する気持ちを思い浮かべつつの旅であった若かりし頃の話。(^0^)
下関で直流電化区間が終わるので切り離して関門トンネル用電機に付け替え、門司駅で更に九州用交流電気に取り替えるという絵巻物の旅が楽しめたのです。更に昔はDD51,C11などにも途中で変換していた時代もありましたが、その頃は実物には殆ど興味が湧きませんでした。
前後しますが、東京驛での さくら です。狭い場所に押し込められておりますが、栄光の1,2列車の座を守っておりました。この光景も消え去りました。
乗るのが当たり前だった寝台特急だったので意外にも写真は殆どありません。残るのはデジカメを手にして以降のものばかりです。
熊本からみずほで旅立って40数年間、九州行きは緊急でもない限り寝台特急。 そして現代は岡山までの寝台特急で九州へとと頑張っております。
数え切れない程乗ったブルトレ、当時は未来永劫に続くものと考えておりましたが、あっさりと消え去るものですね。そして意外に記録写真を残していません。 確か8mmビデオで撮った関門トンネル通過全記録があったと思うのですが、何処かに沈み込んだままです。さて、Homepageのあちこちで使っていたブルートレインの写真を並べて見ます。ただし、年代は順不同です。
これは はやぶさ、西鹿児島行きがいつの間にか熊本止まりになりました。そして東北新幹線に移ってしまいましたが、今でも違和感たっぷりです。 そして みずほ が先に消えました。
多分熊本駅で自分の乗る始発列車を写したものです。
これは下関で電機交換をしているところです。ヘッドマークが さくら、はやぶさ になっているので さくら が生きていた時代です。いつ頃だろう?
一度は乗ってみたかった個室、グリーン?洗面台が付いていましたが、狭苦しくて嫌いでした。高いのでこれ一度きり。
子供が小さい頃四人部屋の寝台で旅しましたが、気に入ったもののこれも一度きり、そのうち消え去りましたね。
これは さくら 終焉の頃に我が故郷 武雄温泉駅に降り立った時の写真です。実はさくらでこの駅に降り立つのは最初にして最後でした。 酔考氏と有田品評会、いや陶器市見物に行った2004年頃かなぁ-?
最後は旅の始まりと終わりで利用する東京驛、今やドームに変貌しましたがこの姿を懐かしく感じるようになりました。
持ち合わせた僅かばかりのブルトレ写真を並べて往時を思い出してみました。
今日はこれでお終い。何だか気合いが入りません。(^0^;)
翌朝、写真を幾つか追加しました。タイトルは、ブルートレインを悼むとでもしておけば良かったかも知れません。
この電機EF65 ⇒ EF66
個室、グリーン ⇒ A寝台
ですね。
所で、昔は年寄りが「明治は遠くなりにけり」と言っていましたが、さしずめ「昭和は遠くなりにけり」ですかね。
電機は気が付いておりましたが、写真があるから読者は読み替えるだろうという判断。寝台のクラスは実物に疎い私なのでそれらしく書いたところです。客車等々の型番ミスは山ほどあると思います。遊びの世界なのでご容赦の程を。(^0^)
草田男の歌ですね。祖母がよくこれを引き合いにこぼしていました。村田英雄の歌もありました。