OCNの報道?によるとこのブロク人サービスが終了するとか。
長く続きそうな有料サイトを選んだつもりなのにプンプンである。
見栄えをいじるのも面倒なので初期のままズーッと運用してきたのであるが、今更新しいところに引っ越しするのは嫌なのでどうしようかと思案中。先日、父と自分達の引越二つがやっと終わったばっかりなので尚更である。
次はgooのブログのようであるが、どんなものなのか気が向いたら見ておくことにする。移行ツールも出すとのことなので、このままそっくり持って行くことが出来れば続行してもいいかなぁ。
自分の書いた過去記事はhomepageと違い完全に忘れているので全体移行サービスは私にとって必須項目である。
もう少し経ったら真面目に考えることにする。
急な雨でずぶ濡れになり、家で一服。お昼ご飯どうしようかとループ中です。
気分転換にちょっとだけ進んだStirling Single をメモしておきます。
進んだと云ってもエンジンを主台枠に取り付けただけですけどね。
これが今日時点の最終形態です。シリンダ、弁室を主台枠に取り付けました。この先は主動輪、従輪、弁装置の取り付けが待っています。この蒸機の弁装置はスチブンソン式です。
昭和52年に始めた触れたB型SHAYがこの弁装置でした。その次のCLIMAXも同じだったので結構懐かしい機構です。
お馴染みのワルシャート式に巡り会ったのは20年後のJNR9600でした。
余談はさておき
弁室が上下逆転して付くのがこの機関車模型です。この写真にある排気管は弁摺動面の下になります。
ちょっと変わった溝のある面に排気管が付きますが、この作業はずーっと後のことです。
上部からエンジンを見ます。排気管の載る面が分かりと思います。
クロスヘッドとスライドバーもスムーズに動くように取り付けられました。
さて何時の日にこのような姿を見ることが出来るのでしょうか。道遙かであります。
S事務局長の写真をお借りいたしました。ありがとうございます。
四月初めにレンズの話を書きましたが、撮影環境も整わないことからネタ切れです。プライベートなものは割愛中。
今日は久し振りに取り出したレンズが慢性の曇り状態だったことが分かったのでハヤタカメララボへオーバーホールを頼んできました。こんな写りではないと一喝されたので慌てて持って行った次第です。(^0^;)
ちょっと逆光気味の遠景がもやっとした写りです。個別には解像力はあるのですけど楽しくない写りです。
戦前のElmar 3.5cm/f3.5 です。f6.3に絞ってあります。
近接で写してみました。非常口の金属板からの反射でフレアが出ています。(Elmar 3.5cm/f3.5 f4.5)
フレアの出にくい近代レンズで撮るとこんな具合です。画角が違いますが、岩付盆栽に咲く花にピントを合わせました。(Summicron 50mm/f2 f4)
すっきりした写りになって帰ってくるのを待っています。
と云うレンズ掃除のお話でした。お粗末さま。(^0^)
作りかけたままになっているStirling Single 。 ネジが足りなくて止まったところでした。
その後忘却、思い出してみると、
左右のシリンダは組立終えて弁室です。ところがこの弁室は通常のライブと違い上下逆になるタイプです。今見えている弁の摺動面が下向きになります。そのためには弁心棒と滑り弁がスムーズに移動しなければなりません。
が、片側にバリがあったので修正です。
これがスライド弁、蒲鉾がスルスルと上下しなければなりません。
きつい方をちょっと削って左右が同じ感触になりました。
これがエンジン部品のフルセットです。ピストンにクロスヘッドを取り付けました。もちろんロックタイトで固めてあります。
シリンダにスライド棒を取り付けてクロスヘッドを組み合わせました。最初に苦労するところですが、スムーズに動いたので一安心。次は主台枠に取り付けたときにスムーズに動くかどうかが関門です。
弁室に滑り弁を組み込みました。これが弁室の最終的な姿です。もちろん調整は沢山残っていますが、それが楽しみでもあります。
これが現在のスタートラインです。これから足回りの作成開始です。
ちょっと先になるのかなぁー。
汽車作りが色々あって止まってしまいましたが、お手軽な工作として富士山を時間の合間に作っています。
例の やまつみ から発売された富士山と富士五湖を予約していたのが来たので一枚また一枚と積み重ねています。相変わらず遅々として進みませんが、今日は一枚だけ、明日は3枚と気分に合わせて手軽に工作出来るのがいいですね。ただし、切り抜きは微細な箇所が多いので細心の注意を要します。
最初の一枚を貼り付けました。いや、二枚目かな?
レーザーカットは紙一枚で切り繋いでいるから凄い。裏面は糊付きですから作業は楽です。
この富士山は今までのものより微細なものが多いような気がするのですが、その点だけは要注意です。
南側、がまず等高線の変化が出てきます。これを繰り返していった結果が次の写真になりました。
これが最近の姿です。富士五湖ではなく富士四湖、次の一枚で右側に山中湖が出現します。海抜900mがこの写真です。
この先も時間ができたら貼り付けていこうと思います。集中すると世の憂さを忘れるから不思議です。皆さまもこのような工作いかがですか?焦ったら駄目の山岳模型です。(^0^)
連休前に記事を書いたそれっきりになっていますが、色々あって此処に書く気も萎えているのは確か。と云うか文字書きが何となく嫌になっているみたいです。単語がすらすらと出てこないもどかしさが後押ししています。歳のせいか,先日の引越等々から来る疲れなのか定かではありません。考えも無く不平不満やら私的なことを此処に書くのもよろしくないのでつい控え気味になります。(^0^;)
このところ填まっているのは時計でしょうか、方二尺の作業机で扱えるのはこれでしょうかねぇ?とは言え工具なし、知識なしなので怖々やっております。先日到来した古い枕時計。こんなものがあったというご紹介です。
なーんだデジタル時計です。(^0^)
分表示がうまくめくれません。そのうちまともになるだろうと思っていましたが,この状態がズーッと続くのでつい開けることに。(^0^;)
頭部の飾りを取り外すと簡単な歯車です。これで時間表示部を回転させる機構です。
ひっくり返すと簡単な時計機構です。ただし天符は新しいものに取り替えられてプラカバーがついています。これは正しい措置だと思ったのは心臓部である天符に触れるのは厳禁だからです。
適当に分解しているうちにパカッと外れたのでまあいいかで整備しました。この部分が時計です。生み出した時間は中心軸に一回転一時間として取り出されます。
バラしながら仕掛けを逆解析、これも意外に面白いものですが、年とともに面倒になります。更に複雑なさる時計は専門家にお預かり願いましたが、治るかどうか気懸かりです。(^0^;)
さて、この時計の正体ですが、LENZKIRCH と云う古い独逸メーカーでした。製造番号から調べると1905年(明治38年)頃の製品です。100年以上前にデジタル表示があったとは考えもしませんでした。
その目で調べると既に幾つかを知り合いの骨董店で目にしていたのでした。見る物見えず、聞くもの聞こえずのデジタル方式の時計でした。
表示もきちんと出るようになりました。
この時点でまだ仮組立です。ガラスはよく見ると欠けが多いし、ネジも長年にわたる補修のせいで不揃いになっていました。こんな具合ですから骨董的価値は低いので手元に置いて楽しみます。
違ったジャンルの話を拾ってみました。