暇かなと思っても気忙しさが何処かにあるというこのところです。昨日の日曜日は、午後から出入りする案件があり余裕ない日でした。サイクリング日和だったのに・・・。 もっとも地元の会合にも呼ばれていたのですが、こんな具合でパス。動けない最近です。夕暮れからは自由時間があるのですけどね。(^0^)
数年前であったならば、ちょっとした時間を見つけて行き先も決めずに列車に飛び乗りぐるり一回りの旅をやっていたのですが、その一歩が踏み出せない最近です。 歳のせいか、或いは大震災のせいでしょうか? そうでもなさそうですけど。
旅にも色々あって 近所ぶらり、観光地訪問、名所旧跡探訪、路地裏捜索、B級グルメ宴会など人それぞれにノウハウをお持ちだと思います。かくいう私は上に書いた「行方定まらぬ汽車の旅」が一番と思うのですが、これは他人様とには大迷惑の旅のようで家人などは見向きもしてくれません。 「どちらへ?」と聞かれても「さて、私は何処に行くのでしょう?」と返事をするものだから嫌われるのは当たり前です。 その日の お天気、時刻、季節、マスコミ報道そして乗り換え駅毎の列車模様で状況はがらりと変わります。 一番肝心なのは懐具合。(^0^;) 旅に出る自分としても家を出て駅に着くまで悩みながら歩いているのです。我が経堂駅での上り、下り列車の選択次第で一日が大きく違います。切り替わったポイント側には進むことの出来ないまるで人生模様のようです。 この我が儘旅の価値を認めてくれるのはご近所の酔考先輩お一方かも知れません。(ペコリ)
こんな旅の中味はたいてい列車に乗りっぱなしで窓の外をボーッとして眺めていることが多いようです。 人は自宅から100km以上離れると心が別世界に遊ぶようになりストレスは癒やされると書いたものを読んだことがありますが、確かに各駅停車で窓外を流れ去る非日常の光景を見ているだけで心が癒やされます。 こんな気分は私だけかも知れませんので他人様にはお薦めできません。 これを勝手に「窓鐵」と名付けています。 それにNikonD300のように景色を素早く切り取ることの出来るカメラがあれば何よりです。しかしこのカメラ重く感じるようになりました。
諸事重なり日中は近所在の最近なのでこの「窓鐵」が出来ずにストレスの溜まる一方です。仕事が片付いた時点でバーッと飛び出したいものです。
お仕事電話を終えてこんなことを妄想していました。
旅の出発点である我が駅前の変化写真を意味不明に載せました。定点観測って意外に大変であることを撮り溜めた写真で感じます。