雪が積もらずによかったという今朝でした。小雪がまだ舞って結構冷え込んでいます。 湿度が高くて低温というこの条件だと蒸気機関車の煙は最高だろうなとよからぬことを考えてしまいます。自分の吐く息を煙に見立ててシュッポシュッポと子供の頃のようにやってしまいました。 いまの子供達には分からない遊びでしょう。
この吐く白い息を見ながら夢想したことを書き連ねてみました。
蒸気機関車はその非効率さゆえにディーゼルや電機へ移行したと我が国では軽くあしらわれてきました。私もそんなものかと思っていたのですが、蒸気で動く模型・ライブスチームを楽しむようになり、その技術史を探っていると教わったような単純なことではなさそうです。
技術が完成の域に達すると新たな技術が生まれると云われますが、その実は、完成レベルに至るまでの技術を積み上げる過程で会得したノウハウが新たなものを産み出すということのようですね。 その観点で眺めると日本の技術は果たして次を産み出し得るだろうかとちと心配な最近です。顕著な例としてインターネットを支えるTCP/IPなどの基盤ソフトウェアを創る人が激減していることです。知っている人、使う人は沢山いるのですが、手を染めている人は稀なのです・・・
と遁世人が云っても仕方ありませんので汽車ぽっぽの歴史を斉藤晃氏の本(蒸気機関車200年史等)を楽しく紐解いてみると驚愕すべき技術競争の連続です。(以下の蘊蓄は、この本から貰いました。)
特に欧州でのそれは凄ましい。いい意味での切磋琢磨の結果、お国柄というべき蒸気機関車を産み出しています。これはライブスチームをやっていなければ全く気が付かなかったことでした。技術の頂点の一つが英国型蒸気機関車であり、もう一方が意外なことに仏蘭西の蒸気機関車です。新幹線を抜く驚愕の速度でTGVを運行しているのはここに原点があるのだと思います。 独逸はその中間でしょうか。独逸の技術をベースとした鐡道省・国鉄は独占企業体ということもあってほぼ同じ設計思想で機関車を作って来たことを客観的に理解出来ました。 私が日本型蒸気機関車の構造をワンパターンだなと思ってしまうのはここから来ているようです。JR東日本は現在もDBと親しいと思います。
よく知られている蒸気機関車の速度の世界最高記録は三気筒英国A4型マラード号で202.7km/hです。当方で組み立てた四気筒Duchessの実機はいきなり183.4km/hを出した記録もあり多士済済の機関車群には技術の厚みを感じます。そして英国民の機関車好きにも納得です。
終焉期の仏蘭西の蒸気機関車は、コンパウンドエキスパンションエンジン(複式蒸気機関)を備え史上最高の経済効率を達成しています。見かけは148噸4-8-4の構成であるものの、出力は5500馬力となり、米国の200噸級機関車に引けをとらない水準とか。 要素技術は、シャプロンが札付き不調機関車に施した蒸気通路の抵抗軽減、過熱温度上昇、キルシャップ排気装置装着 にあります。それに給水温め器。 これで出力を3000馬力に倍増したので俗にシャプロン・マジックと云われているそうです。
160噸程度?の日本のC62(4-6-4)の出力は、確か1650馬力ほど、標準軌と狭軌の違いはあるものの驚くべき出力差です。必要なかったといえばそれまでですが進化を止めていたせいだと思えてなりません。
日本で終焉期に採られたのは排気装置にギースル・エゼクターをオーストリアから導入したことです。 ここにも自主開発の態度はなかったようです。 9600型機関車の煙室を大型化し4-8-0構成にし、キルシャップ排気装置にダブルブラストとして延命化を図れなかったかと思うと楽しくなります。基本設計が違うので難しいとは思いますけどね。
対極にある亜米利加ではそのお国柄なりの発展を続け、その結論はBigboyに代表される巨大な強力機関車を生み出しています。機関車製造に付随する技術も自動車産業とも相まって当時としては素晴らしいものを多数持っています。日本の蒸気機関車は最後までローラベアリングやボールベアリングを使っていなかったのだと驚いたのもこの趣味のおかげです。 そしてシリンダと主台枠の一体鋳造もまず日本では出来なかった技術だと思いました。姿形だけでなくその構造やからくりに目を向けると意外な発見が出来るのが何よりです。
この蒸気機関車発展のプロセスと同等のことを経験させ育むことがこの先の日本に欠かせない姿勢であるだろうなとボンヤリ考える最近です。 先日の仕分けと違いどの國も世界一を目指して頑張ってきたのです。 手を抜いてはいけません。 目先のことを程々にやることが 「匠の呪縛」にいう日本の弱点は、「理論」、「システム」、「ソフトウェア」 と云われるようになった所以かなと、たかが汽車ポッポで悩むことから至り着きました。