からくり出張所

様々なからくりを徒然なるままに書くつもりです。
明るく楽しい趣味Blogが目標。
毎日ほっこりと。(^0^)

大規模維持運転(汗)

2010年03月27日 23時38分11秒 | からくり情報

 24日から所用ついでに福井から米原へ出かけていました。ブログも五日間のお休みでした。その話はまたの機会に譲り、この一週間「からくり」から離れていた反動から実施したライブスチームの維持運転の顛末です。

 種蒔きの季節となり僅かに頭を出してきた芽に不織布を被せ終え、ポカポカした日差しの下で、この数年火を入れていなかった機関車を中心に運転を始めました。農作業片手間では三台が限界であることも分かりました。 普段やっていると手際ももう少しいいと思うのですが、歳のせいも加わり不器用な運転となってしまいました。途中に修理も入ったのでなおさらです。

運転のあらましは以下の通りです。翌日見直して備忘録として補正しておきました。

一台目はたまに動かしていたLMS Duchess、次いで二年ぶりの火入れのBerkshare、三台目は一年ぶりのC622です。これら機関車を運転場?に一気に拡げてしまったので終了するまで身動きできません。おまけに菜園整備までやったのですから。(汗)

Dc032707 とりあえずこんな置き方で運転を始めました。コロはブロックの上に固定せずにおいたままです。これでたいていの機関車は安定して動きます。

Dc032710Duchessは いつでも運転できるようにベランダに置いてあったのですが、結局半年以上放置したままだったせいかバーナーの点火から燃焼が悪く昇圧が遅くてなりません。バーナー交換時期かと悩んだくらいです。 ところが運転を続けていくと次第に調子が戻り、実物のような轟音を立てて動来始めました。英国最強の機関車と云われている四気筒の力を発揮したのでとりあえず合格点をあげられそうです。運転回数が多いせいかあちらこちらに傷が目立ちますが、極めて高性能の信頼性の高い機関車です。 JAMで周回運転中に内側クロスヘッドピンが緩んでしまう事故がありましたが、帰って慎重な整備をするようになりました。 もう一つ、主連棒とクランクピンのクリアランス不足で曲がってしまいましたが、くりさんが原因を発見してくれたのでその後トラブルは発生していません。0.1-0.2mm程度の隙間不足でした。軸動ポンプの注水量も問題ありません。

Dc032714 45mmとしては巨大なBerkshareですが、火を入れるのが大変で静態保存になっていました。 完全なる不動は機械によくないことは分かっていたのですが、案の定トラブルが発生、注水弁のベアリングが弁座に固着しており、テンダーの水圧ポンプで冷水、温水と変えながら圧力をかけてみたものの結局バイトン製パイプが亀裂し取り替えとなりました。 エアを送りつつ注水弁をドライバヘッドでコツコツ叩くことであっけなく修復しました。 次に動かしたC622も長期間放置していたのですがこのトラブルはありません。おそらくBerkshare発売以降に起きる問題かも知れません。ベアリング精度向上に依る問題という人が多いのですが、定かではありません。 最近のアスターホビー製機関車をお持ちの方は、要注意です。

運転は4本バーナーとブリックアーチのおかげで大変安定しています。気になっていた軸動ポンプの注水量も固定運転では問題ありません。シリンダーからのドレイン排出も確実に作動しました。米国型によく見受けるベーカー弁の動作も安定していました。それにしても大きな機関車です。Bigboyをお持ちの方の維持の苦労を垣間見ました。(笑)

Dc032718 お馴染みの日本國有鐡道・C622です。この機関車も意外なことにしばらく動かしていませんでした。15時過ぎて気温が下がってきたのでガス釜には不安が伴います。 案の定初回は5分ほどでガス欠となったのはコツを忘れていたからです。二回目は30分以上燃えたのでこのコツを忘れぬよう注意せねばと初心に返りました。 専用の注入器具を使っても意外に難しいのがガスタンクへの充填作業です。

 運転はトラブルもなく終了しましたが、課題は二つ。ガス釜につき神経質に水を入れすぎたせいか時折水気の多い蒸気を出してしまいました。適正水量を会得する必要があります。

もう一つはテンダー接続に特殊なコネクターを使ってあるために本体単独での水抜きが面倒です。ボイラー排水孔から空気を入れてエンジンの水を抜くとともにボイラー水はエアパイプの抜きさして対処しました。 新しい部品を使うことはいいのですが、長期間楽しむライブスチームはメンテナンスを考えての設計が重要だと思います。

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本日は運転実績のある機関車を動かしたにもかかわらず、ある期間静態保存すると一様に調子が落ちるようです。もっとこまめに動かすか、手入れの行き届く台数に留めておくのか考えなければいけないようです。 クラシックカメラでも全く同じことが云えるので悩みは深いのです。(苦笑)

たった三台されど三台、手入れまで含めてやってみると実に大変でした。後半は寒風に攻められましたが、止めるわけにも行かず「年寄りの冷や水の図」と家族に笑われつつの作業になってしまいました。手の感覚が無くなるほどの寒い夕方になりました。

各蒸気機関車の詳細は、こちらをご覧下さい。

しかしながら、地面に引いた線路が欲しいものです。いや、地面だと腰に来ます。今日は腰痛持ちにつらい姿勢でした。

本日の教訓

機械は動かさねば不調となる。人の体もまた同じ。


冷蔵庫の謎

2010年03月22日 23時14分50秒 | からくり情報

 昨日はすごい風でした。おかげで予定した旅行がパーです。

 一年の締めが終わったし、下期の講義計画も提出したし、やっとのんびりしようと熱海市・初島に半年ぶりに上陸しようとしたら船が欠航。 少々の嵐でも運行する船が止まったのはよっぽど荒れたのでしょう。 三連休とあって別の宿も取れそうもなく当日の朝中止と決めました。当日の公共交通もめちゃめちゃの状況で身動きのとれなかった一日でした。 彼岸の中日に出かけようとした仏罰か? 今日の50km渋滞という帰路の高速道路報道を見て、「出かけなくてよかったね。」と家族で慰め合っていました。(汗) この6-7年で欠航経験は二度目ですが、連絡が早かったので途中Uターンでなくて幸いでした。 

おかげで予定が空いてしまった本日は、年末から考えていた10数年ぶりの冷蔵庫の取り替えプロジェクトになってしまいました。製氷機能がよく壊れる現冷蔵庫を退役させ新たなものを就航させます。 もちろん低電力化でエコポイントも頂戴するのです。

10年?ぶりの買い物で想定外だったのは野菜室の位置でした。 近年の冷蔵庫は、数段に分離した冷蔵・冷凍室と両開き扉が主流です。我が家の3代目の冷蔵庫は上から冷蔵室、野菜室、冷凍室にの3つに分離され消費電力は更改の度に激減してきました。

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 で、貯蔵室の順序は、上記が当たり前だと思っていたのは大間違いで 一社を除き 冷蔵室 -> 冷凍室 -> 野菜室 と中段に冷凍室を置いているのが日本メーカーの現状です。 しかも冷凍室の容量が大きく製氷、急速冷凍室と新たな扉もできています。

 腰をかがめて白菜、キャベツ、大根などの大型野菜を最下段から出し入れするのは歳とともにつらくなりそうです。 が、冷凍食品優先(と見える)位置は、生野菜の出し入れよりも冷凍食品の利用が大きく増えたことを証明する事例のようです。

単純な発想でありますが、野菜室の位置が最下部になったことは日本の食生活が素材調理から調理済み食品の再加工に変化した証明ではないでしょうか?それにともなって食生活も大きく変化したのではと云うのは専門家の家人です。

冷蔵庫の所有&最大利用者である家人は他メーカーの新機能を退けて 野菜室優先 とし、T社 に決定しました。 この会社しか選択の余地がないので仕方ありません。  T社が狙ったのがこのことであれば年配者に嬉しい販売上の判断と思いました。

 本日のプロジェクトの感想は以上です。 我が家のように腰痛持ちから見ると当たり前の判断と言えそうですが、各社とも主要製品からいつの間にかユーザの選択の余地をなくしたのはどうしたことでしょうか? 機能的には他社と同等なので不満はないのですけど比較検討で悩まなかったせいか違和感も残ります。

 物理的に考えると低温部は下部、温度の高い部位は上というのが構造的に素直でしょう。新調する冷蔵庫も上下二つに分離し温度制御するように作られているようです。贔屓目になりますが他社よりもまともな設計だと思います。 しかしながら他のメーカーが野菜室上部版を残さなかったのは謎です。 生産ラインを増やしたくなかったからでしょうか?或いはもっと大きな利点があるからでしょうか?  謎です。(苦笑)

さて、皆さんのお宅ではどのような冷蔵庫をお使いですか?

そういえばもう一つの謎を思い出しました。電力会社が売る IH ヒーティングです。 IH いわゆる 鉄損 で熱する方法が生火を使うガス器具にも負けない熱効率であると思わせる宣伝ですが、そうなのかなぁ-? 理科で教わったことに反するとずーっと考えています。  機器を入れた総合的価格戦術のせいだろうか?  謎だぁー(苦笑)


お彼岸の一日

2010年03月20日 22時20分11秒 | 地元ネタ

 明日は彼岸の中日ですが、出かけるので今日お墓参りをしてきました。暖かくていいお天気と云いたいところですが、風が強くて物干し竿の支柱が煽られて倒れるほどです。 それでもお寺には結構な墓参りの人が集まっていました。ついこの間秋の彼岸だったような気がするのにあっという間の半年です。 感じるのは時の流れ、年とともに加速度的な速さになっています。端的只今で 6月に法事を予定しているのでお寺にご挨拶して帰宅しました。 この後、ミニご近所散歩で帰りました。

 町の片隅に春だなぁーという意外なものを発見、我が家の近くでこんな光景を見つけるとは思いもしませんでした。一年ほど前にできた空き地ですが持ってきた土に土筆の胞子が混じっていたのだと思われます。 土筆が大好物という酔考さんに緊急連絡したのですが、アンテナが高い方なので既にご存じであったのは流石であります。恐れ入りました。 とはいえ、色々訳ありでお互い採りには入れないようです。(苦笑)

Dc032002お酒のつまみの 土筆の卵とじ や 和え物 が浮かびますが、実は子供の頃は全く食べたことがありませんでした。食べる習慣がなかったのか、調理するのが面倒だったのか???謎です。

帰宅後、耕したままだった菜園に手始めとして春菊と二十日大根の紅白二種類を蒔いておきました。今夜から暴風のようです、雨が降るかどうか分からないのでしっかり水をかけましたが、さて明日はあるいは暴風雨の中を出かけることになるのでしょうか?


工場あらため

2010年03月18日 23時36分08秒 | からくり情報

 やっとメインの仕事が終わり腑抜けになってしまった気がする時期に、何故か自宅での会議が続いています。 その結果遊び道具を置けない殺風景な部屋になっています。 昨日も打ち合わせが延びて13時半になってしまいました。もうそろそろ遊び時間が出来る時期なのですが、今年はもう少し続きそうです。 しかしながら「忙中閑あり」であります。何処かに行こうという気持ちが頭をもたげてきます。18切符あと4枚。

ところで仕事に追われていると工場整理が進みません。そういえばレイアウト開通式に向けて整理中でありました。大物をヤフオクに並べスペースを確保する試みに着手しましたが、手間が半端ではありません。特に複数売ってしまうと不慣れで混乱してしまいます。 間違わぬように にわか商人は落ち着きませんが、 この努力で少しずつスペースができてきそうです。 本日は自転車マシンを別の場所へ移動したので床が見え始めました。(苦笑)

 Nゲージを入れた引き出しの底からは長期間行方不明だったUPの大型ディーゼル機関車U50を発見しました。更に別のDL一台も・・・・。貨車の下に置いていたことを忘れていたようです。こんな具合に色々掘り当ててしまいます。(苦笑)

U50 これが数年間いなくなっていたU50です。注油して周回させているうちに調子が戻りました。30数年前の製品ですが、当時の日本製は丈夫です。

U50を隠していた貨車群も珍品(笑)30年前から次第にたまったものが地層を形成しています。 米国貨車はイラストが面白いのでついつい集めてしまいました。大統領顔入り商品やビール看板、ケチャップ、政治スローガン等々あります。体系的に整理すると面白いコレクションになりそうです。 と思ってしまうからガラクタが増えるのでしょう。いや、ガラクタでないことは確かでありますが。(苦笑) 骨董コレクターも似たり寄ったりの気持ちなんでしょう。Dc031907

工場の入り口には行き先の決まらない狙撃カメラケースが転がったままです。邪魔なので何とかならないものでしょうか?

このような具合で整理に取りかかりレイアウトの下の小型タンスをやっと定位置に移動したので何だか片付けが軌道に乗ってきたような気がします。とは云え並んだ本や汽車ぽっぽに手を出すとそこで作業は中断。 そのタイミングで17時からの打ち合わせを思い出して工場を撤収しました。

何だか気分が乗らず埋め草記事になったようです。御容赦下さい。

Dc031901 翌朝撮ったおまけの写真です。見つかったU50をやっと納めることができたユニオンパシフィックボックスです。

上下の機関車が曲がって見えるのはこのデジカメのレンズのせいです。広角側がどうしても曲がってしまいます。


春の作業が増えました

2010年03月16日 09時37分47秒 | 園芸

 夜中の豪雨、目覚めたら青空の東京です。そろそろ種蒔きをと思って空いた時間を見計らいながら菜園の準備をしていましたが、土が湿りすぎているので今日は中止です。手始めに二十日大根をと思っています。 昨年の農園日記を開くと忘れてしまったことが色々書いてありますが、やはりメモは重要です。本格的農家でも日誌を付けているところと勘でやるところとでは作業効率が違うだろうなぁーと にわか農民 は考えていました。 それにしてもこの季節は、目がかゆい、顔がカサカサするという花粉症の兆候を感じますが、相手に感づかれぬよう知らんぷりしています。(苦笑)

Dc031528 準備できた場所、此処はキュウリと葉物を予定しているメインエリア(汗) 別の狭いエリアにはジャガ芋を植え付け終わりました。

これからの大物ではあとはトマトでしょうか?狭い面積を使うにはどうしても立体的な仕立てを考えてしまいます。

いつの間にか福寿草が終わり、ボケと杏の花盛り、枝垂れ櫻が順番待ちの様子になってきました。これから忙しい季節の到来ですが、腱鞘炎再発に注意しながらの作業になりそうです。

Dc031538 木瓜の花、実を付けてくれるといいのですが、この数年数個止まりです。

色々手入れを始めると全く外出できない日が続きそうです。見てみないふりをすると檄が飛んでくるし、青春18切符もまだ未消化だしと悩みは尽きません。

Dc031502 そうそう、蜻蛉池での産卵直後の写真です。既に真っ黒になりそろそろ泳ぎ出すかも知れません。 今年の蛙達はパーッと集まりパーッといなくなったという特異な年になりました。

さて作業開始です。農作業ではありませんけど。


吉祥寺北裏鉄道3月運転会

2010年03月14日 22時59分30秒 | からくり情報

 春うららの一日でありました。本日は3月の北裏鐡道運転会の日でした。 が、早引けしたので半分だけのレポートです。それでも自分の機関車を運転しない日はゆっくり皆さんの機関車を眺めることができるので充実の時間でした。それに技術談議にも花が咲きました。 とはいえ、2月21日の運転会から日が経っていないので今回は出席率も悪かったようです。私は手ぶら、半日出勤です。

Dc031412 自作派Y野さんのDuchessは、美しいグリーンの長編成を牽いて快走していました。 いつ見ても好調な走りです。

Dc031410 K田さんの編成は久しぶりの登場です。と云うのも私よりもあとに到着だったので久々拝見しました。

Dc031417 これしか撮っていませんでした。グラスガテンの焚き口です。特殊な機関車ですね。からくり名人H賀氏のものですが、この小さな機関車に色々企画中の模様です。「え、まさか石炭炊き!」(笑) 

Dc031419 そして、満鐡パシナ、塗装をしての登場でした。 此処で時間切れのために走行する場面は拝見出来ませんでした。 その写真は後日、事務局長さんより拝借したいと思っています。

ライブ談義に忙しくて、結局これぐらいしか写していませんでした。

泥沈さんと一緒に早引け、予定通り早めに帰宅できたので叱られずにホッとしました。


春の18切符初手の旅

2010年03月13日 09時43分22秒 | ぶらり旅

 春の青春18切符の季節になりましたが、仕事が飛び飛びに入るのでなかなか御神輿を上げることができません。一昨日(3月11日)、朝からの好天に誘われて思い切って出発しました。その気になったのが8時頃ですから遠出は出来ません。仕事も先延ばしにするという現役時代には考えられぬことにし、家人には「多分栃木か、水戸から海岸沿いに千葉経由で戻り。」と告げての青春18切符春の旅に出発です。

 湘南新宿ラインがトラブルで大幅遅れが目に入ったので上野へでました。ところが通勤時間の終わった常磐線は松戸などの手前止まりばかりです。水戸まで行きません。 それでは東北本線だと進路変更で結局新宿で列車を待ってもよかった選択になりました.途中で遅れている新宿経由の列車にも抜かれましたが、これが人生、いや列車の旅は何があるか分からない人生のそのものようで悲しくもあり楽しくもあります。これだから止められません。(苦笑)

小山です、両毛線への接続がぴったりなので 「多分栃木散歩になるだろう」という予感で此処で乗り換えです。 が、空いたボックスシートにのんびり腰をおろすと二駅目の栃木では降りる気が失せてしまいました。この列車の終着は古い工業の町桐生です。何度か降りていますが、散歩するのにいい町です。 散歩を誘ってくれる町というのはどういうものだろうかと常々考えますが、まだ漠としていますので自分なりに整理せねばと今思いつきました。

終点桐生、時刻表を見るとまだ乗車したことのない わたらせ渓谷鐡道・間藤行きが20分待ちで出ます。これに乗ってしまうと予定時間オーバーの遅帰りですが、こんな好機も滅多にないので一両のディーゼル車に乗りました。もちろんコース外なので有料、往復で2100円ですが、乗り降り自由のフリー切符で1800円を選び、折り返すことにしました。

ということでまたもやコース変更。

先日の雪の残る路線をひた走って一時間余、足尾銅山跡を眺めつつ終点間藤駅に至りました。

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このルートを一言で言えば、昨秋蒸気機関車ひとよし号で球磨川に沿って人吉までの旅とよく似ていました。もちろん流量豊富な球磨川と僅かな流れの渡良瀬川では印象は異なるのでミニ肥薩線とでも云えるようです。 過疎化、乗車率の低下でローカル線の悩みは尽きないようでしたが、首都圏近郊?という地の利をもっと活かせないのかなとも思いました。初乗りの私が云うようではまだ乗ったことない人がごまんといると思います。春夏秋冬楽しめる路線ですね。

Dc031218 半径144mの急カーブ、もとは国鉄足尾線、このカーブと急坂を砂撒きしつつ走った蒸気機関車を想像していました。今でも雨の日や落ち葉の季節には砂撒きしながら登るようです。 そうそう、列車には赤い制服のアテンダントが大間々から乗車し窓外の風景を解説してくれたのはお楽しみでした。棒読みアナウンスはご愛敬。もう少し季節感のアドリブが欲しいところでした。

Dc031210このような駅がありました。大都会であります。(笑)

往復三時間をこの路線に費やしたので高崎から八高線というルートを諦めて最短コースの小山戻りにしてしまいました。金に糸目を付けないのであれば相老という駅で東武特急に乗り換えられたのですが、18切符の趣旨を厳守し各駅停車の旅にしました。 時刻表を持たない旅でしたが、それでも何とか21時には帰り着けました。 慌ただしく食事時間もない一日で 「駅弁の代わりにかじるスルメなり」 という状態でした。 それでも無事旅が出来たのでよしといたします。

忘れないうちにメモ代わりの雑文、御容赦の程を。


師弟の和熟

2010年03月09日 13時08分42秒 | 偶成

 寒さが緩んだあとの寒気、ものすごく寒く感じてしまいます。風邪に注意致しましょう。 この寒さの中、趣味リストラの一環として荷造りをやっていましたが、先ほど終了しました。ベランダだからいいかとコートを羽織らずに作業していたので一段と寒さが堪えました。

ところで、世の中は不登校のことが話題になっていますが、普通に考えると学校側から生徒を特定出来るような発表はあってはならないことと思います。一般人であれば大騒ぎするようなことがまかり通るのは何か恣意的なことが裏にあるのかなぁーと考えてしまいます。 これで困るのは、不登校と云われたご本人と騒ぎまくったという生徒達です。もちろんご家族はもっと大変でしょう。他人様のことながら両サイドとも可哀想でこの先どうなることかと気懸かりです。 学校側の動きは、教育するという組織の動きとはとうてい思えないと考えます。

 その昔、夏目漱石が熊本の第五高等学校教授時代に開校記念式典で読んだ祝辞に「夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ師弟ノ和熟ハ育英ノ大本タリ」という節があります。このようなコンセプトで教育が行われた往時と現在とは当然のことながら隔世の感がありますが、少なくとも師弟の和熟は必須と思いますし、教育は国の礎というのも今でも通用する話です。 マスコミを賑わす北教祖や日教組のスタンスにはこの発想は全く見えず自己の組織をいかに守って勢力を拡大することしかなさそうです。 このようなバックに支えられた先生方も村八分を避けての教育しかできないだろうなと半分同情申し上げます。 検索してみると「師弟の和熟」をモットーにしている学校もあってちょっとホッとしました。

 かくいう私も一年のうち半年間は臨時教育者になって居るので心しなければならないなと思う最近です。下期のシラバスを出す時期が迫っていますので何か目玉を考えようとあせり始めました。

以下、備忘録として祝辞全文を掲載してあったサイトから転載させていただきました。改行が分かりづらい点はご容赦ください。

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第五高等学校開校十周年記念式祝辞

祝辞
本日本校創業ノ記念日ニ当リ、我等モ聊カ所感ヲ述ベ、并テ諸子ニ告ゲ以テ今日ノ祝詞トセム。夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ、師弟ノ和熟ハ育英ノ大本タリ
師ノ弟子ヲ遇スルコト路人ノ如ク、弟子ノ師ヲ視ルコト秦越ノ如クンバ、教育全ク絶エテ国家ノ元気沮喪セム。諸子笈ヲ負テ斯校ニ遊フ。必ス当ニ校舎ヲ以テ吾家トナスノ覚悟アルヘキナリ。若然ラスシテ放逸喧擾妄ニ校紀ヲ紊乱セバ、我其心ト学校トノ間白雲千里ナルヲ見ル而已。夫レ天人一体自他無別ト言ヘリ。
斯クナラデハ学校ノ隆盛ハ期シガタキゾカシ。サレバ此記念日モ、往シ昔ノ忘形見ニシテ一日ノ歓楽ヲ尽スモ、益此ノ校ヲ光大ニシテ聖恩ニ報イ奉ラントテ也。況テヤ今日ハ国家岌々ノ時ナリ。濫費ノ日ニ多キハ内憂ナリ。強国ノ隙ヲ窺フハ外患ナリ。思テ茲ニ至レバ寝食モ安カラヌコトナリ。殊ニ薄志弱行ノ徒ハ人ノ色ヲ見テ移リ、利ノ多少ヲ聞テ走ル恰浮草ノ如シ。豈浩歎ノ限ナラスヤ。
諸子能々此ニ目ヲ着ケ、規則遵奉校友相和シ孜々トシテ学ヲ勉メバ、唯本校ノ面目ナルノミナラス亦国家ノ幸福ナリ。諸子今学生タリト雖トモ、其一言一動ハ即国家ノ全局ニ影響スルナリ。佐久間象山我四十ニシテ斯身ノ天下ニ関スルコトヲ知ルトイヘリ。象山ノ人傑ニシテ始テ然ルニアラス。中等ノ人士モ然リ。
下等ノ匹夫匹婦モ亦然リ。則チ学校一致ノ観念ナキハ其校全体ノ破綻ニシテ亦国家教育ノ陵夷ナリ。懼テ且戒メサルヘケンヤ。是ヲ祝規トス。諸子之ヲ諒セヨ。
明治三十年十月十日
               第五高等学校教員総代
教授 夏目金之助


整理整理!

2010年03月08日 12時41分20秒 | からくり情報

 此処に書くのが空いてしまいましたが、どうやら根を詰めることがあるとその反動が起きてしまうようです。仕事でも遊びでも同じ傾向にあります。 土曜日は、ほぼ終日、赤堤生涯学習センターに捕捉されておりました。午前中は6月12日(土)に赤堤小学校で開催する「ふれあいサンデー」実行委員会とその反省会で帰宅は遅い時間になってしまいました。 途中抜け出して雨の中を酔考さんと散歩したので1万歩を超える歩きも混じっていますけど。(苦笑)

17時に戻って反省会を始めたのですが、20時過ぎからアルコール抜きでまた議事が始まってしまいました。真面目集団なので結局そのまま十時近くまで会議。会社ほどではありませんが、久しぶりに勤めに出た気分でした。 別に嫌なわけではありませんが、時間の流れが長すぎる感覚でありました。結局反省会の反省会を酔考さんと遂行しました。(苦笑)

ところで前にも書いたように色々ゴミ整理中、詳しくは後日談でしか書けませんが、色々面白いものが出現し見とれてはさてどうするかとのんびりした作業が続きそうです。お宝から馬鹿馬鹿しいものまで何故此のようなものを集合させたのか我ながらおかしくてたまりません。それに、記憶にはあるものの何処に行ったか分からなくなったものの色々あります。 趣味のリストラ人生見直し推進ルネッサンス中というところでありましょう。

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こんな自動車が出てきましたが、とっておき(笑)の飛行機が見つかりません。何処かへ飛んでいってしまったのでしょうか?

今日は先ほど土曜日の議事録を書いていました。


十五代・辻常陸陶芸展

2010年03月04日 21時48分23秒 | 佐賀のこと

 前の話のようにゴミ整理など余分な話が出て来るようになったのは仕事が少しピークを過ぎたのかも知れません。 新宿で用を済ませ、思い出したのは表記展示会です。あまり時間がなかったのですがついでに渋谷まで足を延ばして鑑賞してきました。知る人ぞ知る有田の名窯です。有田町の象徴としてこの窯のトンバイ塀と玄関がよくマスコミなどにとりあげられます。

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佐賀藩御用ではなく禁裏御用と云われているのがミソで、一般には目に付かなかったのだろうと思います。先代の十四代辻常陸さんには友人の父君として東京でよくお目にかかっておりました。鶴瓶の「家族に乾杯」に出られたのをたまたま録画していたので友人にあげたのですが、その後急逝されたのは残念でした。96歳であったかと? 明治初期?偶然、曾祖父同士が知り合いor仲間だったせいか古い御用品が何故が我が家に幾つか転がっていました。これは精磁会社のものなのでそのものではありませんが、関係品と思います。

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という展示会を主催する子孫は高校同期で呑み仲間でありますが、歳とともに酒量も減ってそろそろ茶飲み友達になろうとしています。 ところが本日は不在のタイミングに寄ったようで出会えず残念、土曜日あたりにあらためて行ってみるつもりです。 呉須と特徴のある白の精磁、高くて買えませんが目の保養にお出かけ下さい。

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渋谷東急東横店・南館8階で 3月4日~10日 までやっています。

生まれ故郷のイベントを聞くと石川啄木ではありませんが「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」という彼のうたが何となく浮かんでくる心境になって来ます。 そういえば故郷の市長選ももうすぐです。 この沈滞したご時世でありますが、東京からの見通しが次第によくなってきた佐賀県武雄市が今以上に見渡せるように樋渡さんに更に頑張って貰いたいと思う最近です。