からくり出張所

様々なからくりを徒然なるままに書くつもりです。
明るく楽しい趣味Blogが目標。
毎日ほっこりと。(^0^)

九州漫遊・焼き物

2006年02月28日 10時52分31秒 | 佐賀のこと

 九州、それも佐賀へ行く楽しみの一つに焼き物行脚があります。そのメッカは有田唐津と云うことになりますが、実は武雄市にも黒牟田焼弓野焼など古くからの窯が幾つかあります。元々は朝鮮からの陶工達が土を探して歩き回り県内の至る所で定住し焼き物を始めた場所の一つのようです。時間軸を追っていくと肥前での焼き物の歴史が分かるかも知れませんが、そこまでの知識はありません。ただ武雄市武内町の黒牟田焼の里には一山が陶片という文化財?がありますから恐ろしく古い窯であることは間違いありません。一昨年はこの黒牟田の丸田窯を拝見し手になじむ酒器やら高台の器を入手しました。 今年はちょっと離れた場所にある金子窯にお邪魔をしご当主からお昼のビールを振る舞われ恐縮した次第です。抹茶茶碗のすてきなものがあったのですが、旅先ゆえに値段を聞くのを恐れてしまいました。大蔵大臣を同伴していないとなかなか冒険はできません。(汗) それでは猪口をといったところ、先生がガラガラと持ってこられ、「好いたとば持っていきんしゃい」と仰せになり有り難く頂戴しました。家に持ち帰ったところカミさんが気に入ってお酒ならぬおつまみ入れにしてしまいましたが、地味ながらも食材が栄えること、飾らぬ豪快な金子先生ありがとうございました。

ペンション・ピクニックの裏にはすてきな茶陶器を焼いている新しい窯があります。一昨年はお茶ならぬ唐津の銚子を購入し愛用しています。友人によるとご当主が茶道を理解して焼いた道具はなかなかなものとのこと。 ということなので今回は古唐津の抹茶茶碗を格安で恐る恐る入手し、カミさんへの土産にしました。食器購入禁止令のある我が家でもこれは気に入って機嫌良く貰ってくれました。(笑)

茶陶 汲古窯 峰松義人氏 0954-23-7401 であります。

武雄にはこの他、日本でも有名な中島宏さんが西川登の弓野?で青磁を焼いています。白の萬二、黒の龍山、青の中島といえばお分かりの方も多いと思います。

その有田へも足を伸ばしました。もっとも曾祖父母の墓参りでしたが、友人の実家の前を通り、ふと思いついてこの窯のお店を鑑賞に立ち寄りました。辻精磁社というDc021441_1 有田のトップブランドです。その昔、曾祖父達が友人だったとか。とても買えないなと思って店の隅を見ると規格外品がありました。こっそりとお土産に入手しましたが、嬉しい。そのあと友人に電話してしまいました。

有田も祖母に連れて行かれた懐かしい町なので報恩寺という菩提寺の側の観音山に登り有田の町を一望してきました。なるほど四方をDc021465 山に囲まれてすり鉢の底にあるような町です。これが世界に名高いブランドを作り出した町なのだと感慨深く見てきました。

焼き物を東京へ持ち帰ることになるとは、予定外の行動になってしまいましたが、武雄と武雄から20分程度の有田を歩き回り、その昔は思っても見なかったことどもに感激するようになっているのは年をとった証拠でしょう。新しい武雄市の誕生とそれを支えてくれるであろう樋渡さんの健闘を祈念し、焼き物の話を終わります。 併せて五月連休に有田の陶器市に行けることも願っています。(笑)


春の訪れ

2006年02月25日 09時48分28秒 | 蜻蛉池日記

ふと庭を見ると梅の蕾も大きくなり春もそこまで来ています。久しぶりに話題を目の前のことに変えてみました。

年が改まって以来家事に追われ、やっと一段落させたら九州へ行ったり、汽車ぽっぽの製作に集中してしまい手作りの蜻蛉池のことが疎かになっていました。水の補給や枯れた布袋葵の除去などは気がついたときにやっておりましたけど見て見ぬふりが殆どです。 ところが、二三日前から恒例のヒキガエルたちの集合が始まりました。庭の何処にいたのか分かりませんが、既に六匹ほど狭い蜻蛉池に潜り、夜になるとケロケロと鳴いています。寒くなると水中にじーっとしています。家族は嫌うのですが、この一時(いっとき)だけなので目をつぶって貰っています。例年三月三日頃産卵が終わるとあっという間にいなくなります。一昨年は暖冬で十日ほど暦が早く動きましたけど、今年は寒かったので予定が遅れるのではないかと思います。蛙たちを見ると東京にもまだまだ自然が残っているなとホッとします。

蜻蛉池のめだかも世代交代をしながら十数匹定着しています。この数が池の大きさにバランスした数のようです。 さて、蜻蛉はどれくらい誕生するのか楽しみです。 濾過装置等々全く設置していませんがいつも澄み切った水なので自然の不思議さを小さな空間に味わっています。 昨年は色々あって観察をさぼりましたが、今年は池のレイアウトの変更を含めて真面目に取り組んでみようと思っています。せっかくホームページからリアルタイム性を求めて引っ越ししたのに意味がありませんでした。それに鉄道建設の課題もありますので。(笑) 

同じページに追加情報です。

2月26日朝、産卵を確認しました。標準日の3月3日よりも6日ほど早いので寒かった冬にもかかわらず今年は暑い夏になるようです。と蜻蛉池予報を出しておきます。(汗)(2006.2.28追記)


九州漫遊・町並み

2006年02月22日 21時22分24秒 | 佐賀のこと

 今度の九州行きは、墓参りや実家訪問もあったので福岡佐賀熊本と回りました。もっともみぞれの博多では家にこもってルームランナーを歩いてしまったのでぶらついたのは佐賀西部地区と熊本です。

 武雄では、その昔野狐(やこ)が出ると云われたペンションのある永島の堤までの郊外歩きです。一言で云うと変わりすぎ。佐世保線の高架工事で駅周辺が歯抜けとなり母校の武雄高校も校門まで移動して昔のイメージがありません。幽玄であった武雄神社の神域に文化会館や大きなショッピングモールができ、市街地シャッター通り化に寄与していました。(汗)  隣の鹿島市までもこの影響を受けているとか。モールの中には地場よりも全国規模の企業が多いので人出が多くても地元貢献しているとは思えません。  前日、友人が地場の会社経営のバイパス沿いにあるモールに連れて行ってくれましたが、ここは地元の野菜や漬け物が豊富、しかもそれを素材とするカフェテリア式の食堂があって賑わっていました。ついつい食べ過ぎてしまうほど美味しい昼食でした。このような方法で大資本に対抗している地元企業にエールを送りたくなります。温泉通りのような市街地は普通の商売では対抗できないことがよく分かります。 ただ、車の流れを見ていると武雄の地が交通のクロスポイントにあって意外に重要な拠点になるような気がしました。新幹線が来るならば更に考慮すべきことが多いようです。地の利という言葉が浮かびました。

有田は、昔と変わらぬ町並みでホッとしました。町並み全体が文化財となAritatouriって外装の補修等には国の補助があるとたまたま入ったレストランでお聞きしました。町並みは一度壊すと元に戻りません。有田町の選択は大変賢明であったと思います。

ただ解せないことは、昔は栄えていた積み出しの上有田駅が無人駅となっKamiaritaてしまったことです。味のある駅舎は残っていましたが、亡くなった祖母が これを見たら何というのかなと寂しくなりました。

あと、買い物は卸売りセンターと分離されていますが、私はやっぱり古い町並みの中樽や赤絵町での買い物に魅力を感じます。上有田地区の復興が不景気からの脱出策の一つかも知れません。日曜日で雛人形祭りというのに人出がありません。やっぱり上有田にも特急を止めた方がいいと思います。

熊本、ここは変わり過ぎというかマンションだらけで情緒も何もあったものではありません。ちょっと変ではないかと思われる町作りです。熊本の地に初めて降りた40年近い昔は、武雄と比べて何と古くさいところだと思ったほどItiyadomoです。西鉄の路面電車を知っている私は、城下町の名残の街道をくねくね と曲がりながら進む市電に驚きました。確か浄行寺電停近くに「莫大小」という看板を見つけ、高校で覚えた単語に目を見張ったものです。(笑) 今や市電を取り囲む古い問屋街は消え失せました。 当時、熊本は戦争で丸焼けになったと云う話をよく聞きましたが、西南戦争のことであるということで二度びっくりです。そんな町だったのにマンション建設でぶち壊し、絶句の一語です。 熊本にビルができて都会になったと喜んでいる人が多かったのでこの有様かも知れません。 

Toujin 熊本に住んでいる高校の友人と30年ぶりに会い、案内して貰った 唐人町にホッとしました。この地区だけは昔の雰囲気を残そうと運動があったようです。マンションになるはずだった勧銀の建物を危ういところで保存Kangin できたと彼から聞きました。

 一級建築士である彼の事務所は、熊本市のはずれ川尻町にあって築百年の倉であるという木造大好き人間です。熊本にもこんな建築士がおります。

Kasugaji熊本駅近くの春日寺という森鴎外の阿部一族にゆかりのお寺は荒れるにまかせてあります。その他目に付くものは悲しくなることばかりでした。   

莫大小:メリヤス

長くなりましたが、町それぞれです。どのような残し方、発展させ方がいいとは一概に言えませんけど、行政の考えも第三者が見ると露骨に見えてくるようです。 少なくとも高橋の町のように禍根を残さない町作りが必要に思います。 武雄の各地区と樋渡さんの顔を思い浮かべるとついついこのような書き込みになりました。これからを楽しみにしています。

町並みというハードウェアだけでも色々考えることがありますね。ソフトウェアは更に難しそうです。


九州漫遊・大楠礼讃

2006年02月21日 17時54分25秒 | 佐賀のこと

 佐賀県武雄市は、宣伝が下手なのか県庁でも温泉といえば嬉野を推奨する状況が続いています。昨年、日本観光協会の知人から俳人・黛まどかさんの佐賀県取材時の目玉を幾つか聞かれたので武雄温泉も推薦していたのですが、結果は嬉野温泉になってしまいました。「すいません、県庁さんの推薦だったので。」とは担当者の弁。理由は分かりませんが、県内でも武雄温泉の認知度が低いのでしょうね。かくいう私も泉質の良さを先日まで忘れていました。(汗) 東京在の高校の友人は、「武雄のお湯はぬるかぁーとゆうて一段下に見られよっけど嬉野の湯は熱かけんが水で薄むったい。そいけんがお湯は武雄の方がよかとよー。」と武雄弁丸出しで語ってくれます。なるほど一理ある。いかがでしょうか(笑)

 ところでグローバルに誇りうるものは何と言っても3,000年の楠です。近所の飲み仲間酔考先輩は、歩く骨董辞典でもあり木工おじさんでもあります。木材と聞くと目がなく見ただけで材質を当てる達人です。この方と一昨年の連休に武雄・有田と遊びました。その時を思い出すと今でも宴会の度に出る言葉は「楠は凄かった。思わず涙が出そうになった。」、「特に武雄神社の楠は、侍が仁王立ちになっているように見えて離れ難かった。」と直参旗本の子孫である酔考さんは述懐します。  この辺の話は、私のホームページ連休阿房列車として紹介していますので珍道中を笑ってやってください。 それはともかく、人里離れた森林ならともかく古代より開けた武雄の地にこれだけの巨木が密生?しているのは希だと思います。楠は人間が好きで共生したいのかも知れません。

 前置きが長くなりましたが、前回行けなかった塚崎の大楠へ一人でぶらりと行ってきました。この楠は、武雄神社の大楠に隠れてなかなか見る機会も少ないと思います。武雄市民の方でも見た人は意外に少ないような気がしますがいかがでしょうか。この木も迫るような迫力です。 巨木には魂が宿っているとよく言いますが、武雄の大楠達を見るとこの言葉が実感できます。半日あれば見ることができる自然、更にはご先祖様からのの贈り物、この先も大切にしていただきたいと思いました。

ということで一昨年の写真も含めて大楠3本を並べてみます。

Kusu_kawago これはおなじみの川古(かわご)の大楠。日本3位でしたっけ?

この近所に川古温泉という冷泉があって年寄りに連れて行かれたことを覚えていますが、復活できないものでしょうか。

Kusu_takeo 武雄神社の大楠です。幽玄さでは一番です。私の高校時代は根元出入り自由でした。意外に不純異性交遊の場所だったかも。身に覚えのある御仁も色々・・・・今思うと可愛いものです。(笑)

Kusu_tukazaki 塚崎の大楠。これは意外に見る機会はないと思います。実は私がそうでした。

この3本の大楠を見ただけでも武雄に行った価値はあったと思っています。

今回は評論抜きに自慢できるものの紹介でした。


九州漫遊(1)

2006年02月20日 18時05分55秒 | 佐賀のこと

 寝台特急で出発し寝台特急で帰京するという最近では珍しい暴挙をやってしまいました。今回の目的はやっと時間がとれたのではあちこちの墓参りでしたが、ついでに故郷の佐賀県武雄市で市長に出るべく売り込み中の樋渡さんにお会いしてきました。彼の毎日の行動には頭の下がる思いでとうとう四日間武雄暮らしとなりましたが、大変有意義な毎日でした。また、あらためて武雄を見直すいい機会だったと思います。今や実家の消滅した私にはこんな長い時間の武雄滞在は希有なことです。故郷で気づいたことどもを思いついたときに書いてみることにします。Homepageではいつになるか分かりませんが、少し紀行文めいたものとしてまとめます。なんだかネタ探しの旅のようでもありました。(汗)

市は高橋の町を国道34号線から本家の墓地のある北上滝(わたき)の高峰寺まで歩きましたが、これは高校卒業以来でしょう。殆どの家が変貌し近所で残っていたのは元薬局だった木造3階建ての商家(もと常(つね)店)です。県か国の重文指定を受けたとかで昔よりも重厚さを増して残っていました。

Tunemise

長崎街道のこの通りにはこのような家が並んでいたのですが、大変残念です。 

高橋の通りです。歯抜けになった町並みが大変わびしく感じました。明るくなった町並みは実は歓迎すべきことではなく、シャッター通り商店街と同じなのです。Takahashi

私の生まれた家も従兄弟が壊してしまったようでただの空き地。件の家と同時期の明治5年の高橋大火のあとに建てたので、残っていれば何とかなったのに・・・昔の姿を思い出しながら天満宮等々を眺めつつ墓参りしました。

Jizo

元我が家の空き地近く、大正橋のそばに残っていた火除け地蔵。明治3年建立とありました。大火事のあとに建てられたものです。お茶豆灯籠銭というような呼び名のこの地蔵尊のお祭りを思い出しました。が、詳細は記憶のもやの中です。

まずはこんなところですか。


故郷は

2006年02月14日 11時08分31秒 | 佐賀のこと

遠くにありて思うもの、という詩がありましたけど思っているだけでは何も無かろうと思いたち、久しぶりに墓参を兼ね故郷に遊びました。幸か不幸か(笑)故郷の武雄市では市町村合併と市長選挙が間近に控えていました。

仕事で色々お世話になった小中高の後輩、樋渡啓祐さんが市長選挙に立候補予定と聞いていたので事務所を訪れたところ、そのまま数日お手伝いということになりました。 武雄市は昔から仲間内での政争が激しいところと聞いていたので心配だったのですが、この時代になっても相変わらずの雰囲気が残っています。他市、他県が羨ましがる樋渡さんが出るというのに当の武雄では裏でごそごそと蠢く足の引っ張り合い。 中央からの交付金を待つ時代から自前で政策をして生き抜く時代にこの状況ではちと困ります。ましてや従来の武雄市を越えた新武雄市の誕生なので観光一本槍では生き延びることが辛いのではないかと感じました。 視点を拡げ次世代のための論争をやってほしいと望む次第です。たらいの中で波を立て騒ぐのもいい加減にしてほしいと思いました。

 これまでふるさとを顧みることは少なかったのですけどこの機会にちょっと長めにあちこちを歩き回りました。 意外な発見が続き故郷を見直す大変いい機会でした。

温泉にゆっくり入り回るのは久しぶりでしたが、泉質の素晴らしさは東洋館の掛け流し湯で堪能しました。というか久しぶりの武雄温泉の泉質の良さに驚いた次第です。 定宿ペンションピクニックが満室だったので土曜日のみ移動したのですが、経験して良かったと思います。

ピクニックは市街から離れたところにありますが、露天風呂を手軽に貸し切ることができると云うこともあって家族連れが夜遅くまで訪れていました。なるほど浴槽に置いてあった子供向け洗面具の意味が分かりました。献立も地元で自慢できる素材を使ったものがほとんどです。こんな美味しいものが武雄にあったとは不勉強を恥じております。ちなみに若木のハーブ豚肉・美味しい! しかもここのオーナー夫妻は大阪出身で武雄が気に入って定住したと云うから驚きです。

武雄市文化会館では武雄に汽車が走った頃という展示をやっていました。これだけでなく幕末から明治の武雄藩科学技術の素晴らしさは、化学実験器具、種痘、武器にもおよんでいます。旧藩主邸跡に埋められていた武器を再発掘して同館に展示してあるものを見る限り当時最強の軍隊を持っていたことが分かります。庄内の方には申し訳ありませんが、戊辰戦争において当時最強だった庄内藩との戦争、羽州戦争で主力をなしたのは鍋島本藩というよりも武雄藩でした。薩摩藩と比べ極端に少ない死傷率で戦いを一気に決着し会津の悲劇を起こさなかったということを最近知った次第です。庄内藩はその強さと政治力で戊申戦争後もその地にあって多士済々を輩出し現代に至っているのだと思います。私は鶴岡市のファンでもあります。

展示物に書かれた「14名も死傷して帰郷しなかった。」というセンチメンタルな文言からは上のような歴史が見えずいささか不満でした。(笑) 実は高校卒業式で当時の本山市長から武雄藩の出兵のことを贈る言葉としてもらっていたのをなぜか覚えておりました。 数年前まで何のことか分からずにいたのです。 

それにもまして今回嬉しかったのは恩師の方々にお会いできたことです。小学校の担任の先生はかくしゃくとされており、杯を交わすことができました。 高校の担任の先生はお体を悪くされたと聞いていましたが、だいぶ回復された由。我が実家近くご出身の奥様にもお目にかかり自分の母の近況を報告して喜び合いました。汽車に乗る前のちょっとした時間でしたが、涙が出そうになった時間でした。いつまでもお元気でいてほしいと思う方々ばかりでした。これも樋渡さんの事務所に立ち寄ったおかげです。

偶然会った高校の同期生が地元よりも市外で著名な絣のコレクターでした。一年前の2月16日に日本繊維新聞で取り上げられたそうです。 工房わらべを経営されており、倉の床には古い土の人形がずらり、武雄市に貸し出すとか。 これは又別の機会に紹介します。

色々故郷を見直すいい機会でした。良いこと悪いことも見聞きしましたが、感じたことどもはHomepageにいずれまとめて整理するつもりです。

が、今回の旅で更新休止中なのでしばらくお待ち下さい。

モバイル散歩に気が向いたときに写した写真を送り込んでいますが、パケット料金もあってまだ見直していません。東京に戻ったらゆっくり解説記事を入れるつもりです。まだ熊本のかみさんの実家在でパケット料を気にしながらアクセスしています。もうやけくそ気味かも(汗)


長逗留

2006年02月11日 15時21分25秒 | 佐賀のこと

 いま佐賀県武雄市に長逗留しています。今日で三日目です。高槻市で市長公室長をしていた樋渡啓祐氏が市長に立候補予定なので陣中?見舞いに寄ったところ、友人に挨拶回りに連れられて、ついつい三日目になりました。若くて初出馬ということもあり、善戦しているもののなお一層の努力が必要に感じています。一喜一憂することなく手綱を引き締めてゴールを目指して欲しいと思います。明日まで応援していくつもりです。 頑張れ!けいすけくん (携帯より)


久しぶりに九州へ

2006年02月05日 18時04分15秒 | 佐賀のこと

 今日の寒さも何のその吉祥寺北裏鉄道へ行ってきましたが、明日からの旅行準備を考えて軟弱にも午前のみの見学にしてしまいました。皆さんお先に失礼してごめんなさい。

で、細々したものを買い込み戻りましたが、長い旅行は久しぶりなので勘が戻りません。外見は着の身着のまま、下着はホテルで洗濯だと割り切れば荷物はぐっと減ります。その心境に到達するには年をとってしまいました。(笑)人生のしがらみと同じで色々持って行きそうです。カメラを数台にしないようにしたいと思います。(汗)そのための交換レンズ群です。パソコンは重いからシグマリオンか?パケット数をあげないためにHomepage参照は御法度です。等々仕方もないことで悩んでいます。

いずれにしろ来週まで九州をうろつくつもりです。人生のしがらみを訪ね歩く旅行になりそうです。ネットアクセスは自宅ほどできそうにありませんのでせめて携帯で撮った画像をモバイル散歩に送ろうかと思っております。ここもHPと同様にしばらく休止します。書き込みができればラッキーです。

明日の夜行寝台で出発ですが、寝台の旅はいつもながら嬉しくてたまりません。寝不足になることは分かっていても不思議なものです。ただ、食堂車と車内販売全廃の現在、食料調達をミスしないよう行動したいと思っています。


でもって浅草

2006年02月04日 22時06分53秒 | ぶらり旅

 あまりにもいい天気だったので仕事のあとは浅草だと云うことになり、電車に飛び乗って浅草へ向かいました。前回は土砂降りの中、友人と鯨を食べに出かけました。今度は身軽な一人、しっかり歩こうと思ったものの例によって神谷バーでまじめな昼食(笑)にしたところいい気分になったもののですからハヤタカメララボで一服。修理を頼むつもりのカメラをなぜか持参していたのでお預けしました。 ここの主人は三菱総合研究所をごくごく早めに辞め、新しいコンセプトでカメラ修理会社を立ち上げた私のカメラ師匠、OTOMENさんです。最近は写真工業デジカメウォッチで新旧カメラのレビューで活躍中でもあります。本日は土曜日ということもあって千客万来状態でした。お先にどうぞとお客さんを勧め私はお茶していました。(笑) 久しぶりにカメラの話でOTOMENさんやお客さんと盛り上がり、長尻な一服となりました。来年度の会費の払い忘れに地下鉄で気づきました。

ちょっと脱線しますけど、OTOMENさんとは十年を越えるおつきあいになりました。やはりOTOMENさんと同じネット仲間がつい最近新会社を立ち上げたので昨日お祝いに行ってきました。なんとまあカメラ仲間が絶句する会社名であります。その名も「JENA(イエナ)」。この名前に反応する貴方は入門試験合格です。何のことか分からない方は、裕福な人生が送れます。(笑) 若い優秀な仲間が起業する。これも時代でしょう。これからの健闘を祈ります。美味しいビールが揃うのが楽しみです。

ところでハヤタカメララボを辞して新仲見世通りの鯨勇へ行きました。実は倅から電話があった際に浅草にいると答えたところ、鯨肉を買ってきてと頼まれたのです。調査捕鯨で捕獲した肉の様々な部位を販売しています。今日は軽めにベーコン、刺身用少々と加工済みの鯨カツを購入。本当は百尋を食べたかったのですが、鰯鯨などの小型鯨はシロナガスクジラのものと違って若干敬遠気味です。

仲見世界隈を再びぶらつき帰還、さてさて結局旅行の準備もせずに遊びまわってしまいました。かなりリセットしすぎて脳みそが空っぽになりました。おかげで自宅ネットワークの設定が上手く行かず泣いています。


快晴ですが実に寒い

2006年02月04日 11時12分04秒 | 地元ネタ

 昨晩から急に寒くなって震え上がっています。久しぶりに近所の眼科で検査してもらいましたが異常なし。会社を辞めて以来安定してきました。いかにストレスが目に来るか、あるいはパソコンが疲れるのか分かります。

しかしながら、先日パソコンを新調以来、かじりついていたのでこれの影響は少ないのかも知れません。最新機材を投入し遊び始めました。曰くLANカメラ、サーバー等々。これはまた別途。

これから家の用事で近所に出かけ、その用を済ませ久々のお散歩をするつもりです。月曜日からしばらく九州へ行くつもりなのでその準備もあります。そういえば今日から梅ヶ丘では梅祭りですが、梅はまだまだでしょう。我が家の梅はほとんど真冬状態のままです。寒いながらも季節の便りを探ってきます。何かあればモバイル散歩に投稿するつもりです。