雨の体育の日、ご近所の赤堤アカデミアで実施予定の「世田谷区烏山寺町散歩」の下見にぶら下がって行ってきました。(笑) 結果的には寺町だけでは街歩きのアクセント不足なので鴨の飛来池のある高源院を源流とする烏山川散歩を追加することになりました。(といっても殆ど暗渠と緑道) ロケハンなので歩いた歩いた、終着地経堂まで22000歩でありました。その後の反省会は反省するほど盛り上がりました。(反省) その反動で本日は自宅で籠もりきりの作業です。
烏山寺町は、関東大震災で被災したお寺が昭和初期頃までに浅草近辺から移転してきたものが殆どで二十六寺あるようです。江戸時代から続いたわけではありませんが、寺ごとそっくり引っ越してきたので昔の有名人のお墓もチラチラあります。あの歌麿の墓もあり、本名は喜多川でなく、北川だったようです。 俳人の宝井其角のお墓もありましたが、その側の句碑が読めません。帰宅後調べたら「夕立や法華かけこむ阿彌陀堂」でした。勉強不足を恥じ入ります。
其角で思い出すのは赤穂浪士の大高源吾と討ち入り前日の出会いの物語です。西国のさる藩に仕官するという大高に失望した其角は、「年の瀬や水の流れと人の身は」という上の句を送ると「あした待たるるその宝船」という句を返したという話です。 講談や浪曲で聞いたような記憶がありますが、其角の墓を見るとその話が事実ではないのかと思うから不思議です。 江戸俗曲では「笹や笹々 笹や笹 笹はいらぬか煤竹を 大高源吾は橋の上 明日待たるる宝船」だそうですね。 今でもお化けが出そうな雰囲気の寺町で粋な江戸情緒を連想させるとはさすがにアカデミアの歩きでありました。
長い歩きのほんの一部を紹介いたしました。(笑)
大学の講師をされると・・・。凄いですね。
ご準備、何かと大変だと存じますが、いい講義になりますよう祈念いたしております。
友人から飛びこんできた話で準備に大わらわでした。講義に追い越されないよう何とか資料が出来上がっているところです。
実際の経験を話してあげることに意義があるかなと思っています。 いい経験をしているところです。(汗)
江戸の文化人の事を良くご存知でとっても勉強になりました。
当日、其角の俳句のご説明などを是非お願いしたいです。
江戸俗曲は何か私を呼ばれているような~♪
意味がイマイチ分からないのは、私の文化度が低いせいでしょうか。
後半、雨降りの中を良く歩けました。
こういう歩きは楽しくて、何処までも歩きたい気分でした。
それに宴会も良かった!!
このメンバーは終わりの宴会が付き物になってしまいましたね。
当日の説明はご勘弁下さいメッキが剥げそうです。 小川町の殿様、酔考氏のおかげです。 彼が何かやってくれるのではないでしょうか?
江戸俗曲、いいサイトを見つけました。 唄えませんけど楽しめます。(汗)
笹や笹、、と言う意味が同行のTさんに聞き意味がようやく分かりました。
大高源吾は、大晦日の煤払いの笹売りだったのですね。
以前、歌舞伎座で「松浦の太鼓」というお芝居で大高源吾を三津五郎、宝井其角を左團次、松浦の殿様を仁左衛門がやっていたのを見ていました。
一つお利口に?なりました。(^_^;)
江戸文化をもっと勉強しなければ、せっかく歌舞伎を見ても無駄になりますね。反省です。
元々ポテンシャルが高いのでちょっと勉強されたらエキスパートですね。江戸学検定にチャレンジなさってみたらいかがでしょうか。ハイレベルのイラストでの説明付きガイドデビュー楽しみにしております。(笑)