(つづき)
音楽なバス停、「琴」「太鼓」「シンバル」に続いては、福岡市南区の「音」(←急に抽象的…)。
「観音」…「音を観る」というのはなかなか神秘的な感じがするが、聴いただけで色や情景が浮かぶ音楽というのは、それだけ良質なものであるのかもしれない。
「穴観音」とは、左の写真奥の青信号のところにある興宗寺のことであり、寺の中に古墳があることから、そのように呼ばれるようになったとのこと。
このバス停が位置する町名であり、ひとつ隣りのバス停名でもある「寺塚」も、同じ由来だと思われる。
ここ「穴観音」には、「52番」のうちの「寺塚経由」の便が停車する。
穴観音~寺塚を経由する便は、「52番」の中ではイレギュラーな扱いであり、LEDの行先表示では「寺塚」を四角で囲んで強調している。
最近の流行(?)から考えると、この「寺塚経由」の「52番」を、「53番」とか「52-1番」とか、別の番号にするということが起こりそうな感じもするのだが、今のところ、そのような気配はない。
「75番」の東区役所経由を「76番」に変えるよりは、優先順位が高そうにも見えるのだが、いかがだろうか。
まあ、野間大池~長住二丁目間で「長住一丁目」に停まるか「穴観音、寺塚」に停まるかという違いだけであり、どちらも天神や高宮駅から長住地区に行ける訳なので、大多数の利用者の動向を考えた場合、「高宮通りから長住は52番」というコンセンサスを変に崩さないほうがよいという考え方も成立しそうではあるけれど。
ひとつ隣りの「寺塚」には「52番」とともに「55番」も停車するが、ここ「穴観音」は「52番」だけであり、「馬屋谷」(都心向け)などと同様、長らく一つの行先番号だけに身を捧げているバス停である。
ただし「寺塚」も、「52番」と「55番」ではのりばが異なり、「52番」と「55番」も、接しこそすれ交わってはいない(現実のバスの“動線”としては交わっていると思いますが)。
(つづく)
音楽なバス停、「琴」「太鼓」「シンバル」に続いては、福岡市南区の「音」(←急に抽象的…)。
「観音」…「音を観る」というのはなかなか神秘的な感じがするが、聴いただけで色や情景が浮かぶ音楽というのは、それだけ良質なものであるのかもしれない。
「穴観音」とは、左の写真奥の青信号のところにある興宗寺のことであり、寺の中に古墳があることから、そのように呼ばれるようになったとのこと。
このバス停が位置する町名であり、ひとつ隣りのバス停名でもある「寺塚」も、同じ由来だと思われる。
ここ「穴観音」には、「52番」のうちの「寺塚経由」の便が停車する。
穴観音~寺塚を経由する便は、「52番」の中ではイレギュラーな扱いであり、LEDの行先表示では「寺塚」を四角で囲んで強調している。
最近の流行(?)から考えると、この「寺塚経由」の「52番」を、「53番」とか「52-1番」とか、別の番号にするということが起こりそうな感じもするのだが、今のところ、そのような気配はない。
「75番」の東区役所経由を「76番」に変えるよりは、優先順位が高そうにも見えるのだが、いかがだろうか。
まあ、野間大池~長住二丁目間で「長住一丁目」に停まるか「穴観音、寺塚」に停まるかという違いだけであり、どちらも天神や高宮駅から長住地区に行ける訳なので、大多数の利用者の動向を考えた場合、「高宮通りから長住は52番」というコンセンサスを変に崩さないほうがよいという考え方も成立しそうではあるけれど。
ひとつ隣りの「寺塚」には「52番」とともに「55番」も停車するが、ここ「穴観音」は「52番」だけであり、「馬屋谷」(都心向け)などと同様、長らく一つの行先番号だけに身を捧げているバス停である。
ただし「寺塚」も、「52番」と「55番」ではのりばが異なり、「52番」と「55番」も、接しこそすれ交わってはいない(現実のバスの“動線”としては交わっていると思いますが)。
(つづく)