INSIDE SORAMAME

福岡のバスのことなど・・

東日本大震災

2011年03月14日 | 音楽
今回の東日本大震災で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
一人でも多くの命が助かることを願っております。

このブログの主な読者と思われる福岡のみなさん、献血など、遠くからでもできることはやっていきましょう。


負けないで


アンパンマンのマーチ


TOMORROW


My Revolution


どんなときも。
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続・オモワク(5)

2011年03月13日 |    ┣ 思惑と提案
(つづき)
昨年3月に出されていた、西鉄の路線バスの廃止or一部区間廃止の申し出だが、その後の協議を受け、今年4月以降の運行方針が発表された。

資料からわかる範囲で、福岡地区の路線が4月以降どうなるのかということをまとめてみた(あくまで、資料からわかる範囲でこちらで考えたものなので、この通りにならない可能性も大いにあります)。
なお、資料には、「廃止」「協議継続」「存続」という表現があり、「協議継続」と「存続」の具体的な違いがよくわからないので、以下では「協議継続」についてもとりあえずは「存続」ということで扱うことにする。

「2番」の羽根戸経由は廃止となるが、「1番」の羽根戸~吉武間が新道から旧道経由に変更となることで、羽根戸・飯盛地区の路線は維持されそう(橋本駅~藤ケ丘団地間も何らかのカタチで存続するもよう)。

・「2-9番」は、免許維持区間の「次郎丸六丁目」と「歯科大総合病院前」のみ廃止で、原往環から賀茂駅まではとりあえず存続。

「17番」の扇町系統は、山王一丁目の次の「扇町」が終点となり、そこから先のループ区間(沖学園前→東光寺→)は廃止(ただし、扇町に行くのが引き続き「17番」なのかは不明)。

・「43番」は「堅粕」のみ廃止(「43番」自体は、東光町~博多駅間が「41番」と同じルートになって存続ということかも)。

「49番」の観晴が丘系統は廃止。

・「62番」の市の瀬系統は存続(ただし、残るのは朝夕のみで、日中は「かわせみ南畑線」が走ることが既に決まっている)。

・「72番」の猪野行き、「31番」「310番」の二瀬川行き、筑紫野ニュータウン「17番」宗像「75番」泉ヶ丘行きはいずれも存続。

・「74番」は存続するが、都市高速経由の「74C」は廃止。

免許維持路線となっていた「501番」の田隈新町経由、「無番」佐谷→宇美西鉄二日市の踏切を渡る「1-3番」はいずれも廃止、上障子岳も廃止。

また、福岡地区ではないが、北九州市門司区の「太刀浦」「青浜」「喜多久」「あげ」など、いわゆる門司ローカル線は、とりあえず全て存続するもよう。

「廃止」と「存続」、判定結果は様々だが、「存続」とはいっても本数が維持される保障はなく、大幅な減便を伴う可能性もあり、「存続だからひと安心」という感じでもなさそうだ。
いずれにせよ、4月1日にダイヤ改正が行われることは確実のようだ。
(つづく)
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couleurs(10)

2011年03月12日 |    ┣ colors&ぐりーん
(つづき)
colors(5)」で取り上げた一色目の「白色」、「couleurs(2)」で取り上げた二色目の「白色」に引き続き、福岡県春日市の三色目の「白色」。

福岡では「白水」を「しろうず」と読むことにあまり違和感はないが、全国的にはそうでもないらしい。

現在ここには、「49番」のうちの「西鉄大橋駅~香蘭短大前~下曰佐~弥永団地~下白水~池の下~白水ヶ丘二丁目~観晴が丘~那珂川ハイツ入口~博多南駅」を結ぶ系統が停車する。
「49番」の博多南駅行きは、下白水の先で西に分岐してそのまま博多南駅方面に向かうものがメインであり、ここ「白水ヶ丘二丁目」を通って観晴が丘を回るものは本数も少なくサブ的位置付けである。
最近の流れで行けば「枝番」が付いてもおかしくない感じだが、「枝番」が付くことがないのは、観晴が丘経由のルートが廃止候補になっており、「今さら番号を変えるまでもない」という考えの現われなのかもしれない。

観晴が丘経由の系統はもともとは博多南駅行きではなく、那珂川ハイツまで行っていた。
那珂川ハイツを起終点としても、那珂川ハイツから博多南駅春日原駅に行ける訳でもなく、また、大橋駅に行くのも遠回り、ということで、利用が少なかった…からなのかどうかは不明だが、博多南駅を起終点とするループっぽい運行に変更することで(←閉じた図形ではないので“っぽい”としています)、「大橋駅~弥永団地~白水ヶ丘・観晴が丘地区」及び「白水ヶ丘・観晴が丘地区~博多南駅」の2つの需要に対応しようとしたと考えられる。

白水ヶ丘地区は春日市、観晴が丘地区は那珂川町であり、それぞれ「やよい」と「かわせみ」のルートとなっている。
利用者が減少して、かつ、代替手段もある」ということで「49番」の観晴が丘系統は廃止候補となっているのだろうけど、自治体を跨いで運行するということはコミュニティバスでは難しいと思われるため(←「マリンクス」が福工大前駅に乗り入れたり、「まほろば」も太宰府市を出てちょこっとだけ筑紫野市に入ったりもするので、“絶対にできない”ということはないんでしょうけど)、「49番」観晴が丘系統がなくなる(かもしれない)のはなんだかもったいないなぁという気がする。

コミュニティバスへの移管は、今後もますます進んでいくと思われるが、その中で、「コミュニティバスでは手が届きにくいところ」には、まだまだ西鉄バスの需要が残っているのではないかと思う(福岡市南区の井尻駅と、春日市の徳洲会病院を結ぶ「45-1番」など)。
特にこの付近は、白水池と月の浦の間で開発が行われており、人口ももう少し増えそうなので、「撤退」を考え直してもいいのでは?…というのは、あくまで個人的な見解です。
(つづく)
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シューテングスター(66)

2011年03月11日 |    ┣ シューテングスター
(つづき)
福岡市博多区の「扇町」バス停。

「17番」の終点である「扇町」(→山王一丁目→扇町→沖学園前→東光寺→扇町、と停車する中の、二回目の「扇町」)は、ループ区間から少し外れた「末端」部分に位置するため、一応「狭義の終点」の体をなしている。
バス車庫入口の地面に寝そべっている標柱(上の写真)が一応「降車場」なのだろうか。

かつては「45番」「63番」なども扇町を経由していたが、道路整備が進んだ現在となっては、筑紫通りと竹下通りの間がここでつながっている必要も特にないということなのか、運行本数も風前の灯となっている。
例えば「64番」「66番」「67番」などの朝夕の一部を、現在の「~野間四角~清水町~日赤前~那の川~百年橋~駅東三丁目~」というルートから「~野間四角~清水町~(きよみ通り)~扇町~山王一丁目~駅東三丁目~」に変えて速達性(実際、速いかどうかはわかりませんが)や選択肢の多様性を提供してみては?などと考えたこともあったが、運賃設定などが面倒そうだし、また、ルートを変に分散させないほうがよいのかもという気も一方でする。

下の写真は、博多駅を通って城南線経由で早良営業所に向かう「17番」が、ループを終えた後に停車するきよみ通り上の「扇町」。
114番」など、車庫を出た山王一丁目始発のバスが“見向きもせずに”という感じで通り過ぎていく。

「扇町行き」が停車する一回目の「扇町」のバス停ってどこにありましたっけ??
(つづく)
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SWEET NAIL(25)

2011年03月09日 |   ┣ 工夫とSWEET NAIL
(つづき)
福岡市早良区の「早良営業所」バス停。

小学校の社会科見学でここを訪れたときのことは、「さわら台団地」の記事及びそのコメントを参照のこと。

3番 脇山線」などの営業所は、「飯倉→早良→脇山」と、時代とともに郊外に展開していったが、昨年、最も郊外にあった「脇山営業所」が廃止され、現在はここ「早良営業所」がメインとなっている。
高度成長期から低成長期、成熟期、そして衰退期という社会の動きや、都市の「外延的発展」とその後の「都心回帰」という、時代の“曲がり角”を如実に反映しているともいえる。 

なお、ここ「早良営業所」バス停は、敷地が“曲がり角”に位置することを利用したのりば配置が行われている。

以前、「脇山口」の記事で、バス停路線図の注意書きに、「急行」は停車しないにもかかわらず“急行の止まるバス停”などとあったことから、“「3番快速」は、当初は「急行」と名付けるつもりだったのかもしれない”と書いたことがあった。
しかし、「早良営業所」バス停の路線図も同様の書式で“急行の止まるバス停”の表記があり、「早良営業所」には実際「114番」の「急行」が停車することから、“「3番快速」は、当初は「急行」と名付けるつもりだった”という訳ではなく、単に書式を流用したことによる誤記だった可能性もあり、私のほうが「SWEET NAIL」だったかもしれない。

このように、後になって、過去の記事の誤り(「放送所前」の記事で“RKBラジオとKBCラジオの送信所は東区の和白干潟にある”と書いたが、KBCのほうは和白干潟ではなく玄界灘側…とか)、もしくは誤りの可能性に気付くことがたまにあり、いつかまとめて訂正の記事を書きたいと思っていた。
でも、そういうときに限って、何を書こうとしていたのか思い出せない…。
これもまた、私自身の「SWEET NAIL」である。
(つづく)
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タイムリーヒット(27)

2011年03月08日 |   ┣ タイムリーヒット
(つづき)
3月8日の記事ということで、福岡市西区の「都橋」バス停。

内浜西区役所前」と「車両基地前」「車両基地東」の間にあるバス停だが、姪浜駅方面から道路拡幅が進められており、現在ここ「都橋」バス停付近まで拡幅が完了している。

「都橋」を含む内浜~下山門間は、羽根戸~藤ケ丘団地間と同じく「97番」の登場とともにバスが走り始めた区間である。
現在も「97番」のルートとなっているが、下山門、拾六町団地を経たあと藤ケ丘団地方面には行かず、「野方」が終点となっている(七隈線開業当時の一時期は橋本駅まで行っていたこともあり)。

このほか、外環状道路経由で橋本西、野方、生松台方面に向かう「1-4番」(かつては枝番のない「1番」であり、都心行きは博多駅まで運行されていた)、昭和バスの代替路線である「507番」のルートにもなっている。

バス停には「507番」の試行運行期間延長の掲示が出ていた(もう何回目の延長だろうか)。
「1-4番」や「97番」の運行本数は、「507番」が運行されていることを前提として決定されているような感じもするので、「試行」とはいいながら、実質的には既に「本格運行」なのかもしれない。
(つづく)
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愛をください(42)

2011年03月06日 |    ┣ 愛をください
(つづき)
キリン」「」「」「」「」「鹿」「」「」「」「なまず」「」「」「」「」「」「ライオン」「鮟鱇」「千鳥」「」「ハブ」「海老」「かわせみ」「アマガエル」「怪獣」「」「チキン」「ひばり」「」「」「「ペンギン」「アザラシ」「アシカ」ひよ子」「」「」「ハリセンボン」「イクラ」「」「」「」「」に引き続き、福岡市西区の「羽」(←無理やりでスミマセン)。

ここ「羽根戸」は、もともとは「2番」の「狭義の終点」だったが、「97番」の誕生で羽根戸~藤ケ丘団地間にバスが通るようになったことで「狭義の終点」から「広義の終点」となり、その後、「2番」の経路変更により「広義の終点」でもない単なる通過点となり、そして、運行本数が徐々に減少して、現在は廃止候補に挙げられているという、「バス停ライフサイクル(BLC)説」のようなものがあるとするならばその見本ともいえそうなバス停である。

BLCの次のステージとしては、「コミュニティバスへの移管」ということが考えられるが、この秋から試行運行されると言われている、地下鉄七隈線「橋本駅」と壱岐団地~戸切あたりまでを結ぶコミュニティバスは、ここ「羽根戸」まではやってこないみたいである(←まだ確定的なことはわかりませんが)。

この付近は「市街化調整区域」であり、原則として新たに住宅は建てられないことから(←かなり大雑把な説明なので詳細は各自でご確認を)、線引き(「都市計画区域」を「市街化区域」と「市街化調整区域」に分けること)の見直しが行われない限りは人口増加が見込めないことから(橋本駅付近では線引きの見直しが行われている)、景気循環論のようにBLCが再び上昇局面に入ることは難しいかもしれない。

なお、新道上の「羽根戸」についてはまた別の機会に。
(つづく)
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2011年3月2日ダイヤ改正(2)

2011年03月04日 |   ┣ ダイヤ改正2011
(つづき)
2011年3月2日、「JR博多シティ」のプレオープン(グランドオープンは3月3日)と同時に運行を開始した「天神ライナー」。

側面のLEDには「直行」と書いてあるものの、“終点までどこにも停まらない”という訳ではなく、“目的地まで、まるでどこにも停まらないような感じ”という「イメージだけの直行」である。
なお、車内アナウンスでは、「このバスは、都心快速バス“天神ライナー”です」という案内をしており、「快速」や「直行」など、いろんな種別がごっちゃになっている感じもする。
まあ、「他のバスよりも速そうだ」ということがなんとなくでも伝わればいいのかもしれないけど。

博多駅天神間を速く(というか時間に確実に)移動しようと思えばやはり地下鉄に分があると思われる。
観光目的の回遊であれば、そこまで時間通りじゃなくてもいいだろうし、地下鉄200円に対しバス100円という価格差も「魅力」の一つにはなりそうなので、そのあたりをうまく取り込むことができるかが成否を左右しそうだ。

なお、既存の「福岡都心100円循環バス」についても、大きな100円硬貨などのラッピングがされているようだ(「天神ライナー」の運行開始に合わせてなのか、また、全ての「100円循環バス」で行われているのか、などはよくわかりません)。
以前の記事で、「100円循環バス」運行開始当初は「行先表示やバス車体に循環バスであることを明示」するということが行われていたことについて、“「バス車体」のほうも、一般の路線バスが100円循環バスの運用に入っていることから、車体を見て判断するということもほぼできなくなっている。このあたり、初心をもう一度思い出してもらいたいものである”と書いたことがあった。
「JR博多シティ」開業が契機になって「初心」を思い出したのであれば、良い刺激だったといえるかも。
(つづく)
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タイムリーヒット(26)

2011年03月03日 |   ┣ タイムリーヒット
(つづき)
3月3日の記事ということで、北九州市小倉北区の「三郎丸三丁目」バス停。

「宇佐町」を取り上げたときに、西鉄バスがその内部に走っていない「図形」について書いた。
右の地図の“赤い点線”がその「図形」であり、ここ「三郎丸三丁目」も、その図形の一辺上にある。

福岡地区でも、3年前までは、都心部に「西新パレス前西新四丁目~城西一丁目~城西橋~鳥飼~大濠~草香江~六本松~六本松大通り~護国神社前~NHK放送センター入口~城内美術館東口~大手門~荒戸一丁目~大濠公園(当時は西公園ですが)~黒門~唐人町~地行~今川橋~西新一丁目~西新パレス前」という結構大きめな「図形」が存在したが、2008年春の「6-1番」の登場により、「図形」が2分割どころか3分割されている。
これにより、このエリアに住む人たちの「バス停までの距離」の平均値は確実に短くなっているはずであり、そういう観点でみると、“図形キラー”「6-1番」が担っている役割は大きいといえる。

「図形」に着目しながら地図を眺めると、新たな路線の可能性などいろんなことが見えてきて、なかなか面白いと思います(←私だけでしょうか??)。
(つづく)
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趣に赴く(41)

2011年03月02日 |    ┣ ひっそりと趣に赴く
(つづき)
福岡県粕屋町の「丸山」バス停。

後ろに写る丸みを帯びた稜線の山が“丸山”である。

ここは「74番」(上脇田~黒の前~丸山~大川農協前~坪見~津屋本町箱崎駅西口巴町吉塚駅前~妙見~千代町呉服町蔵本天神)のルートとなっていて、途中で都市高速道路を経由する「74C」も都心向けに平日朝1本だけ運行されている。

「74番」には「大川線」という路線名が付いており、粕屋町のサイトによれば、「大川線」の運行開始は昭和32年か33年らしい。
この路線の誕生から現在に至るまで、おそらくほとんどルートは変わっていないのではないだろうか(末端部分猪野東鉄工団地などに変化はあるものの、天神~妙見~坪見~脇田間の「幹」の部分は、少なくとも私が物心ついて以降変わっていないと思う)。

大川とは、当然、家具のだめで有名な大川市ではなく、粕屋町の中の地区名である。
現在、町名としての「大川」は存在しないが、大川農協前バス停、大川小学校、大川橋などに「大川」の名が使われている。
ちなみに、RKBの前身である「ラジオ九州」の開局当時の送信所も大川付近(JR香椎線「伊賀」駅の近く)にあったらしい。
粕屋町はもともと大川村と仲原村が合併してできた町であり、発足当時の役場は大川にあったとのことなので、大川地区は、「福岡市のベッドタウン化の波とは関係なく、以前から人が集まっていた場所」だったのだろう。

「74番 大川線」のうち、「丸山」や「大川農協前」を含む末端部分、上脇田~坪見間は廃止候補となっている。
以前の記事で、この路線について“個人的に「74番」はとても好きな路線ではあるのだが、周辺の交通環境の整備や商業施設の新設など、時代の変化についていこうとせず、取り残されている感があるのは否めず、それが需要と合わずに「廃止候補」となっているのではないかという気がする”と書いたことがあった。
でも、「大川線」開設当時は全然そんなことはなく、ちゃんと時代にマッチしていたということだと思う。

22番2番 こもの線」なども、「福岡市のベッドタウン化の波とは関係なく、以前から人が集まっていた場所」を結んでいた路線といえそうだが、こちらは二年前の春に既に消滅してしまっている。
「時代の流れ」だといってしまえばそれまでなのだが、個人的なバス路線に対する「趣」という観点だけで言えば、「74番」には一日でも長く生き延びてほしいなぁ…と思う。 
(つづく)
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