スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ドバイ国際レース展望&第二部定理九

2008-03-16 18:58:12 | 海外競馬
 この時期恒例のドバイでの国際招待レース。馬インフルエンザが散発的に発生している関係で,検疫が厳しくなりましたが,それでも今年も日本から3レースに4頭が出走の予定なので,紹介,展望しておきます。
 ダート1800のUAEダービーには昨年暮れの全日本2歳優駿を勝ったイイデケンシン。ただ,そのレース自体が恵まれたという印象で,ここでは苦戦必至ではないかと思います。
 芝1777のドバイデューティーフリーには2頭。昨年のダービーを勝ったウオッカと,そのダービーでは3着,その後故障での休養を挟み,2月に京都記念を勝ったアドマイヤオーラ。この2頭は共に好勝負が可能だと思います。できればどちらかに勝ってほしいところです。
 そしてダート2000のドバイワールドカップにはヴァーミリアン。昨年は4着とはいえかなり離されてのもの。帰国後はJBCクラシック,ジャパンカップダート,東京大賞典,フェブラリーステークスと大レースばかり4連勝。昨年よりは間違いなくパワーアップしていますので,あんなに離されることはないかと思いますが,勝ち負けとなるとやはりまだ少し厳しいのではないかと僕は思っています。
 4頭は揃って昨日,ドバイに向けて出国しました。

 第二部定理五というのは,別に観念が無限様態である場合だけではなく,有限様態すなわち個物としてある場合にも妥当な定理ですから,単にこれだけのことによって,無限様態の特徴として導かれた事柄が個物の特徴としても帰結します。ただ,同じように神の属性をその発生の原因とするとはいっても,無限様態の原因が神の属性の絶対的な本性であるのに対し,個物の場合はそうではありませんから,ここに紛らわしさというかややこしさがあります。また,僕たち人間の精神のうちにある十全な観念について考えるなら,大抵の場合はそれは個物の観念としてあるのであって,僕たちは往々にしてその十全な観念の十全さというのを明示しようとする場合に,その観念の対象である個物との一致にその根拠を求めようとしますので,やはり十全な観念が個物としてあるという場合には,別個に詳しく考察していく方がいいのだろうと思います。
 ここでは第二部定理九を援用することにします。「現実に存在する個物の観念は,神が無限である限りにおいてではなく神が現実に存在する他の個物の観念に変状した〔発現した〕と見られる限りにおいて神を原因とし,この観念もまた神が他の第三の観念に変状した限りにおいて神を原因とする,このようにして無限に進む」。
 なお,この定理は第一部定理二八と第二部定理五を合わせればそれだけで帰結してくるものと僕は考えますので,ここでは証明に関しては省略することにします。
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順位戦回顧&無限様態の特徴

2008-03-15 18:50:59 | 将棋トピック
 昨日,B級1組の順位戦の最終局が戦われ,今期の順位戦は全日程を終了しました。各組の結果を簡単に紹介し,短評を入れます。なお,展望はこんな感じでした。
 まずA級。ここは羽生善治二冠が8勝1敗で単独首位。4月からの名人戦での挑戦権を獲得しました。降級は久保利明八段と行方尚史八段。このクラスでは佐藤康光二冠が6連敗しまして,タイトル保持者の降級があるのではないかと注目を集めましたが,そこから3連勝して自力で残留を決めました。6連敗からの残留はA級ではたぶん2度目のケースと思います。
 B級1組は残り二局を残した段階で深浦康市王位と鈴木大介八段の昇級が決定。ふたりともA級には返り咲きとなります。こちらでは渡辺明竜王が一時期は1勝5敗となり驚きましたが,こちらもそこから6連勝と力を見せました。降級は島朗八段と中川大輔七段。
 B級2組は最終的に3人の争いに。最終局で自力だった山崎隆之七段が勝って,8勝2敗のトップで昇級。同じく自力だった屋敷伸之九段は敗れましたが,競争相手の土佐浩司七段も敗れたため,順位の差で昇級となっています。予想通りの混戦。橋本崇載七段が4勝6敗とかなり苦戦したのは意外でした。
 C級1組は最終局で自力だった阿久津主税六段と豊川孝弘六段が共に勝ち,8勝2敗で昇級。安用寺孝攻五段も8勝2敗でしたが,順位の差で頭ハネとなりました。安用寺五段は,前期の最終局で勝っていれば今期は豊川六段より順位が上でしたし,豊川六段は前期の最終局を負けていれば順位が下になっているところ。このように,順位戦では前の期の一局の結果が翌年を左右するケースが生じます。豊川六段は僕より年上。この年齢での昇級は立派だと思います。また,このクラスは8勝が3人で,2勝以下がゼロ。僕の予想よりもずっと大混戦になったのも印象的でした。
 C級2組は村山慈明五段が9勝1敗,8勝2敗が3人出ましたが,順位の差で佐々木慎五段と高野秀行五段が昇級。初戦を落とした村山五段ですがそこから8連勝。この段階で昇級が決まりましたが,見事に最終局も勝ちました。もっと上までいける棋士だと思います。遠山雄亮四段も8勝2敗と健闘しましたが,順位の差で涙を飲みました。

 無限様態の場合についてこのように考えますと,一般的に無限様態というものがどのような原因と結果の秩序によって実在するようになるか,いい換えれば発生するのかということが理解できます。そしてそれは,神のある属性の絶対的本性を原因として,必然的に実在するのです。よって,ある属性の無限様態の発生の原因を知るために必要なことは,その属性そのものを認識するということなのであって,神のそれ以外の属性に関していえば,それを認識する必要はないということになります。これは第二部定理六を,無限様態に関して考えれば,そこから帰結されることにも適合しています。したがって,もしも十全な観念が無限様態として実在するという場合に関しては,単に神の思惟の属性の絶対的な本性に注目するだけで,知性はそれが発生するということを十全に認識できるということになります。
 ところで,観念の外的特徴とは,観念と観念されたものとの関係を意味し,観念の内的特徴とは,観念の対象との関係を離れた,その観念自身の連結と秩序を意味します。よって,無限様態として十全な観念が発生する場合には,単にその十全な観念の内的特徴に注目するだけで十分なわけです。それが思惟の属性の絶対的本性に注目するだけでその発生を認識し得るということは,この十全な観念の対象に関しては注目しなくてよいということを意味するからです。よって単にその内的特徴を定義しただけの第二部定義四によって,少なくとも観念が無限様態である限りは,十分に十全な観念の発生が含まれているといえると思います。
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正しいということ&無限様態の場合

2008-03-14 21:45:53 | 哲学
 一般的に何かが正しいといわれるとき,ふたつの場合があると僕は考えています。ひとつはそれが真理であるということ。この場合は真偽に関係します。もうひとつは正義であるということ。この場合は善悪に関係することになります。
 このうち真理というのは普遍的で永遠のものです。したがってこれは万人に共通です。たとえば三角形の内角の和が180度であること,あるいは第一部定義六のように神を絶対に無限な実体とした場合に,第一部定理一一のとくに第三の証明により,神が実在するということなどは,こうした真理に属するといえるでしょう。したがってこの意味である事柄を正しいというなら,それは正しいか誤っているかのどちらかでしかありません。
 しかし善悪は普遍的なものでも永遠のものでもありません。第四部定理八により,善悪は各人の喜びと悲しみの認識にほかならず,何に喜び,何に悲しむのかということは,第三部定理五一により各人によって異なるからです。すなわち,普遍的な正義なるものはなく,むしろ何が正義であり何が不正あるいは邪悪であるかの判断は,各人によって異なることになります。したがってこの意味である事柄を正しいというなら,これは正しいか誤っているかの二者択一ではなく,むしろそのようにいう人間の意見の表明にすぎません。
 正義は善に関係し,善は喜びであり,喜びは第三部諸感情の定義二によりその人間の本性の完全性のより大なる状態への移行ですから,各人が自分が正義であると信じる事柄を実行することはよいことだと思います。しかしそれは万人に共通ではありません。そのゆえに,それを正義である,正しいと主張することは,むしろ危険なことであろうと僕は考えています。

 一口に様態といっても,無限様態と有限様態すなわち個物とがあります,このうち,現在の考察と関連して第二部定理五の意味を考えていく場合には,無限様態の場合の方が理解しやすいだろうと思われますので,先にこの場合の方を考察していくことにします。
 無限様態はさらにふたつ,直接無限様態と間接無限様態に分けられますが,これはどちらで考えても同じことになります,そこでここでは直接無限様態の方でいくことにします。
 第一部定理二一にあるように,直接無限様態というのは神のある属性の絶対的本性を原因として,必然的に生じます。そこで十全な観念が直接無限様態としてある場合には,十全な観念は思惟の様態としてあるわけですから,神の思惟の属性の絶対的本性を原因としてあるということになります。そしてこのとき重要になるのは,単に思惟の属性の絶対的本性が直接無限様態の原因となっているということだけでなく,第一部公理三によれば,原因というものが与えられさえすれば,結果はそこから必然的に生じてくるわけですから,神の思惟の属性が存在する限り,直接無限様態としての十全な観念もまた必然的に存在するということになるということです。いい換えれば,思惟の属性は永遠のうちに存在しますから,直接無限様態としての十全な観念もまた,永遠から永遠にわたって実在するということになります。
 同様のことが間接無限様態にも妥当します。これは第一部定理二一の代わりに,第一部定理二二を用いることによって,これと同じ仕方で論証できます。
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地方競馬関係ブログ&第二部定理五証明

2008-03-13 22:36:51 | 地方競馬
 中央競馬関係ブログを紹介したのですから,地方競馬関係ブログも。
 まず,南関東で活躍する高橋華代子さん。メーンはダートの華道で,これは更新頻度が高いです。ほかに楽天競馬内の栗色競馬,日常を綴る栗色写真,文章のみの栗色日記。さらに大井で重賞・南関東重賞が行われるときの,重賞レース情報。ほかに,日替わりライターブログの執筆者の一員でもあります。このライターブログの一員の中では,古谷剛彦さんのなまらふるやっち,山中寛さんの山中の満腹感,大川充夫さんのミツオーのセカンドボイスも僕はチェックしています。
 予想関係では,渡辺敬一さんの独断と偏見。これは大井競馬のみですが,大井競馬開催中は毎日更新されます。そして吉川彰彦さんの地方競馬日記。こちらは毎週火曜の更新。南関東では大抵は重賞・南関東重賞は水曜に行われますので,その予想。行われないこともありますので,その場合は回顧になります。
 ほかでは小山内完友さんの俺達の南関東競馬。予想あり,回顧あり,日常ありです。
 そして古川浩さんのホッカイドウ競馬を愉しむ。これは名前の通り,北海道競馬関係ですが,種牡馬展示会のレポートなどもあります。
 地方競馬関係で僕がチェックを入れているのはこれくらい。僕は南関東中心ですが,ほかにもよいものがありましたらお知らせください。また,これは中央競馬関連になりますが,日本経済新聞の野元賢一記者のコラムを追加しておきます。

 それでは第二部定理五を証明します。
 まず,第一部公理三により,観念が実在するためにはその観念が実在する何らかの原因がなければなりません。次に第一部定理一五により,すべてのものは神がなくては実在することができません。よって観念の原因が神であるということはこれで明らかです。このことが大前提となります。
 そこで今度はある観念Xがあるとして,このXの原因をAと仮定した上で,このAがどのようなものでなければならないかということを具体的に考えてみます。
 まず第一部公理四により,この場合はXの認識はAの認識に依存することになります。いい換えれば,ある知性がXの観念,この場合は十全な観念ということになるのですが,Xの十全な観念を有するためには,Aの観念,この場合もAの十全な観念を認識していなければなりませんし,逆に,もしもAの十全な観念を認識しているならば,Xの十全な観念を認識しているということになるでしょう。
 しかし第一部公理五によって,もしもAとXに共通点がないならば,どんな知性もAを認識することによってXを認識することはできません。よってこの場合は,AとXの間には共通点があるということになります。
 ところで,AとXに共通点があるということは,AとXが実在的には区別されないということを意味します。よってAとXは同一の属性に属します。つまりXが観念であるならば,観念は思惟の様態ですので,Aは神ですが,それは思惟する限りでの神,いい換えれば神の思惟の属性であるということになるのです。
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東京シティ盃&第二部定理五の意味

2008-03-12 21:51:32 | 地方競馬
 大井競馬は3月は再来週にもう1開催ありますが,そこから夜の開催。つまり昼の開催は今回でしばらくありません。今日は東京シティ盃が行われました。
 発馬が心配されたベルモントサンダーもきちんと出て,一斉の発走。先手はナイキアディライトが奪い,外にブローザウインド,内にシルヴァーゼット。前半の600メートルは34秒6のハイペース。
 3コーナーにかけて外をプライドキムが上がっていき,これをマークするようにベルモントサンダーで,前が一塊になって直線へ。内のナイキアディライト,ブローザウインドが粘るところ,馬群の中からフーバーダム,そして内2頭の外に出てきたシルヴァーゼット,4コーナーは最後尾から外に出てきたベルモントストームの3頭が最終的に抜け出し横一線でゴール。写真判定となりましたが,大外のベルモントストームが1着,僕には勝ったように見えたシルヴァーゼットがハナ差で2着,さらにハナ差でフーバーダムでした。
 優勝したベルモントストームは2005年のグランドマイラーズ以来の勝利で南関東重賞は4勝目。1200メートルは本来は忙しい馬だと思うのですが,今日は上がりも時計もやや掛かる決着となり,ものの見事に追い込みが決まりました。鞍上の船橋の石崎隆之騎手は昨年の桜花賞以来の南関東重賞制覇で,東京シティ盃は2001年のサプライズパワー以来の3勝目。管理する船橋の出川克己調教師は1997年のアマゾンオペラ以来の東京シティ盃制覇です。
 ベルモントサンダーはいつもより早めの競馬。これは悪くなかったと思いますが,終始外を回るレースで,それでも勝てるほどの力はなかったということだろうと思います。

 第二部定理五の意味というのは,最も簡単に考えるならば,次のようなことであるといえると思います。
 第一部定理一五が意味している事柄を第一部公理三に応じて考えるならば,どんなものも神を原因として生じるということになります。当然ながらこのことは観念にも妥当しますから,どんな観念も,神がなくてはそれを考えることができない,いい換えれば,どんな観念も神を原因として何らかの知性のうちに,または何らかの知性そのものとして発生するということになります。しかしこのとき,神は第一部定義六により絶対に無限な実体なのですが,どんな観念であれ,ある観念の原因としての神というのを考える場合には,それをそのように絶対に無限な実体と考える必要はなく,単に思惟する限りにおける神,いい換えれば,神の思惟の属性と考えれば十分なのです。つまりこの部分の全体的な意味は,観念の起成原因は神の思惟の属性であるということになります。
 しかしこれは第二部定理六を,思惟の属性に関して個別に述べているにすぎません。この定理五を理解する上で重要なことは,あくまでも観念の原因はそうした神の思惟の属性そのものであって,観念の対象ではないということだと思います。観念というのは現実的には必ず何かの観念,すなわちXの観念であるわけですが,Xの観念の起成原因を考える場合に,Xについては考える必要はないということが,この定理における最も重要な部分であると思います。
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玉野記念&第二部定理五

2008-03-11 20:11:13 | 競輪
 玉野記念決勝。しかしこういうメンバーでの決勝となることを想定の段階で予想できた人はまずいないのではないかと思います。
 牽制になりましたが三宅選手がSを取って守谷選手の前受け。伊藤選手が4番手で松岡選手が6番手,阿部選手はずっとこのラインを追走。残り3周の段階から徐々に上昇していった松岡選手が残り2周のバックで守谷選手を抑えると,伊藤選手がこちらに切り替え5番手,守谷選手が7番手まで引いて打鐘。ここから守谷選手が一気に巻き返していきましたが,ホームから松岡選手も踏み出して前までいけす。バックから三宅選手が自力で捲っていくと,これがいいスピードで行ききれそうでしたが合志選手のブロックで失速。ここを伊藤選手と中井選手で外から一気に捲りきり,この2車での直線勝負。きわどい争いになりましたが,伊藤選手が制して優勝。中井選手が2着で,3着は外を伸びた阿部選手でした。
 優勝した愛知の伊藤正樹選手は競輪学校71期,35歳の中堅選手。これが嬉しい記念競輪初優勝になります。今回は有力選手の脱落でメンバーに恵まれたところもありますが,選抜スタートとはいえ完全優勝は立派。さらに上にというのはもう難しいのではないかという気もしますが,競輪レーサーとして,いい思い出に残るのではないでしょうか。

 明日は大井で東京シティ盃があります。ここはベルモントサンダー◎が中心。プライドキム○,ナイキアディライト▲,ブルーローレンス△の順で,シルヴァーゼット△。

 スピノザの哲学を貫くのは因果論ですから,十全な観念の発生について考察するためにはこのことに訴えなくてはいけません。しかし単にこのことから理解できるのは,十全な観念idea adaequataがある精神mensのうちに発生するのであれば,それにはその十全な観念が発生するための原因があるということ,そして逆に,もしもある一定の原因さえ与えられるならば,ある精神のうちに十全な観念が必然的にnecessario生じるであろうということだけです。もちろんこれはこれで非常に重要なことではありますが,いかにも具体性に欠けているといわざるを得ません。そこでこのことは前提として,さらに『エチカ』のほかの部分に訴えていくことにします。そのために今回は,第二部定理五を援用することにします。
 「観念の形相的有は,神が思惟する物と見られる限りにおいてのみ神を原因と認め,神が他の属性によって説明される限りにおいてはそうでない。言いかえれば,神の属性の観念ならびに個物の観念は観念された物自身あるいは知覚された物自身を起成原因と認めずに,神が思惟する物である限りにおいて神自身を起成原因と認める」。
 この次にある第二部定理六についてはすでに扱ったことがあります。そしてこの第二部定理五は,その第二部定理六が一般的にいっている事柄を,とくに思惟の属性Cogitationis attributumに関してのみ示したものと考えることもできるのですが,僕が思うに,第二部定理五でスピノザが意味しようとしていることのうちには,第二部定理六で意味させようとしたことよりも強い意味があります。よってここでは,十全な観念というまさに観念をテーマとして扱っていますので,こちらの方を用い,これについても考えてみることにします。
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サンアディユ&因果論

2008-03-10 19:55:22 | 中央競馬
 土曜日に中山競馬場ではオーシャンステークスという重賞が行われました。ここで1.7倍の1番人気に推されていたのがサンアディユ。昨年7月,新潟でアイビスサマーダッシュを勝つと9月のセントウルステークスも勝ってサマースプリント王者に。続くスプリンターズステークスアストンマーチャンの2着だったものの11月に京阪杯も勝利。その後,休養に入り,30日の高松宮記念に向けての始動戦でした。
 しかしこの日はゲートの中で暴れました。体勢が立ち直ったと判断されたのかそのまま発走となりましたが,大きく出遅れ。馬群に取り付くところまではいきましたがそれが精一杯。16頭立ての16着。15着の馬からも5馬身離される大敗でした。もう少し適切な処置ができなかったものか,河村清明さんもおっしゃっているように,なんとも後味の悪いレースでした。
 レース後,サンアディユは栗東のトレーニングセンターに戻りました。しかし日曜の昼になって心不全を発症,急死してしまいました。
 この急死と土曜の一件と,因果関係があるとはいえません。しかし,すでに身体に異変を感じていたから走るのを嫌がったとか,大きく出遅れて馬群に取り付くレース振りが過度に負担になったとかいうことはないとはいえません。因果関係があるとはいえませんが,ないとも言い切れないだろうと思います。
 競馬というのは,ことばによって人間とコミュニケーションを取れない馬という動物が争うスポーツですから,こうしたアクシデントというのはどうしても避けられない一面があります。僕も競馬ファンとしてそれはよく分かっていますが,さらに後味の悪さが増幅された感は否めず,とても残念なことでした。
 今日はサンアディユのために永久欠番を。馬と一緒にしては怒られるかもしれませんが,そういえば友人も,虚血性心不全だったのです。

 明日は玉野記念の決勝です。並びは伊藤-中井の中部近畿,守谷-三宅-米沢の中国四国,松岡-合志-紫原の九州に阿部。難しいですけど地元の三宅選手でしょうか。

 これで観念と意志が同一のものであるということ,より厳密にいうならば,Xの観念とXの観念を肯定ないしは否定する意志作用とが同一のものであるということは証明できました。そこで意志は一般的な意味で思惟の様態であるということがすでに明らかになっているわけですから,これによって観念もまた思惟の様態であるということ,すなわち観念なるものが実在するならば,それはどのような観念であったとしても,必ず思惟の様態として実在することも明らかになったということになります。十全な観念は観念であるわけですから,どんな十全な観念も,必ず思惟の様態として実在するでしょう。これはこの十全な観念がどの知性のうちにあるのか,逆のいい方をすれば,この十全な観念がどんな知性の一部あるいは全体を構成するのかということに関係なく,きわめて一般的な事柄です。そこでこのことを利用して,十全な観念の発生について考えていくことにします。
 スピノザの哲学を貫く基本的な原理のひとつは,いわずとしれた因果論です。この大前提となっているのが第一部公理三。これは十全な観念に限らず,どんなものであっても,そのものの発生ということを考えるならば,必ず立ち返らなければならない公理です。なお,この公理には公理としての疑念があるのはかつて考察した通りですが,公理の内容は正しいと結論していますので,ここではそれは問題にせず,便宜的にこれが公理として成立しているものと考えます。
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ももたろう賞&意志の性質

2008-03-09 19:30:24 | 競輪
 玉野記念2日目優秀(動画)のももたろう賞。玉野は岡山県内唯一の競輪場です。
 稲垣選手の後ろは地元で三宅選手が主張。ということで山田-有賀の中部,稲垣-三宅-豊田-米沢に有坂,九州は紫原-合志で自在戦となりました,
 前受けは紫原選手。山田選手が3番手で稲垣選手が5番手で周回。稲垣選手は打鐘からようやく動いてかまし先行。山田選手も紫原選手も飛びつきませんでしたが,有坂選手は離れたので,米沢選手までが出きり,紫原選手が5番手,有坂選手が7番手で山田選手が8番手。結局この一列棒状のまま最後の直線までレースが進展,稲垣選手が一杯に逃げ切って1着。三宅選手が詰め寄って2着。三宅選手と豊田選手の中を割った米沢選手が3着と,前での決着になりました。
 今日は稲垣選手が先行1車を生かした形。ただ,番手の三宅選手も無風で回ってきましたので,これを凌いでの1着は立派であったと思います。

 人間の精神のうちにある意志というものを,このように月の表象の場合で考えてみれば,意志の性質というものもより明らかになってきます。すなわち第一部定理三二にあるように,意志というものはその意志を有するもの,この場合には人間にとって,自由な原因であるのではなく,むしろ与えられた原因によって必然的に生じてくるものなのです。誤謬との関係を考えるときに,観念の場合の方がよく理解しやすく,意志の場合の方が困難であると感じられるとしたら,それは,意志というものが自由な原因であるという思い込みによるところが大きいのではないかと思います。
 意志というものが観念がなくては考えることができないということについては,実は意志が絶対的な思惟ではなく,思惟の様態であるということさえ認めるならば,このように意志を観念との関係で考えずとも,第二部公理三に訴えるだけで理解できます。なぜなら,思惟の様態のうち第一のものは観念ですから,意志があるということは,この意志に関係するような何らかの観念が必要だからです。
 いずれにしても,意志が観念が観念である限りにおいて含む肯定ないしは否定である限り,たとえ僕たちのうちにある真理を肯定するような意志があるのだとしても,ただそれだけで,その同じことに関係する虚偽を肯定する意志が僕たちの精神のうちに生じることをストップできるわけではないのです。したがって,意志をこのように個々の意志作用として考えれば,そうした意志作用がけっして自由なものではないということも,経験的に理解できるのではないかと思います。
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棋王戦&月の表象の場合

2008-03-08 19:55:23 | 将棋
 棋王戦五番勝負第三局。ここは羽生善治二冠の先手。佐藤康光二冠の作戦はごきげん中飛車。③CⅠの超急戦に進展。佐藤二冠が偉大なる悪手で応じると,羽生二冠も王将戦第二局で出した▲9六角で応戦。渡辺竜王によると10時にはここまで進んでいたようです。佐藤二冠は第8図の形に進めました。
          
 実はこの第8図,▲6一香成で先手が指せると結論していたのですが,羽生二冠の選択は▲2二歩。これはと金作りというより龍を取られるのを嫌った意味ですので,▲6一香成△1一馬という進展は,後手玉が4筋から3筋方面に逃げられると,盤面の左側の駒は取れても大変ということなのかもしれません。実戦は▲2二歩に△6六桂と取り,▲同歩△7四歩▲同角△6六馬に▲6五桂と王手しました。
          
 後手は第1図で△6二玉とこちらに逃げました。先手は▲6四歩と追撃し,△7二銀の受けに▲3一龍△同金▲6三銀と踏み込み,△7一玉に▲5二銀不成としました。
          
 第2図で後手は△6七香と打ちました。詰めろではありませんが△6九香成としたときに▲同玉とはできない形なので部分的には厳しい手。しかし少なくともこの手はいい手ではありませんでした。ここは△6八歩と打って△3九馬を狙う方が勝るのかもしれません。というのは△6七香の後,▲同金△同馬▲6一銀成△同銀▲5八金打と受けられてみると,どうもこの局面は先手の勝ちのようだからです。
          
 第3図以下,実戦のように7四の角は抜けるのですが,先手玉は捕まりません。ということで後手の投了,羽生二冠が2勝1敗として棋王位に王手を掛けました。
 最後は一方的になってしまいましたが,これはこれでまた面白い将棋でした。第四局は19日に指されます。
 
 明日は玉野記念の2日目優秀,ももたろう賞です。並びの予想ですがここは稲垣選手の先行1車。近畿中部で山田-有賀が行きたいでしょうが,紫原-合志の九州もここを主張すると思います。三宅-豊田の岡山に中国四国で米沢,有坂は位置を決めずに単騎でしょうか。インタビューがアップされると思いますのでご確認ください。いずれにしても稲垣選手。

 この観念が観念である限りにおいて含んでいる意志と誤謬との関係は,人間の精神によるの表象というのを例にとれば,さらに分かりやすく説明できると思います。
 僕たちが夜空に月を見上げるとき,月は実際にある位置よりはずっと近くにあるように表象します。これはこの表象が,単に月の本性だけを含むのではなく,月の光と僕たちの身体が関係し合うことによって,すなわち,月の本性と僕たちの身体の本性の両方を含むことによって形成されているからです。これは第二部定理一七の通りであって,問題ありません。
 そしてこのとき,僕たちは,月が実際にあるよりは近い位置に実在することを肯定する意志作用を有しています。これが,第二部定理四九が,混乱した観念について一般的にいっていることです。そしてこの意志作用というのは,僕たちが実際に月がどの位置にあるのかということを知っているか知っていないかということと関係なく,僕たちの精神のうちに,あるいは月の表象のうちに生じるのです。これはちょうど,僕たちが月の真の位置を知っているか知らないかに関係なく,僕たちが月を実際にあるよりは近い位置に表象するということに対応します。これは第四部定理一で述べられていることであり,やはり問題ありません。
 したがって僕たちは,月が実際にある位置に実在することを肯定する意志を有していたとしても,月を表象する際には,月が実際にあるよりは近い位置にあることを肯定する意志を有することになるのです。いい換えれば,月の十全な観念を有していても,月の混乱した観念を有する場合があるわけです。ですから,単に混乱した観念を肯定するような意志作用が人間の精神のうちにあるとしても,ただそれだけで,その精神が誤謬を犯しているということはできないということになるのです。
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久保利明八段&誤謬との関係

2008-03-07 18:52:29 | 将棋トピック
 王将戦では1勝4敗で敗退。順位戦でも残念ながらA級から降級が決まってしまった久保利明八段。僕は久保八段に少し思うところあるので,今日はそれを書いてみます。
 久保八段は振飛車党ですが,用いる作戦は四間飛車,ごきげん中飛車,早石田がほとんど。このうち,四間飛車は藤井猛九段の藤井システムをベースとしていて,ごきげん中飛車は近藤正和六段が開発した戦法,早石田は鈴木大介八段が復活させた戦法です。こう書くと久保八段は独創性のない棋士に思えるかもしれませんが,僕は必ずしもそうではないと思います。
 ごきげん中飛車の①Bの変化というのは,2003年の銀河戦本戦トーナメントで,佐藤康光二冠が谷川浩司九段に対して指したのが第1号局です。久保八段はこのとき解説を担当していて,△2二飛の局面が現れたとき,これは自分も考えたことがあると言っていました。感想戦では谷川九段はこの手順にかなり驚いた様子でしたので,少なくともここでは,久保八段の発想は谷川九段を上回っていたと思います。
 昨年の竜王戦第六局は,一昨年の竜王戦第六局と同じ出だしから,意表の相中飛車になりました。一昨年は6手目が△6二銀であったのに対し,昨年は△4二銀だったのですが,BSの生放送でこの将棋を解説していた久保八段は,△6二銀でなく△4二銀ということは,後手の佐藤二冠は相振飛車を考えているのではないかと,この段階で解説したようです。指された渡辺明竜王は,△5二飛にびっくりしたといっていますので,このときも久保八段の発想は渡辺竜王を上回っていたのではないかと思います。
 僕が久保八段の将棋で印象に残っているのは,瀬川昌司四段のプロ編入試験の一局。早石田の一種とはいえますが,この将棋の序盤はかなり独創性に溢れていたと思います。
 独創性のある将棋は見ていて面白いのですが,プロは勝たなければなりませんので,そればかりを求めるのは酷であるというのも事実。瀬川四段との将棋も,久保八段が勝ちましたが,途中の分かれは少し苦しくなりました。しかしその一方で,もしかしたら久保八段は,自身の発想力を前面に押し出すことで,もうひとつ上のステップに上がれるのではないかという気もするのです。

 明日は棋王戦五番勝負第三局。勝った方が棋王位に王手を掛ける一番ですが,内容の方も楽しみです。

 また,明日から玉野記念が開催されます。荒井選手が中心になるでしょうか。

 現在の目的は,一般的に観念と意志とが同一のものであるということを示すことですから,もうこれだけで十分なのですが,ここは間違いを起こしやすいところと思いますので,混乱した観念が観念である限りにおいて含んでいる意志と,誤謬との関係について,説明しておくことにします。もちろんこれは,スピノザの哲学において,虚偽と誤謬とは異なるという意味における,いわば厳密な意味での誤謬との関係です。
 やはりこりん星の場合で考えてみます。小倉優子の精神のうちにこりん星の観念があるということは,同時に,こりん星なる星の実在を肯定するような意志があるということを意味します。しかし,この意志があるということが,小倉優子が誤謬を犯しているということを直ちに帰結するのではありません。ある精神のうちに,ある意志があるということと,その意志,すなわち肯定ないし否定が正しいと思うということは,やはり別のことだからです。これはちょうど,ある人間の精神のうちに,混乱した観念があるということと,その混乱した観念が十全な観念であると思うことが別のことであるというのと同じです。
 そもそも,混乱した観念はすべからくそれを肯定ないし否定するような意志なしには考えることができないのです。よってこの意志がその混乱した観念を有する精神の誤謬を示すとすれば,おおよそ混乱した観念を有する精神はすべて誤謬を犯しているということになります。しかしスピノザの哲学では,そのようには考えません。こうした意志自体が示すのは,誤謬ではなく虚偽であり,この虚偽を真理とみなすことによって,はじめてそれは誤謬であるといわれるのです。
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銀河戦&十全な観念との相違

2008-03-06 19:41:51 | 将棋
 kuroumaさんが,いきなり三間飛車というエントリーをされました。2月28日に放映された銀河戦Cブロック6回戦,阿久津主税六段と長岡裕也四段の一戦が,ちょうどこの戦型になりましたので紹介します。
 阿久津六段の▲7六歩に長岡四段が△3二飛。以下,▲2六歩△6二玉に,▲9六歩△9四歩の交換が入り,▲2五歩△3四歩。先手はここで▲2二角成といき,△同銀に▲6五角。後手はやはり△7四角と打って第1図。端歩の関係を別にすれば,kuroumaさんの参考3図の形です。
          
 当然▲4三角成△4七角成と馬を作り合い,▲5八金右△7四馬で第2図。馬の働きの差で先手有利というのが解説の大平五段の見解でしたが,これくらいであれば後手も指せそうです。
          
 第2図から▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2八飛としましたが,以下△4二金▲4四馬△3三銀▲6六馬△2二飛▲4八銀△2四歩▲2六歩となってみると,飛車先交換は得だったかどうか微妙な感じです。
          
 第3図からは囲い合いになって第4図。ここで後手が△3五歩と仕掛け,ようやく本格的な戦いに。
          
 しかしここではすでに後手がよかったようです。△3五歩以下,▲2五歩△3六歩▲2四歩△2七歩▲同飛△2六歩▲3四歩△2七歩成▲3三歩成△2四飛と進展。飛車銀交換で後手の駒得となり,優勢になりました。
          
 第5図以下,やや危ないところもあった感じですが,逆転は許さず,後手が押し切りました。

 十全な観念であろうと混乱した観念であろうと,その観念はそれが観念である限りにおいて何らかの肯定ないし否定,すなわち意志を含んでいることに変わりはありません。また,その観念はそうした意志作用なしには考えることができませんが,そうした意志作用はその観念なしに考えることができないという点についても同様です。
 ただし,十全な観念と混乱した観念の関係は有と無という関係を意味します。そして事物の本性はその事物の存在を定立するようなあるものですから,このとき,観念と意志作用との関係における,十全な観念と混乱した観念との相違というのは,十全な観念の意志作用というのがその観念の本性を意味するのに対して,混乱した観念の意志作用は,その観念の本性を意味するとはいえないという点にあるわけです。
 しかし,混乱した観念というのは,それがあるといわれるならば,有限知性,たとえば人間の精神のうちにあるわけで,それが神のうちにある観念と関係付けられるなら,十全な観念なのです。これはこりん星の場合のように,その形相的な対象が無の観念と考えられる場合にも同様であって,この場合には,こりん星の十全な観念を肯定ないし否定する意志作用があり,これはこの観念の本性を意味すると考えていいでしょう。
 そもそも,「ある」といういい方は,あるといわれるものが実在的であることを意味するわけです。なので有と無の関係を離れて,人間の精神のうちに混乱した観念があるというのであれば,この混乱した観念を肯定ないしは否定する意志作用のことを,便宜的にこの混乱した観念の本性であるといっても構わないと思います。十全な観念と混乱した観念を比較するときに,初めてこの相違が問題となってくるからです。
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ダイオライト記念&こりん星の場合

2008-03-05 20:05:46 | 地方競馬
 アジュディミツオー,フリオーソと,現在の地方競馬を代表する2頭がともに出走してきたことで注目の一戦となった今日のダイオライト記念。昨日の時点でマズルブラストが取り消し,13頭で争われました。
 逃げることで良積を残している馬が3頭。ということでまずは何が逃げるのかが焦点でしたが,先手を奪ったのはシャドウゲイト。外にアジュディミツオーが続き,内にマコトスパルビエロ,外にフリオーソ。隊列が決まると1周目の正面で,ぐんとペースが落ちました。それでも発走後は争いがあったため,最初の1000メートルは62秒0でした。
 2周目3コーナー手前からアジュディミツオーがシャドウゲイトに並びかけていくと,シャドウゲイトは後退。しかしさらに外からフリオーソとトップサバトンが上がってきて,アジュディミツオーも苦しくなりました。直線に入ると追われたフリオーソが楽に抜け出し,最後は騎手が後ろを振り返る余裕で5馬身差の楽勝。焦点は2着争いになりましたが,後方から直線は一番外を伸びたボンネビルレコードが2着,中ほどから伸びたサカラートが3着でした。
 優勝したフリオーソは昨年のジャパンダートダービー以来の勝利で重賞は3勝目。騎乗した大井の戸崎圭太騎手は,1月の船橋記念など,南関東重賞はいくつか制していますが,重賞はこれが初勝利。管理する船橋の川島正行調教師は2002年のインテリパワー以来のダイオライト記念制覇。端的にここでは力が違いました。初めての長距離は少し不安でしたがまったく問題ありませんでした。これで完全に地方競馬のトップに立ったといっていいと思います。

 混乱した観念の場合にも,その観念を肯定ないしは否定するような意志作用が含まれるということを,具体的に考えてみます。ここではかつて扱ったことがありますので,小倉優子の精神の中に,こりん星の観念があるというのをその例にします。なお,この観念が混乱した観念であるということについてはそれ自体で明らかだと思いますので,ここではそれについては追求しないことにします。
 表象というのは,表象された事物が現実的に存在するとされるような観念のことを意味します。もちろんこれは,こりん星に限らず,すべての表象に同様であり,また,表象というのはすべからく混乱した観念です。したがって,たとえば小倉優子の精神のうちにこりん星の観念があるというとき,この観念のうちには,こりん星という星の実在を肯定するような意志が含まれているといえます。実際にはそれは,これこれこのように実在するということを肯定するような意志なのですが,僕にはそれは分かりませんから,今はその点は省略し,単にこりん星が実在することを肯定する意志としておきます。実際に,こりん星の観念はこうした意志なしにはあることができませんから,これで十分だと思います。
 しかし一方で,こうした星の実在についてそれを肯定するような意志というのは,こりん星の観念がなければ考えられません。そもそもこの意志作用は,こりん星の実在のみを肯定するような意志作用であるといえるからです。よってこの場合には,こりん星の観念とこりん星の実在を肯定する意志作用との間には,一方がなければ他方が考えられないという関係があることになります。そしてこの関係は,あらゆる混乱した観念について妥当なのです。よって混乱した観念の場合にも,その観念には,それが観念である限りにおいて,それを肯定ないし否定する意志作用が含まれているので,第二部定理四九の内容は,十全な観念だけでなく,混乱した観念の場合にも妥当であるということになります。
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名古屋記念&混乱した観念の場合

2008-03-04 19:32:46 | 競輪
 今回の名古屋記念の優勝候補は何といっても小嶋選手だったと思うのですが,残念ながら二次予選で失格。今日の決勝(動画)には進めませんでした。
 Sは小倉選手が取り,友定選手の前受け。中川選手が3番手,吉田選手が7番手で周回。残り2周のホームから吉田選手が上昇し,まずは中川選手の外で蓋。平沼選手がこちらのラインに切り替えました。打鐘で友定選手が誘導との車間を開けると吉田選手が一気に発進し,そのままかまして先行。中川選手がホームから巻き返すと,神山選手がバックの入口で強烈な牽制をしましたが,中川選手は行ききりました。遠沢選手は離れ,中川選手,渡辺選手のふたりで抜け出して直線勝負。渡辺選手が中川選手を交わして優勝。2着には中川選手が残り,3着には神山選手。
 優勝した静岡の渡辺晴智選手は先月の豊橋記念に続いて記念競輪連続優勝で,通算3度目の記念競輪制覇。今日は吉田選手も中川選手も別ラインを後ろにつけていたので,どのようなレースになるかがひとつの注目点でしたが,中川選手が行ききった時点で勝負あり。渡辺選手としては今日は付いていくだけでOKでしたので,レースとしては意外に楽であったかもしれません。
 そういう意味では2着の中川選手は強いレースをしたといえるでしょう。まだ記念競輪の優勝はありませんが,かなり近い位置まできていると感じました。

 明日は船橋でダイオライト記念です。距離も乗り換りも心配ですが一応はフリオーソ◎が中心。力ではアジュディミツオー○。あと,マコトスパルビエロ▲,ボンネビルレコード△,サカラート△としておきます。

 この観念と意志の関係が重要であるのは,ある有限知性,たとえば人間の精神のうちに,混乱した観念があると考えられる場合にも,この関係が成立しているとスピノザが考えているからです。第二部定理四九系でスピノザが本来は示したかったことの主旨は,意志が知性を超越するということはないということであったと思いますが,このことは同時に,スピノザはたとえば人間の知性というときに,それは十全な観念と混乱した観念との両方から成立していると考えていることを意味していると思います。逆にいえば,もしも知性なるものが単に十全な観念のみから成立すると仮定するならば,スピノザは意志は知性を超越し得るといわなければならなかったでしょう。混乱した観念の場合にも,それを肯定ないしは否定する意志というのがあるのであって,この観念はそうした意志作用なしには考えることができませんし,逆にこの意志作用は,この混乱した観念なくして考えることができないからです。
 ただしこの場合は,観念と意志の関係を,事物と本性との関係そのままに理解することはたぶんできません。混乱した観念の本性というのは,実際には考えることができないようなあるものだからです。したがって混乱した観念とそれを肯定あるいは否定する意志作用の関係は,一方がなければ他方は考えられないような関係ですが,意志作用の内容は観念の実在性を定立するようなあるものであるというよりは,もしもそれを本性というものが示す真の意味から考えるならば,矛盾を抱えている本性のようなもの,別のいい方をすれば,もしも十全な観念という視点から見た場合には,むしろその観念の実在性を排除するようなあるものであると考えるべきだろうと思います。
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新王者誕生&観念と意志

2008-03-03 19:46:11 | NOAH
 NOAHの今年最初の日本武道館大会が昨日あって,タイトルマッチがふたつ行われました。このうち,ニューヨークでKENTA選手を相手に7度目の防衛を果した三沢選手のGHCヘビーには,暮れの再戦で丸藤選手に勝った森嶋選手が挑戦しました。昨年1月の初防衛戦以来の対戦です。
 試合は森嶋選手の力強い動きを三沢選手がエルボーで止めていくという展開。これは三沢選手が自分より大きな相手と戦っていくときのスタイルといえ,攻撃している時間は森嶋選手の方が長くても,三沢選手のペースであったと思います。
 そうしている間にどこかでチャンスを見つけ,そこで一気に畳み込むのが三沢選手の勝ちパターン。この試合も,森嶋選手が場外へのバックドロップを狙ったところを切り返し,逆にエメラルドフロウジョンを決めてチャンス到来。リングに上げて雪崩式エメラルドフロウジョン,ランニングエルボー,ローリングエルボーと決めましたが,森嶋選手が凌いでラリアットで反撃。ここから強引なバックドロップを見舞うとあとは反撃のエルボーも完全に見切り,ラリアット連発からバックドロップを決め,三沢選手を沈め,新王者誕生となっています。
 森嶋猛選手はデビューちょうど10年目。昨年の挑戦に失敗した後,アメリカのROHの王者になり,渡米を繰り返しながら20度もの防衛に成功。シングルのタイトルはこれが2度目。今後の防衛戦次第では,真の意味でNOAHのエースになれる存在であると思います。

 明日は名古屋記念の決勝です。しっかりした並びは友定-小倉の中国四国。あと,吉田には神山-兵藤の関東で,中川には渡辺-遠沢の南関東で,平沼はここを追うようです。難しいですが神山選手から考えたいです。

 第二部定理四九証明されたことにより,『エチカ』における意志と観念との関係がどのようなものであるのかということが明らかになったといえます。すなわち,観念はこの観念の内容を肯定ないしは否定する意志がなければ考えることができないようなあるものですが,意志というのは,それが肯定ないしは否定する内容を有するような観念なくしては考えることができないようなあるものなのです。
 ところでこの関係は,第二部定義二における,事物とその事物の本性との関係に一致しています。なぜなら,事物はその本性なくしてあることも考えることもできないようなあるものですが,事物の本性というのは,その事物がなくてはあることも考えることもできないようなあるものだからです。したがって,実は意志と観念の関係というのは,本性と事物との関係に等しいのです。いい換えれば,観念というのがある事物であるとすれば,意志というのはこの観念の本性にほかなりません。より正確にいうなら,Xの観念があるとき,このXの観念を肯定ないしは否定するような意志作用は,このXの観念の本性なのです。
 このことは具体的に意志作用を考えれば,経験的にも証明できますが,これは別のテーマです。ただひとつ,注意するべきことがあるとしたら,僕たちは一般的には事物を認識する場合に,その事物自身とその事物の本性を同時に意識するというわけではありません。僕たちが観念と意志とを別のものと考えるのは,僕たちがある観念を意識するときに,すなわち観念の観念を有する場合に,観念として意識する場合もあれば,観念の本性,すなわち意志として意識する場合もあるからだと思います。
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太閤賞&第二部定理四九証明

2008-03-02 19:00:42 | 競輪
 名古屋記念2日目優秀(動画)の太閤賞。
 長塚選手の前受け。萩原選手が4番手,中川選手が7番手での周回。残り2周のホームで中川選手の上昇に合わせ萩原選手が先に動き,バックで長塚選手を叩いてこのラインが前に。打鐘で中川選手が発進すると萩原選手はとくに抵抗せず,ホームから中川選手の抑え先行になりました。長塚選手が巻き返しましたが中川選手にうまく合わせられバックでは後退。後方からの捲りになった萩原選手も3番手で一杯。直線,少し早めに踏み出した小野選手が1着。長塚選手がいけずに,九州の3番手を友定選手と外併走という苦しい形になった手島選手が,それでも外をよく伸びて2着。手島選手マークの稲村選手が3着となっています。
 予想通りの展開で,小野選手にとっては中川選手を抜けるか抜けないかというレースだったと思いますが,少し早めに踏みましたので中川選手を残すことはできませんでした。ただ今日は,あれ以上待っていれば,逆に関東勢に捕えられる結果になったかもしれませんので仕方がないと思います。

 それではこれが一般的な事柄であるということを前提に,第二部定理四九を証明します。
 意志は観念の肯定ないしは否定ですので,ここでは三角形の観念と,三角形の内角の和が180度であることを肯定するという意志の間に,どのような関係があるのかということをみていきます。
 形相的に三角形があるとき,この三角形の内角の和は必ず180度です。よって第一部公理六により,三角形の真の観念のうちには,このことが含まれていなければなりません。ということは第二部定義四により,三角形の十全な観念の場合にもこれは同様です。したがって,三角形の十全な観念があるということは,三角形の内角の和が180度であることを肯定する意志があるということを含みます。逆にいえば,この意志なくして三角形の十全な観念というのはあることができないでしょう。
 一方,ある図形に関連して,この図形の内角の和が180度であることを肯定する意志があると仮定してみます。形相的に内角の和が180度である図形は三角形だけです。よってもしもこの意志がある真の観念に関係するとしたら,この意志すなわち肯定は,三角形の真の観念だけを肯定できるのであって,ほかの観念を肯定することはできません。このことから,この意志は,もしもこの意志が真理に関係すると考えられる場合には,三角形の真の観念あるいは同じことですが三角形の十全な観念なしにはあることができないということになります。
 つまり,観念と意志との間には,一方がなければ他方もあることはできないという関係があることになります。そしてこれはどんな意志と観念の場合にも妥当ですから,意志とは,観念が観念である限りにおいて含んでいる肯定ないし否定であるということになるのです。
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