書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

正義。

2011年05月06日 17時07分24秒 | 意識論関連
 ビンラディン殺害でうかれている人達って、ありていにいって被害者遺族ではないよね。はたして戦争を正当化していた人の何割が被害者遺族だったんだろうね。本当は被害者遺族の意向とか無関係で、大多数の他人が勝手にナショナリズム振り回して戦争していたのではないだろうか。

 そもそも、相手がテロリストだろうとなんだろうと、ヒトを殺しておいて喜んでいるというのは人間としてどうなんだ。実際日本の遺族の方の意見では、殺害せずにきちんと裁判を行って、真実を知りたかったって言ってた。

 水戸黄門とか暴れん坊将軍、あるいはアイアンマンみたいに「悪者は殺せば満足。」という短絡的な気分的満足に溺れている状態というのは、結局テロリスト達と思考形式が同じである。こうした短絡性こそが戦争とかテロを正当化する原因。

 テロであろうと戦争であろうと、その手法は根本的に間違いである。「目には目を。」という条件反射的な行動の根源は感情論であり、これは何ら理論的な解決策、再発防止策をみちびかず、単に気分的に満足するだけの行動である。

 オバマの演説では、「テロ首謀者を殺害したから、正義の裁きが下された。」なんて言っているけど、裁判にもかけずに「裁き。」などというのはとんでもない理論的飛躍である。ノーベル賞というのは戦争を正当化しても、株価暴落を引き起こしても、知能であると「見なす。」らしい。

 テロリストの論理では、「パレスチナが迫害されているから。」と論じているけど、だからといってニューヨークを攻撃するのは根本的に間違いである。一方、アメリカの論理では、「テロリストさえ殺せば正義だ。」なんていうのも論理の飛躍。

 「俺が間違った行動を採るのは、相手が悪いからだ。」という、いわば環境依存性が自律的判断の欠落と同義なのである。


 シリアのデモで警官隊が実弾発砲して30人も死んだらしい。デモといっても、暴動みたいなデモだから、現場の判断として一概に市民弾圧とも言い難い。デモも良いけど暴動に発展するというのは市民の方に自制心というものが欠落している。単にお祭り騒ぎがしたいだけにしか見えない。おそらく少数の過激な人達の行動によって暴動に発展するのであろう、その時により多くの冷静な人達が自制を促していれば暴動は止められるはずである。そういう人達があまりに少な過ぎる。

 一面的な正義を振り回して、大勢で騒げば気分的、本能的には満足なんだろうけど。そうした「習性」「傾向性」というものを客観的に認識して、自制しなければ「人間。」ではない。

 デモが暴動に発展するのは集団心理という情動行動が原因である。どうも白人というのは大脳辺縁系の活動が活発なようで、簡単に暴動に発展する。

 東日本大震災で大規模暴動が発生しなかったことを、海外は「クールジャパン。」と賞賛しているが、日本人は遺伝的に感情的にならない性質、習性があるからなのではないか。

 それを生物学的に「進化している。」などと評価するのも間違いである。これは単なる結果論であって、日本人が戦争をしないことを証明していない。

 遺伝的にどのように「変化。」したかが問題なのではない。遺伝的要因に関わらず、また、環境に関わらず、今現在において行動選択する本質的意識こそが重要なのである。
コメント
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