クソゲーとかヒマゲーではなくて、科学計算に基づいたアプリケーションとかあったら面白くて、科学離れを止める社会的な功績もあるんじゃないかな。
二重振り子のアプリって既にあるのかな。アポフィジスの場合は計算量が莫大だからスマートフォンでは難しいだろうけど、ジュリア集合とかだけならリアルタイム計算とかできるんじゃないかな。
天体ナビゲーターとかなら既に一般化されてるし、元素周期表を図鑑にした電子書籍とかも有名だよね。
野鳥図鑑とかを動画で作ったり、早川いくを著の「へんないきもの。」を電子書籍にしても面白そう。
科学って本当は面白がることから始まるんだけど。日本の教育の場合、精神論的に苦痛を味わうことが「偉い。」とされるマゾヒスティックな観念を振り回すのが大好きなので、勉強というものが面白がってはいけないことのようにされている。
だから学校の教科書というのはつまらない。
教科書の内容というのは、学力試験の基準に基づいて決められているので、好奇心というよりは成績得点に対する反射的な意欲しか促さない。
その結果、自分が何をしていれば楽しいのかもわからなくなってしまう。
従って、クソゲーだのパチンコだのばっかりにハマって、一向に精神は満たされない。
砂漠とかでよく見る三日月型の砂丘を「バルハン砂丘。」って呼ぶらしいんだけど、それが火星探索衛星からの画像に見つかったらしい。こういうことって大学とかでないと教えてくれないけど、本当は小学生とかに教えたら興味持ってくれるはず。
「子供には難しい。」とかって、親大人の方が勝手に決め付けるのは。それを成績試験とかで均一性を求めることが難しいだけであって、個人である子供の主体性というものを重要視するなら、不均一な成績であることには何の問題もありはしないんだけどね。
子供っていうのは工業製品じゃないから、他の子供と違うのは当たり前のこと。どれだけ違うかこそが個性のはずなのに、学力成績だけは均一性を求めようとしてしまう。
平均と違うことへの強迫観念的な拒絶反応というのが、ヒトという種の生物には存在する。
「はずかしい。」とか「格好悪い。」なんていうのは、こうした多数他人との比較による観念的な恐怖心が作り出す感情に過ぎない。
気分だとか感情に流されていて、論理的思考なんか養われるわけがないのである。そりゃ科学離れも起こるわさ。
二重振り子のアプリって既にあるのかな。アポフィジスの場合は計算量が莫大だからスマートフォンでは難しいだろうけど、ジュリア集合とかだけならリアルタイム計算とかできるんじゃないかな。
天体ナビゲーターとかなら既に一般化されてるし、元素周期表を図鑑にした電子書籍とかも有名だよね。
野鳥図鑑とかを動画で作ったり、早川いくを著の「へんないきもの。」を電子書籍にしても面白そう。
科学って本当は面白がることから始まるんだけど。日本の教育の場合、精神論的に苦痛を味わうことが「偉い。」とされるマゾヒスティックな観念を振り回すのが大好きなので、勉強というものが面白がってはいけないことのようにされている。
だから学校の教科書というのはつまらない。
教科書の内容というのは、学力試験の基準に基づいて決められているので、好奇心というよりは成績得点に対する反射的な意欲しか促さない。
その結果、自分が何をしていれば楽しいのかもわからなくなってしまう。
従って、クソゲーだのパチンコだのばっかりにハマって、一向に精神は満たされない。
砂漠とかでよく見る三日月型の砂丘を「バルハン砂丘。」って呼ぶらしいんだけど、それが火星探索衛星からの画像に見つかったらしい。こういうことって大学とかでないと教えてくれないけど、本当は小学生とかに教えたら興味持ってくれるはず。
「子供には難しい。」とかって、親大人の方が勝手に決め付けるのは。それを成績試験とかで均一性を求めることが難しいだけであって、個人である子供の主体性というものを重要視するなら、不均一な成績であることには何の問題もありはしないんだけどね。
子供っていうのは工業製品じゃないから、他の子供と違うのは当たり前のこと。どれだけ違うかこそが個性のはずなのに、学力成績だけは均一性を求めようとしてしまう。
平均と違うことへの強迫観念的な拒絶反応というのが、ヒトという種の生物には存在する。
「はずかしい。」とか「格好悪い。」なんていうのは、こうした多数他人との比較による観念的な恐怖心が作り出す感情に過ぎない。
気分だとか感情に流されていて、論理的思考なんか養われるわけがないのである。そりゃ科学離れも起こるわさ。