書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

番組表。

2011年05月07日 12時54分35秒 | 意識論関連
 NHK教育とかMXとか、あと放送大学とかにも新聞のラテ欄に載ってない番組が放送されている。

 で、ネット上なら番組表があるのかなと思って探したんだけど、MX2は見つかったんだけど、教育2が見つからない。NHKの番組表には「教育3」っていうのが載っているんだけど、これは内容が「教育1」と全く同じものが掲載されていて、意味がわからない。試しに3チャンネルつけたけどやってない。

 時折デジタルの3チャンネルが放送されていることはあるんだけど、リアルタイムでしかわからず、放送予定が見つからない。地デジテレビの番組表にも表示されない。

 なんなんだろうね。

 前から思っていたんだけど、HNKに限らずホームページって情報量が多すぎて必要な情報がどこにあるのか探すの大変。トップページはもっと整理してわかりやすくしてほしい。

 結局、ネット上のホームページって構造とか動作がそれぞれ違うものだから、「学習。」することが出来なくて不便。まだWebっていうのは未完成な代物なんだろうね。いつになったら完成するんだろう。面倒臭いわー。

 JAVAスクリプトだとかフラッシュプレイヤーとか、先端機能もいいけれど、基本的なインターフェイスをきちんと策定してからやって欲しい。これじゃ暴走だよ。

 NHKなんて根っこが「お役所。」だから、やってることが機械的でややこしい。個別の番組ページによっては扱い易いページもあるんだけど、ともかくトップページが複雑奇っ怪で扱い難い。どこにあるんだ「教育2」の番組表。あーイライラする。

 お役所仕事っていうのは、自発的には問題解決を一切せず、要望に対しての機械手続き的な条件反射でしか改善できない。勝手に何かを変えると責任問題になるもんだから要望しないと自発的には一切改善するつもりがない。つまり、上司なりユーザーといった「上。」からの指示がないと何もしないってこと。本人達には問題意識自体存在せず、ただ条件反射的に服従するだけの無意識な人達だからこんなことになる。

 NHKに就職できるくらいだからきっと高学歴に違いないが、学歴だけで「意思。」ってものが一切ないもんだから、何が問題なのかなんて一切考えることはないただのバカなのである。

 典型的なのが「天下り。」で、彼らには意思も目的も存在しないので、ただ本能のおもむくまま、感情的に天下りという合法詐欺行為に異常なまでに執着する。天下りがどんなに巧妙に行えても、そうした特定能力は本質的には知能ではない。天下りという合法詐欺行為を働くことによって社会的な負担とか、信頼性の欠如を招くことに意識が働かないという盲目性、意識狭窄性というのがバカの根本原因なのである。

 世の中が中々良くならない、改善しない原因というのは、本質的知能が働かないまま、特定能力だけを要求するという、多くのヒト達の無意識性が原因。

 危険学とか失敗学といった工学理論的な改善は、刑法などの犯罪再発防止策のみならず、あらゆる「ヒト。」の行動に応用すべきなのである。

 畑村洋太郎はダメだな。あいつは機械装置類にしか興味がないからね。根っからの機械バカなんだろうね。いや、それはそれでいいんだ。問題なのは一般大衆の多くが権威者にお任せしておけば全てはどうにかしてくれるものだっていう観念にある。

 「誰かが、どうにかしてくれる。」っていう盲目的「信頼性。」に気分的に安心すること。

 安全性に関わることというのは、全ての人にとって必要なものなんだから、本当は全ての人が発言するべき。だけど実際には事故被害者遺族とかしか興味を持たない。

 事故とか犯罪の被害者や遺族しか安全性に興味を持たないというのは、安全性というものに対する意識が働いていないわけで、これは一種のアスペクト盲でもある。

 自分が実際に犯罪とか事故に遭わないと興味を持たないというのは、社会人としての素養に欠けるとも言える。いうなれば「その場限り。」ってことだからね。

 何も年がら年中考えろとは言わないよ、犯罪被害者だって生活もあるし、楽しみだってあるんだからね。でも、気分が悪い話だからって全く考えないというのも問題がある。民主主義というものは民衆市民に問題意識がなければ社会を良くすることなんかできないってことだからね。



 未だに生物学者達は「結果。」こそが全てだと言い張っている。第二次世界大戦によって大量の死者を出した結果であっても、「それでも絶滅しないで、生物種として遺っているから良い。」などとバカげた観念を振り回している。

 こんな話をしている限り、事故も犯罪も減らなくてよいという話になってしまい、全く問題解決策には到達できない。

 単に生物種として遺ればよいというのならば、誰が死んでも構わないってことだからね。

 科学的見地の進歩を阻害しているのは、生物学のこうした観念が原因。現在の生物学の観念が蔓延している限り、本当の安全性確立というのはできず。無為無策な結果論しか語られないってこと。こうしたバカ生物学者達が税金で雇われ、無駄な研究費用が使われている事実を放置して良い訳がない。

 問題意識が欠けているのかね。「多数。」のヒトに。




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