簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

難読な文化財の駅(JR乗り潰し・伯備線)

2016-10-07 | Weblog
 伯備線は総社を出ると上下線が分かれ、秋葉山トンネルを抜ける。
すると左手に岡山三大河川の一つ高梁川が近づき、間もなくすると「豪渓」
に停り、そこからはまるで高梁川の蛇行に合わせるように曲がりくねりしな
がら、国道180号線と縺れるように北西方向に進んで行く。



 田んぼの中に盛り上げられた築堤に造られた高架駅、「日和」を過ぎると
次は「美袋」である。
ここは難読駅の一つとして知られると同時に、駅舎が国の登録有形文化財
に指定されている駅として知られている。



 この地と同じ駅名は「みなぎ」と読み、それは「水流れ」とも「水の内」とも
言われる言葉の持つ情景から転じたものらしく、何れにしても高梁川かそ
の舟交通に関係しているようだ。





 ここには伯備線が美袋まで開通した大正14年に建てられたと言う木造駅
舎がそのままの形で残されている。
木造平屋建ての下見板張り、切妻の屋根はセメント瓦で葺かれ、正面より
やや右寄りに切妻造りの車寄せが突き出していてこれは当時の木造駅舎
の基本形を忠実に表していると言われている。



 一面一線の単式ホームと一面二線の島式ホームを持つ無人駅で、駅舎の
ある単式ホームには、それに沿ってしっかりとした木組みが支えるおよそ一
見幅の庇が設けられ、その下には木製の縁台のような椅子が造り付けられ
ている。



 一部窓枠などがアルミ製に取り換えられているが、なかなかに味わい深い
駅舎である事には違いない。(続)




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豪渓(JR乗り潰し・伯備線)

2016-10-05 | Weblog
 岡山県の中央部「吉備高原」を悠然と流れる高梁川の支流・槙谷川の上
流に位置する渓谷が「豪渓」である。
その最寄り駅が「豪渓」、とは言え渓谷までは8Kmほどの距離が有る。



 この付近の川幅は狭まり、深いV字形の渓谷をなし、川は急流となり、岩
肌に打ち砕かれ、時にうねり、巨岩を巻き込み、深い淵となって流れ下って
いく。両岸には花崗岩の節理に沿って風化し、侵食された奇岩奇峯が連続
して聳え立ち、見る者を圧倒する。



 そんな岩と清流、山肌を覆う木々の緑と紅葉のコントラストが見事に調和
し、花崗岩の年代の古さと、変化に富むさまとが合いまった名勝は、他では
例を見ない見事な渓谷美を見せている。



 とりわけ渓谷が美しく装うのは紅葉のシーズンで、毎年10月下旬から11月
にかけては、渓谷沿いの木々が赤や黄色に染まり、県下でも有数の紅葉の
名所として人々を魅了する。



 渓谷の右手に聳え立つ、釼ヶ峰、雲梯山、盒子岩と名付けられた岩峰も、
赤や黄や茶色に緑の混じった山肌を見せてくれる。

 左手に聳える山が天柱山(329m)でその岩肌には巨大な「天柱」の文字
が刻まれている。
この文字は享和年間に備前和気郡在住の文人・武元登々庵が書したもの
を二人の石工が、十四日かけて刻したものと伝えられている。



 天柱山の麓には、天柱山豪渓寺と言う真言宗のお寺がある。
江戸時代後期から明治にかけて、ここ天柱山周辺には鎖や梯子の行場が
あり、修験道場として知られ、豪渓寺はその拠点であったたらしい。
(現在、天柱山は崩落が激しいため、登山は禁止されている。)(続)





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金田一耕助の小径(JR乗り潰し・伯備線)

2016-10-03 | Weblog


 伯備線は、倉敷駅を出ると山陽本線とは離れ、大きくカーブしながら進路
を北に変え、その先で山陽自動車道の高架を潜れば左に高梁川が近づき、
やがて井原鉄道線との接続駅である清音の駅に到着する。
倉敷駅からは7.5キロ離れ、ここはもう倉敷市から総社市に入っている。





 昭和12年11月27日、もじゃもじゃ頭で、よれよれの着物、折れ目のない袴
に身を包んだ「金田一耕助」は、清一駅に降り立った。
その駅がここ清音駅とされている。

 駅を出ると前には、金田一耕助の顔はめ撮影プレートが置かれている。
ここは横溝正史の長編推理小説「本陣殺人事件」の舞台、「金田一耕助シ
リーズ」の記念すべき第一作ゆかりの地なのだ。



 清音の駅前を流れる高梁川を越えた西側一帯の川辺には、旧山陽道が
通り一里塚が残されている。宿場には本陣や脇本陣も有った。
横溝正史が戦時中3年間ほど疎開した真備町も、この地の近くにある。

 そんな疎開の折見聞きした、田舎の悪しき因習や血縁関係、その因縁や
機微をベースに、その土地の風土を織り込みながらこの作品を描いたとさ
れている。





 清音の駅前からは、これらの跡地、疎開先の住宅や、三本指の男が足を
止めた場所、金田一耕助が磯川警部と聞き込みをした場所、一柳家のモデ
ルとされる旧宅の跡など、小説ゆかりの場所などを巡り井原鉄道の川辺宿
駅に至る全長約7キロ(ゆっくり歩いて3時間ほど)の、「金田一耕助の小径
(ミステリー遊歩道)」が整備されている。(続)



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