街道ウォーク<旧東海道<桑名宿~亀山宿
2011年7月29日 13回目
東海道の標識
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2011年7月29日 13回目
東海道の標識
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日本橋から385km
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町屋川(橋)
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2011年7月29日 13回目
伊勢両宮常夜燈
この常夜灯は、文政元年(1818年)」に東海道の灯標として、伊勢神宮への祈願を込め、桑名・岐阜の木材商によって寄進されてものである。石工は桑名の根来市蔵とある。安永は、町屋川の舟運や東海道筋の通行客を相手とする茶店などで賑わった場所であり、この常夜灯は、そのころをしのばせる遺物である。・・・・・・・・・平成18年 桑名市教育委員会
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マンホール
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くわな石取祭
春日神社の流鏑馬神事の馬場修理のため、町屋川から石を運んだのがはじまりといわれています。毎年8月の第1日曜日の前日の午前0時、30数台の祭車が一斉に打ち鳴らす鉦や太鼓の音は、何もかも吹き飛ばす勇壮無比な音色。日本一やかましい祭りと称され、各町内の祭車が旧東海道などを練り歩き、祭車は見事な彫りの彫刻に漆を塗ったもので豪華な天幕をつけ、勢揃いする様は一見の価値があります。300年前の神事から町衆の祭へと様変わりした奇祭は、絢爛豪華な祭車はもとより「祭典取締規則」なる憲法まで存在するほど、地元の人々の財産として守られています。桑名市観光ガイド
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矢田立場・福江町
江戸時代の矢田町は、東海道の立場(宿場と宿場の中間にあって、旅人が休憩する茶屋などが集まっている所)であった。「久波奈名所図会」には「比立場は食物自由にして河海の魚鱗・山野の蔬菜四時無きし」とある。福江町八曲がる角には、火の見櫓(現在の火のみは平成3年に再建したもの)もあった。現在でも馬を繋ぎ止めた鉄環のある家や、連子格子のある家も見られる。福江町も矢田立場の続きで、茶店や宿屋が多くあった。福江町の南端は、桑名宿の入口に当たるので、旅人を引き止めるために、宿屋の人達が集まっている宿引小屋があった。また西国からの大名などが通行の際には、桑名藩からの役人が出迎えて、ここから案内をした。桑名市・桑名市教育委員会
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吉津屋見付跡
江戸時代の始めは、この付近は吉津屋町に属しており、東海道上に吉津屋門と番所があって、吉津屋見附と言った。のち鍛冶町として独立したので、鍛冶町門(または小字名の七つ屋門)と言う。ここの道路は四角形の三辺をまわる升形道路となっていた。この升形道路は現在でも使われており、石取祭車が通る道である。
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面白い道標
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桑名宿の説明板
江戸時代の東海道は、慶長6年(1601年)正月に定められ、桑名宿も設けられた。江戸から約96里(約384Km)、京都から約30里(約120Km)であった。宮宿(熱田)から海上7里(約28Km)、四日市宿までは陸上3里8丁(約13Km)。七里の渡し場から川口町、江戸町、片町、京町、吉津屋町、鍛冶町、新町、伝馬町、鍋屋町、矢田町、福江町までが桑名宿であり、さらに大福、安永を通り町屋橋を渡って、東海道が続いていた。天保14年(1843年)調べでは、宿内人口は8,848人であり、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒があった。 桑名市
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桑名城城壁
正面の堀川東岸(三の丸地内)の城壁は、桑名城城壁の一部で、川口町揖斐川に面する川口樋門から南大手町橋に至る延長約500メートルが現存し、市の文化財に指定されている。積石の状態は乱積で、野面はぎ、打込みはぎの2方法によっており、また、刻印を刻んだ積石も多く見かけられる。片町に面したところには、出隅、入隅があった。各所に堀川に向かって狭い道路が設けられているのは、明治以後、廃城になってから便宜上つけられたものであろう。戦前までは南大手町橋から京橋裏、それに三の丸立教小学校横まで、堀川は続いていたが、終戦直後、またたく間に埋め立てられた。この城壁には、老松が並木を作り、枝は堀へたれ、川水は満々と美しく、行き交う荷船で賑わった。
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旧道の様子
▲春日神社の銅鳥居
この鳥居は寛文七年(1667)に七代桑名藩主松平定重によって建てられました。この鳥居の前には・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成23年3月 桑名市教育委員会
お土産はこれ
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七里の渡し跡
熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていました。ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。桑名市HPより
▲蟠龍櫓
川口町にある七里の渡に面して建てられた河口のまち桑名を象徴する蟠龍櫓。かつては東海道を行き交う人々が必ず目にした桑名のシンボルを忠実に復元しました。かの有名な歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いています。「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことです。龍は水を司る聖獣として中国では寺院や廟などの装飾モチーフとしても広く用いられています。蟠龍櫓についても、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられています。桑名市HPより
▲熱田方向
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車窓からの富士山
▲新幹線内から撮影
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