街道ウォーク<旧東海道<草津~京三条
2011年8月18日 16回目
路面電車
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街道ウォーク<旧東海道<草津~京三条
2011年8月18日 16回目
路面電車
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街道ウォーク<旧東海道<草津~京三条
2011年8月18日 16回目
大津市道路元標と札の辻
道路元標(どうろげんぴょう)とは道路の起終点を示す工作物である。日本では1873年(明治6年)12月20日政府は 太政官日誌により各府県ごと「里程元標(りていげんぴょう)」を設け陸地の道程(みちのり)の調査を命じている。1911年(明治44年)に現在の日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」が設置され、1919年(大正8年)の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。Wikipediaより
▲札の辻: 江戸時代、官の制札を立てた辻。現在、多く地名として残る。
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街道ウォーク<旧東海道<草津~京三条
2011年8月18日 16回目
JR石山駅
滋賀県大津市粟津町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅。瀬田駅 (2.5km)← →(2.8km) 膳所駅
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2011年8月18日 16回目
石山商店街と京阪電車唐橋前駅
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2011年8月18日 16回目
義仲寺
滋賀県大津市馬場1丁目
JR膳所駅・京阪電鉄膳所駅の北約300mにある寺院。義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。滋賀県ン観光情報より
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2011年8月18日 16回目
膳所城北総門跡
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2011年8月18日 16回目
京阪電車中ノ庄駅
中ノ庄駅(なかのしょうえき)は、滋賀県大津市中庄二丁目にある、京阪電気鉄道石山坂本線の駅。瓦ヶ浜 (0.5km)← →(0.4km) 膳所本町►
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街道ウォーク<旧東海道<草津~京三条
2011年8月18日 16回目
大津市中庄付近の町並み
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2011年8月18日 16回目
京阪電車瓦ヶ浜駅
瓦ヶ浜駅(かわらがはまえき)は、滋賀県大津市にある、京阪電気鉄道石山坂本線の駅。粟津 (0.4km)← →(0.5km) 中ノ庄
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2011年8月18日 滋賀県
瀬田の唐橋
滋賀県大津市瀬田
瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋。全長260m。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。 勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされる。また、日本の道100選にも選ばれている。Wikipediaより
京阪電鉄唐橋前駅の東約100m、近江八景「瀬田(せた)の夕照(せきしょう)」に描かれていることは、あまりにも有名。瀬田橋(せたばし)あるいは瀬田(せた)の長橋(ながはし)として多くの文学作品に登場し、古くから、日本三名橋の一つしても有名な長橋です。最初に架けられたのは定かではありませんが、日本書紀に登場しているのでかなり古いものです。昔から、「唐橋を制するものは天下を制する」といわれるほど、京都の喉もとを握る交通・軍事の要衝であり、何度も戦乱の舞台となってきました。現在のように大橋・小橋の形になったのは、織田信長(1534-82)が架け替えてからといわれています。 昭和54年(1979)に新しく架け替えられた現在の橋は、木造を廃して鉄筋コンクリート製になっています。しかし、クリーム色の欄干(らんかん)に旧橋の擬宝珠(ぎぼし)をつけた橋の造りは、以前の姿をとどめ、古風で情緒深い景観です。滋賀県観光情報より
▲学生さんが二列でこの橋を渡っていった。
▲橋を渡ると石山
▲近江八景「瀬田の夕照」
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街道ウォーク<旧東海道<草津~京三条
2011年8月18日 16回目
瀬田の唐橋
滋賀県大津市瀬田
瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋。全長260m。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。 勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされる。また、日本の道100選にも選ばれている。Wikipediaより
京阪電鉄唐橋前駅の東約100m、近江八景「瀬田(せた)の夕照(せきしょう)」に描かれていることは、あまりにも有名。瀬田橋(せたばし)あるいは瀬田(せた)の長橋(ながはし)として多くの文学作品に登場し、古くから、日本三名橋の一つしても有名な長橋です。最初に架けられたのは定かではありませんが、日本書紀に登場しているのでかなり古いものです。昔から、「唐橋を制するものは天下を制する」といわれるほど、京都の喉もとを握る交通・軍事の要衝であり、何度も戦乱の舞台となってきました。現在のように大橋・小橋の形になったのは、織田信長(1534-82)が架け替えてからといわれています。 昭和54年(1979)に新しく架け替えられた現在の橋は、木造を廃して鉄筋コンクリート製になっています。しかし、クリーム色の欄干(らんかん)に旧橋の擬宝珠(ぎぼし)をつけた橋の造りは、以前の姿をとどめ、古風で情緒深い景観です。滋賀県観光情報より
▲学生さんが二列でこの橋を渡っていった。
▲橋を渡ると石山
▲近江八景「瀬田の夕照」
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