街道ウォーク<旧東海道<水口宿~草津宿
2011年8月17日 15回目
草津駅
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街道ウォーク<旧東海道<水口宿~草津宿
2011年8月17日 15回目
草津駅
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街道ウォーク<旧東海道<水口宿~草津宿
2011年8月17日 15回目
草津本陣 国指定文化財
草津宿は、東海道と中山道が分岐・合流する交通の要衝で、東海道五十三次の江戸から52番目の宿場であった。天保十四年(1843)の記録によれば、草津宿には二軒の本陣、二軒の脇本陣、七十二軒の旅籠のほか、問屋場、貫目改所などの多くの建物が設けられ、多くの旅人で賑わっていた。なかでも、本陣は大名などの専用宿泊施設として、広大な屋敷地と格式高い建物からなる、草津宿で最も重要な施設であった。草津宿の本陣の一つであった田中七左衛門本陣は、当時の姿をほぼとどめる近世交通史上の記念物として、昭和24年(1949)に史跡草津宿本陣の名称により、国の史跡に指定され、現在も旧東海道随一の本陣として大切に保存され、宿場町草津のシンボルとなっている。 草津市ホームページより
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街道ウォーク<旧東海道<水口宿~草津宿
2011年8月17日 15回目
草津歴史街道 東海道
海道は中仙道・日光道中・奥州道中・甲州道中を加えた五街道の中でも江 戸と京を結ぶ江戸時代随一の幹線路であった。その里程は、江戸日本橋から相 模小田原叔を経由、箱根の関、大井川を越え、遠州灘沿いに西進し、伊勢桑名 宿を経て鈴鹿峠から近江に至り、土山、水口、石部、草津の各宿を経由、勢田 橋を渡り、大津宿を経て京三条大橋に至るもので、東海道五十三次と称された 草津では、小柿から大路井に入るとすぐ砂川(草津川)を渡り、11町53 間半(約1,3km)の草津宿を経て、矢倉、野路、南笠を通過し、勢田に至った。 草津宿には、本陣・脇本陣などが設けられ、常善寺、立木大明神(立木神社) 他の多数の社寺が立ち並び、70軒を越える旅籠を始め500軒以上の町家が あった。また、矢倉には光伝寺、姥ケ餅屋、矢倉道標、野路には一里塚、教善 寺、新宮大明神(新宮神社)、野路の玉川跡などの社寺社所が在り、矢倉野路 間、野路南笠間の街道沿いには松並木が続いていた。草津市教育委員会
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街道ウォーク<旧東海道<水口宿~草津宿
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草津宿高札場
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2011年8月17日 15回目
追分道標
草津には、東海道・中山道を往来する旅人の道しるべとして親しまれた道標が数多く残っています。江戸寄りの入口、草津川堤防上にある火袋つきの石造道標(1816)、東海道と中山道の分岐点にある火袋つきの石造道標(1816)、東海道と矢橋道の分岐点にある石造道標(1798)、立木神社境内にある道標(1680)などがそうです。 中でも、東海道と中山道との分岐点に立つ道標は、京都・大阪・尾張(おわり)・美濃(みの)などの定(じょう)飛脚問屋や、播州(ばんしゅう)・備前(びぜん)・江戸の日雇方など、この街道を常に往来する人々の寄進によって建てられたと伝えられています。くっきりと「右東海道いせみち」「左中仙道みのぢ」と刻まれ、高さは392.2cm 草津宿本陣とともに、往時のノスタルジックな面影をとどめています。草津観光情報より
市指定文化財 「右 東海道いせみち」「 左 中仙道美のじ」一基
ここはかつての日本五街道の最幹線で東海道と中仙道との分岐点である。トンネルのできるまではこの上の川(竹津川)を越せば中仙道へ、右へ曲がれば 東海道伊勢道へ行けた。しかし、この地は草津叔のほぼ中心地で、この付近は 追分とも言われ、高札場もあって旅人にとっては大切な目安でもあった。多くの旅人が道に迷わぬよう、また、旅の安全を祈って文化13年(1816)江戸大 阪をはじめ、全国の問屋筋の人々の寄進によって建立されたもので、高さは1丈4尺7寸(4,45m)で、火袋以上は銅製の立派な大灯籠であり、火袋以上は 度々の風害によって取り替えられたが、宿場の名残の少ない中にあって、常夜 灯だけは今もかつての草津叔の名残をとどめている。昭和48年10月15日 草津市教育委員会
草津市指定文化財(有形民俗文化財) 「右 東海道いせみち」「 左 中仙道美のじ」一基
江戸時代 昭和48年10月15日指定
この道標は、東海道と中山道が分岐合流する草津宿の要所に文化13年(1816)3月に建てられた火袋付の道標で、現在の高さは392.2cmを測り、江戸時代に東海道や中山道を行き交う多くの旅人の道しるべとなっていました。 道標竿部南面に「右東海道いせみち」、西面に「左中仙道美のぢ」と東海道、中山道の行先が刻まれています。 また、基礎部北面、南面、西面に京都、大阪、尾張、岐阜などの飛脚問屋、宰領中や江戸、播州、備前の日雇方などの道標寄進者の名前がみられます。 なお、草津四丁目の立木神社境内には延宝8年(1680)に、この草津追分に建てられた県内最古の道標があるほか、草津宿および草津宿周辺には多くの道標が残っています。 平成20年3月31日 草津市教育委員会
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「宿場そば」/「うばがもち」
滋賀県草津市大路
▲宿場そば
▲うばがもちや
うばがもちの由来
幼子を、乳母が草津に身を潜め餅を作っては売り育てました。そのうち誰言うことなく「姥がもち」と囃したてその名は天下に知れ渡り、草津名物として定着しました。「うばがもち」の風雅で独特の姿は姥が幼君に奉じた乳房を表したものです。
▲うばがもちやのHPより
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草津市へ
▲草津宿はあと少し
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2011年8月17日 15回目
田楽茶屋跡(立場)
▲古志ま屋▼
東海道を往来する旅人の休憩所として江戸幕府によって立場茶屋が置かれた。ここで供された食事は地元産の食材を使った菜飯と田楽で独特の風味を有し東海道の名物となった。田楽茶屋は立場の元伊勢屋(岡野家)とこの古志ま屋(寺田家)、京伊勢屋(西岡家)の三軒を言い、すべてが岡の地に店を構えた。当家の藤棚は明治初期に新善光寺に奉納された。治田学区心をつなぐふるさと創生事業実行委員会
▲京伊勢屋跡▼
東海道を往来する旅人の休憩所として江戸幕府によって立場茶屋が置かれた。ここで供された食事は地元産の食材を使った茶飯と田楽で独特の風味を有し、東海道の名物となった。田楽茶屋は立場であった元伊勢屋(岡野家)とこの京伊勢屋(西岡家)・古志ま屋(寺田家)の三軒と言い、すべてが岡の地に店を構えた。当家には当時からの藤棚がある。治田学区心をつなぐふるさと創生事業実行委員会
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目川村の一里塚
▲118里(滋賀県栗東市目川)
東海道には一里ごとに距離標として一里塚が設けられていた。一里塚は道の両側に五間四方の塚の上に椋や松などの木立があった。目川村の一里塚は、現在の鎌田屋敷の東隅と、その向かいの旧北野屋敷の西隅にあり、椋の大木があったといわれ、当時の一里塚は、西は草津市野路に、東は六地蔵(梅の木)にあったといわれている。
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街道ウォーク<旧東海道<水口宿~草津宿
2011年8月17日 15回目
東海道「道標」と「やせうま坂」
▲川辺・・・・・を経て草津へ至る
▲ やせた馬では上れない坂のことらしい。このあたりにあったのか?
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2011年8月17日 15回目
旧道の様子(川辺)
▲ベンガラの民家があちこちに
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手原駅
滋賀県栗東市手原三丁目
手原駅(てはらえき)は、滋賀県栗東市手原三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)草津線の駅。石部駅 (5.1km)← →(4.0km) 草津駅
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ベンガラの民家
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一里塚と六地蔵村の梅の木
▲117里 - 六地蔵 (滋賀県栗東市六地蔵付近)
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2011年8月17日 滋賀県
旧和中散本舗 重要文化財
滋賀県栗東市六地蔵
JR手原駅の東約2km、旧東海道沿いの六地蔵にあります。大角弥右衛門家の邸宅のことで、豪商の昔の姿をそのまま今に留めています。六地蔵には江戸時代、旅人のために道中薬を売る店が数軒あり、大角家は、その中で和中散という薬を売る「ぜさいや」の本舗として栄えました。薬を売るだけでなく、草津宿と石部宿の「間の宿」として、公家・大名などの休憩所も務めたといいます。和中散という名は、徳川家康が腹痛を起こしたとき、この薬を献じたところ、たちまち治ったので、家康から直々付けられた名前といいます。邸宅の内部は、大きな店の間、ぜいを尽くした玄関や隠居所の欄間など、実に華麗です。特に、店の間などは豪商の店構えらしく重厚に造られ、板戸などもよく工夫されています。また、仕事場には、木製の動輪や歯車の付いた製薬用石臼が、昔のままの姿で保存されていて、興味深いものです。店舗のほか、製薬場・台所・居間と玄関及び屋敷・正門・隠居所などが、国の重要文化財に、そして住宅全体が国の史跡に指定されています。平成13年には、新たに庭園が国の名勝に指定されました。小堀遠州作という言い伝えがある池泉鑑賞式庭園の本庭には、築山(芝山)があり、背後には日向山(にっこうやま)が望まれ、東海道という連続した旅情の一場面を切り取った庭という趣が感じられます。
▲ 国指定名勝 大角氏庭園 平成13年1月29日指定
書院の南庭(離れ家の西庭)である。正面に芝生張りの大小の築山を配し、背後にツバキ、カエデ、ヒサカキ、カナメモチ、アオキ、マキ、ネズミモチ等の混植の生垣を仕立て外部との仕切りとしている。背後の日向山を借景とし、築山上からは三上山が眺望できる。築山の西部に滝石組があり、山裾の東西に細長い池に注ぐ。水は葉山川から取水していた。池の護岸は石組で巡らし、池中には中島と平元の浮き石があり、東部には切石橋を設け築山へ渡れるようになっている。ただし、中島は明治の後没とされる。建物に沿って、大小の飛び石を打ち、沓説石から池畔や石橋へとたどる事ができる。平成16年3月 滋賀県教育委員会
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