街道ウォーク<旧東海道<桑名宿~亀山宿
2011年7月29日 13回目
和田一里塚跡
三重県亀山市和田
野村一里塚とともに亀山市内に所在する東海道の一里塚で、慶長9年(1604)幕府の命で亀山城主であった関一政が築造しました。かつては塚上にエノキが植えられ、昭和59年の道路拡幅までは塚の一部が遺されていました。現在の塚は、塚の跡地東側に近接する場所に往時の姿を模して復元したものです。平成13年10月 亀山市教育委員会
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2011年7月29日 13回目
和田一里塚跡
三重県亀山市和田
野村一里塚とともに亀山市内に所在する東海道の一里塚で、慶長9年(1604)幕府の命で亀山城主であった関一政が築造しました。かつては塚上にエノキが植えられ、昭和59年の道路拡幅までは塚の一部が遺されていました。現在の塚は、塚の跡地東側に近接する場所に往時の姿を模して復元したものです。平成13年10月 亀山市教育委員会
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城のような石垣の民家?
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谷口法悦供養塔
三重県亀山市
亀山市指定有形民俗文化財
谷口法悦題目塔
この供養塔は、東海道の川合と和田の境にあり、昔から「川合のやけ地蔵さん」「法界塔さん」と呼ばれている。総高2.59メートルで、塔身の正面に「南無妙法蓮華経」、右側に「後百歳中廣宣流布」、左側に「天長地久国土安穏」、背面に「施主谷口法悦」と刻まれている。 造立者の谷口法悦(生年不詳)は京の日蓮宗の篤信者で、十七世紀末頃、一族と共に各地の寺院、街道筋や追分などに題目塔と呼ばれるこれらの塔を造立したことがわかっている。平成16年9月建之 亀山市教育委員会
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井田川駅
井田川駅(いだがわえき)は、三重県亀山市井田川町にある、東海旅客鉄道(JR東海)関西本線の駅
加佐登駅 (4.4km)← →(4.6km) 亀山駅
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標識とマンホール
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中冨田一里塚跡
鈴鹿市中富田
▲日本橋より103里
一里塚は、慶長九年(1604年)に江戸幕府の事業として、東海、東山、北陸の三道に築かれた。江戸日本橋を起点として、三十六町を一里(約4キロ)として、一里ごとに塚を築き旅人の往来の目印とした。享和三年(1803年)に作成された「東海道亀山宿分間絵図」によると、川俣神社の東隣に一里塚があったことが描かれている。その近くに「御馳走場」と書かれた家があり、当時、東海道を往来する大名行列などの一行を接待する場所であったと考えられ、現在も「東百里屋(ともりや)」という屋号で呼ばれている家がある。この地から、江戸へおよそ百里(約400キロ)であったので、この屋号がつけられたと伝えられている。 中冨田一里塚保存会
中冨田村は亀山領の東端にあたり、隣の神戸領との境界を接する村である。享和三年(1803年)に作成された「東海道亀山宿分間絵図」には、中冨田村川俣神社の東隣に街道を挟んで「一里塚」が描かれている。大きな木の繁みのある大規模な塚であり、榎木の大木があったといわれている。 平成十三年十月 中冨田一里塚保存会
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マンホール (すずかし)
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従是東神戸領石柱
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東京から410km
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庄野宿石柱
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川俣神社のスダジイ
川俣神社のスダジイ
昭和44年3月28日 三重県指定天然記念物
スダジイはブナ科の常緑樹で、我が国では暖地に自生している。葉は広楕円の革質で厚く、葉の裏は淡褐色である。初夏に雌雄の花をつけ、果実は小粒で硬い。この樹は高さ11メートル、地上の幹回り約5メートルの巨木である。昭和56年3月 鈴鹿市教育委員会
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庄野宿本陣跡と高札場跡
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庄野の町並み
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庄野宿資料館
三重県鈴鹿市庄野町21−8
▲庄野 白雨 安藤広重 (東海道五十三次より)
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庄野宿石柱
庄野宿は江戸から百二里余東海道四十五次にあたり、幕府の直轄領であった。他宿にくらべ宿立ては遅く寛永元年(1624)といわれている。この宿は、「草分け三十六戸、宿立て七十戸」といわれ、鈴鹿川東の古庄野から移った人たちを合わせ七十戸で宿立をした。南北八丁で宿人口の加茂町中町上町からなる。 安藤広重の描く「庄野の白雨」は、彼の作品の中でも傑作中の傑作といわれ、世界的にも高い評価を得ている。
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