コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

背くらべ地蔵ほか~旧中山道を歩く(22回目)

2013-08-13 08:20:53 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<武佐宿(駅)~草津宿(駅)
2013年7月20日 22回目

背くらべ地蔵ほか

▲中山道外和木の標 (野洲小学校近く)かつてこのあたりは「外和木」とよばれていた・・・

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背くらべ地蔵 (滋賀県野洲市行畑)

大小の石仏は鎌倉時代のもので、中山道を行き交う旅人の道中を守ったと伝えられています。
また、当時は乳幼児が育ちにくかったこともあり、子を持つ親たちが「我が子もこのお地蔵さんくらいになれば、後は良く育つ」と背くらべさせるようになり、「背くらべ地蔵」と呼ばれるようになったといいます。滋賀県観光情報より

 

 

 

 

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旧道の様子1~旧中山道を歩く(22回目)

2013-08-12 07:00:21 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<武佐宿(駅)~草津宿(駅)
2013年7月20日 22回目

旧道の様子1

▲桜生(さくらばさま)史跡公園▼

「国史跡大岩山古墳群」のうち、6世紀を中心とする「甲山古墳」「円山古墳」「天王山古墳」の3古墳があります。とくに「円山古墳」と「甲山古墳」では、横穴式石室の内部に熊本県阿蘇から産出した凝灰岩をくり抜いた家形石棺や大阪府と奈良県の境に位置する二上山で産出する凝灰岩をもちいた組合式石棺を見学することができます。野洲市ホームページより

▲JR東海 445K264M 東京からの距離だろう

 ▲甲山古墳 (滋賀県野洲市小篠原桜生)▼

  

 

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義経元服之地(滋賀県蒲生郡竜王町鏡)~旧中山道を歩く(22回目)

2013-08-11 11:18:22 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<武佐宿(駅)~草津宿(駅)
2013年7月20日 22回目

義経元服之地

滋賀県蒲生郡竜王町鏡

平安後期、平治の乱で源氏が敗れ、平氏が台頭、世はまさに平家一門の栄華を極めた時代でございました。しかし、密かに平家の滅亡を夢み、京の鞍馬でただひたすら剣術の稽古に励む少年がおりました。その名は遮那王、幼名を牛若丸と申します。機熟し、奥州下向の途中ここ「鏡の宿」にて烏帽子を着け、ただひとりで元服したと言われております。 滋賀県竜王町観光協会HPより抜粋

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源義経宿泊の館跡~旧中山道を歩く(22回目)

2013-08-11 10:02:06 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<武佐宿(駅)~草津宿(駅)
2013年7月20日 22回目

源義経宿泊の館跡

承安4年3月3日に京都の鞍馬寺より奥州下向の途中、近江の「鏡の宿」(滋賀県竜王町)に着いた牛若丸一行は、当時の宿駅の長(おさ)であった澤弥伝(さわやでん」の「白木屋」の旅籠に泊まりました。追っての目を欺くため、急ぎ髪を切りただひとりで元服することを決意した牛若丸は、源氏の左折れ烏帽子を烏帽子屋五郎太夫(えぼしやごろうたゆう)に折ってもらい、それを冠して元服し源九郎義経となる義経誕生の地です。

 

 

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