カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

YBSセンター (サンキッサ)

2020年04月04日 21時47分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

カンボジア寺の向い側にはアショカ王の柱があった。
凄い高~い、そしてやはり柱の上部しは象~。
普通はアショカ王のシンボルである獅子である。

 これね。

 

入口にあるこの石碑によると、
2012年に建てられた世界で最も高いアショカ王の柱。

柱の左側の道を挟んだ所に寺院があった。
アビダンマ・ブッダ・ビハールとある。

 

集会場のようながらんとした内部に仏像がある。
入口にあったタイルの模様が美しかった。

 

で、帰りがけにこの看板を発見し、
ここがYBSと言う場所である事を知った次第であった。
Youth Buddhist Society。
ちゃんとこの敷地にある物まで親切に書いてあった。

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【インドの寺院】 ~ カンボジア寺院~ (サンキッサ)

2020年04月03日 22時14分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

サンキッサの仏跡を中心とすると、
ホテル・ロイヤル・レジデンシーや日本寺やミャンマー寺は、
東に約1Km行った所にある。
このカンボジア寺は仏跡から西に1Kmほどの場所だ。

派手なピンク色の門が否応がなくとも目立つ。
目立つためか観光客風の人もボチボチ来ていた。
ちなみにインド人。

高い左右の塔がある。
敷地内は広々としている。

本殿の中には燦然と輝く仏像がある。
さすがだ・・・背景がアンコールワットである。

袈裟はヒョウ柄か?

天井の壁には釈迦の誕生から入滅までの絵が描かれている。

入口の上部が入滅であった。

本殿の側面の飾りも豪華だった。
そして裏手には僧房があった。

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【インドの寺院】 ~ ミャンマー寺院~ (サンキッサ)

2020年04月02日 22時24分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

日本寺の向い側にある煌びやかな寺院が、
ミャンマー寺である。昼休みがあって15時から開門。

左側は前殿か? 右側が本堂。

本堂の中にはキンキら金の仏像がおわした。
よく見ると大仏の前に小さな仏像が。

 

手前の前殿には仏足があった。

 

前殿の前の畑にはイチゴが実っていた。
針金でできているずいぶんと厳重な防御ネット、
私は写真を撮るくらいでつつかないけど、
目ざとい鳥がつつくのかな。

前殿、本殿の右側にも建物があり、
中には見慣れたポーズの仏像が祀ってあった。

 

前庭に鐘が。

そして寺院の裏手には立派な僧房があった。
たくさんの僧侶がいるのだろう。

3軒あった寺院の中ではこのミャンマー寺が一番大きかった。

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【インドの寺院】 ~ 日本寺~ (サンキッサ)

2020年04月01日 22時28分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

仏陀が生みの母マーヤに会う為に天界に昇り、
降りて来た場所と言われているサンキッサ。

通常、仏跡と言われる場所には各国の寺院が立ち並んでいる・・・
のが普通である。サンキッサ以外の7ヶ所には、
日本、タイ、ミャンマー、中国、カンボジア、バングラデシュ、
スリランカ、ブータン、チベット、ベトナム、韓国・・・、
などの寺院があった。

サンキッサの仏跡は小さかったが、
ちょうどお昼時だったので、周囲にお坊さんの姿があった。
調べてみると、日本寺、ミャンマー寺、カンボジア寺・・・。
3軒のみだった。

昼食をとったホテル・ロイヤル・レジデンシーの隣に、
日本寺があった。ホテルの人に聞くと、
ホテルの敷地からは入れるそうだった。

ホテルの庭の建物かと思ったら、
これが日本寺と言う事だった。

ちなみに道路側から見るとこんな感じ。

誰もいなかった・・・。
中に入ってみると、左手に銀の仏像が入ったケースがあった。

左側の中央には塔があり上に仏像がある。
マーヤの前に生まれた釈迦が立っており、
天上天下唯我独尊、と天地を指している。

今までインドのいろんな場所の日本寺へ行ったが、
この塔と仏像は初めて見た。

右側にはご本尊様だが立像である。
これも珍しい。大理石の台座である。

 

恐らくインド各地にある日本寺は、
だいたいが日本山妙法寺であるが、
ここの寺院は違う系列だからであろう。
日本山妙法寺とも書いてないし、
建物も仏像も趣が異なっている。

この地へ来る人は隣のホテルに宿泊するため、
住職も僧侶もいないのであろう。
表から入らずホテルの敷地から入る方が簡単である。

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サンキッサ:昇天の地。

2020年03月16日 22時24分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

仏教の八大聖地の一つではあるが・・・
このサンキッサだけは伝説の地である。
場所はアグラから車で片道4時間弱。
アクセスが悪いので車で行く事をお勧めする。

釈迦が生まれて7日目で母親のマーヤは亡くなってしまい、
釈迦は母親の妹に育てられた。

仏陀の時代は宗教が盛んで異教徒の挑戦を受け
仏陀も千体仏などの奇跡を見せていたそうだ。
その奇跡の一つとして仏陀は天界の母親マーヤに会いに行き、
3ヶ月間天界で説法を行い地上に降りて来た場所が、
サンキッサ(サンカーシャ)であると言われている。

天界に昇った場所と降りて来た場所が違う・・・
と言うのも、なんだかな・・・と思うけど。

入口はこんな感じで目立たない・・。

入って行くと祠があり中に仏像が・・・。

 

伝説によると仏陀は梯子を使って降りて来たが、
梯子は上から順々に消えて来て最後の7段だけ残った。
真ん中が仏陀、右で天蓋を掲げているのが帝釈天で、
左が梵天、後ろには梯子が描かれている。

その残った梯子の場所にアショーカ王が石柱を建てたと言われている。
アショーカ・ピラーは普通はライオン(獅子)であるが何故か象・・・。

 

 これね、獅子。

その後ろに仏陀が降りて来たと言う丘がある。

登って行くと白色とオレンジ色のヒンドゥー教の祠がある。

白い祠の中には養母マハー・パジャーパティの生まれ変わりと言う
女神が祀られており人々を毒蛇から守ってくれるそうだ。

オレンジ色の祠には、
ハヌマーン神が祀られている。
理由は・・・解らない・・・。

アクセスの悪い場所であり、
それほど有名でもないはずだが、
思ったよりインド人の観光客がいた。

周囲に日本寺(無人だったが)、ミャンマー寺、
カンボジア寺、チベット寺があり、昼休み時間だったのか、
周囲にはお坊さんたちがたくさんいた。

 

周囲には何もなく・・・日本寺の隣のホテルか、
1Kmほど離れた所にあるホテルのレストランを
利用するしかない。見所はこれだけであるので、
コストと時間をかけて行くべきかどうかは検討されたい。

各国の寺院とレストランについては後日記載する。

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クシナガル:入滅の地。

2020年03月15日 22時23分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

29歳で出家し35歳で悟り、80歳になった仏陀は、
ラージギルから生まれ故郷のカピルバストゥを目指し、
弟子のアーナンダを伴に最後の旅に出た。

途中ヴァイシャリを過ぎマッラ国のパーリで、
鍛冶工チュンダから食事を施される。
これが毒キノコであったと言う説が有力であるが、
激しい下痢にみまわれた仏陀はチュンダを思いやり、
最後の食事を施したのだから多いな功徳があると告げる。

ようやくの事でクシナガルに着いた仏陀はアーナンダに依頼し、
二本の沙羅双樹の木の下に北枕で横たわった。

亡くなる当日にスバドラと言う行者がやって来て説法を受け、
最後の弟子となった。

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。
  おこたることなく修行を完成しなさい』
仏陀の最期の言葉である。

 

涅槃堂から北に1Kmの所に仏陀が荼毘に付された場所がある。
その地に立つのがラマバール・ストゥーパである。

クシナガルに住んでいたマッラ族の首長が、、
「クシナガルにある香と花輪と楽器をすべて集めよ。」と命じ、
6日間にわたり仏陀の遺体を敬い、重んじ、供養した。
そして7日目に薪に火を付けようとしたが
何故か火を付けることができなかった。

同じ頃、仏陀の弟子のマハー・カーシャパ(大迦葉)が、
500人の修行僧と一緒にパーヴァー村からクシナガルに向かっていた。
クシナガラに到着したマハー・カーシャパは、
仏陀の火葬の前の薪のところに赴き、仏陀の足に頭を付けて礼拝した。
全ての修行僧の礼拝が終わると、薪はおのずから燃え上がったと言う。

ストゥーパの手前から左に行くと川に出る。
仏陀が最後の説法をする前に沐浴した川だ。
周辺の人たち(ヒンドゥー教徒)が仏陀を偲んで
一つの家族が一つづつ建立した石碑が並んでいる。

 

 

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シュラヴァスティ:教団本部の地。

2020年03月13日 22時21分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

シュラバスティはウッタル・プラデシュ州の北、
ネパールの近くにあるがアクセスはかなり悪い。
デリーからは約600Km、列車、バス、オートリクシャーと、
乗り継いで行かねばならないので、
予算のある人は車のチャーターをお勧めする。

見所は多く、苦労して行くだけの価値はある。
近所にちゃんとしたホテルが出来ているとは思うが、
無い場合はスリランカ寺に行けば宿泊できる。

なお周囲には数軒の屋台以外の飲食店はない。

別名サヘート・マヘートと言う。サヘートは祇園精舎、
マヘートは王国の都だった舎衛城の跡である。
そう「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり」である。

祇園精舎の鐘はサヘート遺跡内ではなく、途中の道路端にある。
当時は鐘はなく、日本人の喜捨で鐘つき堂が建てられた。

シュラヴァスティはコーサラ王国の首都であった。
長者のスダッタは恵まれない人々の面倒をみていたが、
仏陀に出会った事で財産をなげうって寺院を建てた。
仏陀は24年間、雨季になるとやって来て滞在した。

仏陀が生活していた場所とアーナンダの菩提樹。

 

信者達が不在がちの仏陀の代わりに祈る対象として懇願し、
アーナンダが仏陀の許可を得てブッダガヤの菩提樹から、
移植したものでマハーボーディ寺院の菩提樹の次に重要。

マヘートは舎衛城の跡で大きく分けて2つの遺跡がある。
一つはスダッタ長者屋敷跡。

もう一つがアングリマーラのストゥーパ跡である。

アングリマーラは仏陀の弟子の一人で、本名はアヒンサと言う。
12歳でバラモンの弟子になり500人の弟子の中で最も優秀だった。
しかしバラモンの妻からの誘惑を断ったやめ罠にはめられ、
バラモンの命令で1000人を殺して切った指で首飾りを作れば、
修業が成就すると言われ、1000人目で仏陀と出会い弟子になった。

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サールナート:初転法輪の地。

2020年03月11日 22時18分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

サールナートはウッタル・プラデシュ州のバラナシから、
北に10Kmほど行った所にある。

悟りを開いた仏陀は共に苦行した五人の沙門に説くべく、
ブッダガヤからサールナートへと向かった。

五人はブッダガヤで釈迦が村娘スジャータから乳粥の施しを受けた事で、
釈迦が苦行を止め堕落したと思い釈迦の元を去っていた。
最初は仏陀を蔑んでいた五人だったが説法を聞き悟りを開くに至った。

説法を行った場所にはダメーク・ストゥーパが建っている。


この場所をは鹿が多く住んでいたので鹿野苑と言われている。

この後、バラナシの長者ヤシャスが6番目の弟子となり、
火神アグニを信仰していた三迦葉とその信者も改宗し、
1000人を超える教団となっていった。

そしてマガタ国の都であったラージャグリハ、
(現在のビハール州ラージギル)へ向かった。

 

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シカンドラ(アグラ)

2020年02月26日 22時24分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

アグラに行く人はタージマハルとアグラ城にしか行かない。
と言う事はファテープル・シクリの記事にも書いたけど、
それほど離れていないイティマド・ウッダウラー廟や
シカンドラやにも行く人は少ない。

インド史に大きな足跡を残したムガール帝国は、
社会科で習ったので記憶にある人も少なくないと思う。
シカンドラはその第3代皇帝アクバル大帝の墓である。
(代々の皇帝の墓については後日また順を追って書く。)


1997年10月にアグラに行った時にも行ってるのだが、
これまた記憶にあるのは猿にもてあそばれた事だけだ。
23年ぶりに行ってみたので新鮮だった。

 

この小屋でチケットを買う。外国人310Rs(約480円)。
ずんずん進んで行くと・・・。

猿はおらず、かわりに鹿がいた。
遠目には山羊に見えたんだけどカメラの望遠で見たら鹿だったわ。

 
墓に入る門である、門の上に4本の塔がある。
門の上に塔があるのはここくらいなもの。

 

門をくぐるとアクバル大帝の墓が見える。
フマユーン廟やタージ・マハルに見られる
ムガール様式のドーム型屋根はなく、
上部にはヒンドゥー様式のチャトリ(柱に支えられた小屋)が見える。

アクバル大帝が好んだイスラムとヒンドゥーの融合なのか。
実はこの墓はアクバルが生前に着工していたのである。
もっとも生きている間には完成せず死後8年後に、
跡を継いだ息子のジャハンギールによって完成されたのだ。

建物の壁の模様やタイルの柄。

  

中に入ると黄金の間。壁や天井の装飾が見事である。
他の墓は元々の色が失われているのかもしれないけど。

 
この先は撮影禁止。坂になったトンネルのような通路を下って行く。
高い天井の白一色の室内。音響効果が良く声が響く。
墓石の下2mの所にアクバル大帝が眠っているそうだ。

採光も考えられており四方の上部に開けられた窓から、
季節によって角度を変えて陽が差し込む。

アクバルの墓の左側の部屋には家族の墓がある。


そのまた左側の部屋には棺が一つ。

裏側に回ってみた。

 

観光客はかなり少なく孔雀や鹿の方が多い。
空いてていいっ!いちゃいちゃしてるカップルはいたけど。


これは通路の端にあった穴。
ここに棒をさしたり紐で何かをくくったのかな。

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【インドの宿泊施設】 ~ ホリデイイン・ホテル ~(アグラ)

2020年02月25日 22時31分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

ホリデイインはイギリスが本拠地で、
世界100ヶ国以上に単会している。
インドでは同系列のクラウンプラザもかなりある。

アグラのホリデイインは市内の北にあり、
タージマハルからは5Km、アグラ城から3Kmほど離れている。

枕が2種類あったのだが、
私には柔らかすぎてよく眠れなかった。

 
当たり外れがあるのかもしれないが、
シャワーのお湯の温度がぬるめだったのと出がイマイチ。
そしてドアの下が密閉されていないので、
隙間からお湯が流れ出た。

 

アメニティは充実していた。
ブランドはバイオティーク。昔、使った事があるけど
私には合わないと思っていたんだけど問題なかった。

 

お茶セットも冷蔵庫も凄く充実、スナックは少ないけど。

使わなかったけど金庫とアイロンとアイロン台まであった。
ここまで揃ってるのは初めてだった。


壁の模様もタージマハルやイスラム建築の透かし窓のような模様。
これには一番感激した。
壁の絵画もそうだけれど徹底して統一されていた。

5階の窓からの風景。

 

朝食は1階奥のカフェでとった。
同行者の希望で6時半に朝のタージマハルを見に行き、
その後でブッフェはインド料理もあったけど、
朝からはツライのでフルーツをパン。
パンもかなり美味しかった。

アグラは国際観光都市なのでホテルは
ゲストハウスから高級ホテルまで揃っている。
あえてこのあ所にあるこのホテルは選ばないと思うが、
ホテルの設備としてはお勧めである。

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ニムラナのレストラン ~ ガンゴール ~

2020年02月18日 22時17分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

ジャイプルからデリーへの帰り道のニムラナにあった、
俗に言うドライブインである。
最近はどこでも道路が良くなっていろんな店が出来てるので、
昔みたいに不自由はしない。
そしてドライブインは土産物を併設していて、
値段もそれなりに高い事も多い。

            

住 所:NH-08, Behror, Neemrana, rajasthan, India
電 話:91-9694225192
予 算:300Rs~

<食したメニュー>

チャイ、ベジパコーラ、ベジチョウメン、玉子チョウメン
合計で900Rs(約1500円)

<店内の雰囲気>

室内と中庭もあり、けっこう広い。
お土産物屋も併設されている。
大体の場合、レストランの奥にトイレがあり、
トイレに行く為にはお土産物屋を通る構造になっている。
必然的に目に入るし、買ってしまうようにできている。

<感想と評価>

チャイはちゃんとカップに入ってきた。

野菜のパコーラ(天ぷら)はロシアンルーレット。
何が入っているかお楽しみ。
唐辛子は抜いてもらっているのでアタリはなし。

左側ベジのチョウメンと玉子のチョウメン。

カレーが続くと厳しいようで・・・
そう言う時にはお助けになるのはチョウメンである。
マサラ(香辛料)が少なめでお腹にやさしい。

 評価は○(ドライブインはこんなもん。)
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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【インドの寺院】 ~ ハルシュッド・マーター寺院~ (アバネリ)

2020年02月17日 22時06分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

アバネリ村にあるチャンドバオリと言う階段井戸には、
数回行った事があるが、その右隣にあった寺院には記憶がなかった。
で、行きがかりの駄賃でいてみたのだが、
ハルシュッド・マーター寺院というらしい。


柵の中に入ってみた。
敷地は広いが建物は小さい。

奥の本殿にシヴァ・リンガがあった。

修復中のようだが、いくつかレリーフがあった。

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【インドの城】 ~ ナハルガル・フォート ~ (ジャイプル)その②

2020年02月16日 22時02分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

ナハルガル・フォートは1734年時のマハラジャ、
ジャイ・シン2世によって建設された。

 

ここから城に内部へ入る。城なので大砲もあった。

 

門をくぐる・・・あれっ?また同じような風景が・・・。

 
宮殿っぽいペイント。象の絵もある。

 


奥の階段で上に登るのだが、階段狭すぎる。


昔のインド人はみんなスマートだったのかな。

最上階はこんな感じでぐるぐる回れる。

 
絶景、絶景、余は満足じゃぞ。

 

360度回ってジャル・マハルを探したのだが、
この城からは見えなかった。

宮殿ではなくやはり砦と言った感じが強い。
もっとも残っている建物がこれだけなのかもしれない。

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【インドの城】 ~ ナハルガル・フォート ~ (ジャイプル)その①

2020年02月15日 22時01分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

ジャイプルには世界遺産のアンベール城と言う有名な城がある。


アンベール城の裏手にはジャイガル要塞、


そしてそのジャイガル要塞の隣にナハルガル・フォートはある。


サンセット・ポイントにもなっているが、
まぁ旅行者は行かないだろうし、私も初めて行った。
入場料は200Rs(約320円)。

 

ここから入って行くと左手にチケット売り場がある。

すると・・・ん?・・・蝋人形館とレストランがある。

そこをさらに進むと右側に展望スポットへの道、
左側に城がある。まずは城以外の部分を記載する。


警官とインド人と猿のグループがベンチで会談中。

 

水の確保は重要。ラジャスタン州を始め
ほとんどの城や宮殿の中には必ず井戸がある。

反省中か?しょぼくれた猿を発見。

サンセット・ポイントと言われるので、
夕暮れ前には人々がやってくるが、
飲酒して暴れたりする輩や飲酒運転も多く、
また道路には照明もあまりないので危ないようで、
真っ暗になる前に帰った方が良いと運転手の忠告だった。

 
ジャイプル市内が一望できる。

レストランは22時まで営業しているので、
ここで夕飯を食べようかとも思っていたのだが、
お腹の減り具合と洋食が食べたいと言う同行者の希望で、
ホテルへ帰る事にしたのだった。

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【インドの宮殿】 ~ ジャル・マハル ~(ジャイプール)

2020年02月14日 22時14分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

ヒンディー語で水の宮殿と言う意味のこの宮殿は、
18世紀にマハラジャ・ジャイ・シン2世によって、
鴨狩りを行う為に建てられた夏用の宮殿である。

このマン・サガール湖は人造湖で23.5㎢。
宮殿はなんと5階建てで、ほとんどが水中にあるらしい。 


対岸にあるトライデント・ホテルに宿泊したのだが、
レイクビューと言えども部屋からはこの程度にしか見えなかった。
仕方なく道路を渡って近くまで行ってみた。

 
朝焼けと湖面に立ち込める水蒸気に浮かぶ神秘的な姿。


アップだとこんな感じ。
屋上が庭園になっている。
なお残念ながら入場はできない。

 

これはやや鮮明な別の時の写真。

アンベール城に向かう途中で立ち寄ると良い。
上部はアンベール城から見た湖の中のジャルマハル。

周辺にはお土産物屋や屋台など出ているので、
ちゃんと値切って買う事。
あまり見かけなくなったコブラ使いがいる事もあるが、
写真を撮る時はお金を支払う。50Rs程度。

 

 

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