2018年の作品、タイトルは「破壊されたホテル」。
2008年11月26日にインドのムンバイで起きた同時多発テロを
題材として観光客の視点から描いたオーストラリアとネパールの合作。
同じ2018年公開のオーストラリア、アメリカ、インドの合作映画
「ホテル・ムンバイ」は、観たが視点が変わるとどうなのか?
と追及してみたい。
残念ながら日本語吹替版だったのでオリジナル版で俳優が、
(たぶんウルドゥー語)何と言っているのか?は判らなかった。
<ストーリー>
インドの春祭りホーリーに興じる人々に混じって旅行者のショーン
(ジョセフ・マーラー・テイラー)が楽しんでいる。
映像はホーリーであるが時期的にディワリであると思われる。
もうこの時点でアウトである。インドの事を全然判って
いない人が創ったとしか思えないのである。
シーンは変わって漁船、ヤーシーン(カビール・シン)が家族と
無線で話をしてるが、指導者にイスラムの戦士であると諭される。
そしてヒンドゥー教徒は侵略者であり聖戦(ジ・ハード)の後は、
勇敢な戦士であったと称えられると洗脳される。
タージ・マハル・ホテル。それぞれの宿泊者の様子が映し出される。
まぁハッキリ言ってしまえば、事件現場に居合わせた人々の
バックグラウンドの詳細説明が長すぎるし必要ないかも。
ショーンはエレベータ内で爆発音を聞き衝撃を受ける。降りた所で
爆発と銃撃に巻き込まれる。ホテル内で事件に巻き込まれた客が
逃げ惑う。「アッラーは偉大なり!」と叫びながら銃撃する犯人に
息をひそめる従業員と客たち。ショーンと生存者は一部屋に集結する。
勇敢な従業員が顧客をまとめキッチンにかくまった事には、
全く触れていなかった。
テロリストの指導者はヤーシーンに携帯電話で指示を与えるが、
事前にホテルの事は把握しているはずだし、装備からしても、
ヤーシーンとアフマドの2人が訓練を受けたプロとは思えない。
居合わせた記者の上司が人命より報道を優先するのも??
おかしいと思うし・・・。顧客同士が大声で言い争ったり、
犯人に居場所や人数を知らせるのもオカシイ。
アフマドはコカインを吸引しホテルの部屋を片っ端から銃撃する。
ヤーシーンは指導者の殺せと言う指令に少し受け戸惑う。
これもどうかな? 指導者の指示は絶対だし洗脳されているから、
戸惑うはずはない。機械的に殺すと思う。
言い争っていた顧客たちに国籍を超えた連帯感が出始め、
切り裂いた布でロープを作り脱出を試みるがテロリストに撃たれ、
絶望感に襲われる。負傷した老婦人が危なくなりショーンは
医者を探すために部屋を出てホテルの従業員に出会う。
若い従業員は職務に忠実で宿泊客を脱出させようと客室を確認して
いたがテロリストがやってきた際、ショーンを助けるために
囮となって飛び出し犠牲になってしまう。負傷した老婦人は翌朝、
朝日を浴びながら天に召されてしまう。
アフマドとヤーシーンは治安部隊を名乗り一部屋ずつ客室を周り
生存者を皆殺しにしていく。銃声が近づいてきて絶望感に包まれる。
息をひそめる宿泊客たちだがテロリストは去って行く。
翌朝、事件が終わったとの情報が入り安堵する宿泊客たち。兄弟喧嘩で
飛び出した兄をショーンが追うがホテル内で多数の死体を目にする。
そしてテロリストに銃口を向けられ兄が射殺されるのを目撃する。
テロリスト達は宿泊客を集め人質にしようとしていた。
ショーンは部屋に戻るがテロリストが先回りしていた。孫娘を
隠した老人が撃たれた後、ショーンの部屋で携帯電話の着信音が・・
そして部屋から出てきた孫娘に気づいたショーンが飛び出し、
撃たれながらもホテルの外まで階段(20階!)を駆け降りる。
が・・・ショーンの身体を貫通した銃弾は孫娘に当たっていた。
事件解決のシーンはなく、ショーンが死んでしまい、
そこで終わってしまう。
君は愛を信じるか? 俺は全てを捧げられる・・・と言う
ナレーションと共にエンディングを迎えるが、
ショーンも助けようとした孫娘も死んでしまっては、
いかんだろ・・・。と思った。
なんだかな、感動しようかと思ったけど裏切られ、
愛は勝つ!でもなく・・・ダメだこりゃ。
どうしても「ホテル・ムンバイ」と比較してしまうのだが、
こちらは全く臨場感が感じられないし全てが何だか白々しい。
ショーンの目線だけではなく様々な客の視線から見過ぎている
のかもしれない。あの状況下で大声で言い争ったりするかな?
しかも事件発生2日後に携帯電話の着信音が鳴るのも・・・
あり得ないな・・・。
中心となる犯人は2名であるが英語を理解しているようで、
やはり事実とかけ離れていると言わざるを得ない。
また緊迫している状況下でカッコつけたり・・・オカシイ。
「ホテル・ムンバイ」が秀逸であっただけに、この作品は、
いただけないと思ってしまった。