2021年のグジャラート語の作品。
私自身インドでもグジャラート語の映画を観た記憶はなく、
本作品が初めてである。私がグジャラート州を旅した印象では、
グジャラート語はヒンディー語に近く、文字も似ている。
この作品は評判が良いのだが、残念ながら・・・
インドに12年間在住した私の目から見たれば、
そりゃないなぁと思うところは多かった。
インドを知らない人であれば何の違和感なく見れるだろう。
一緒に観た私以上のインド映画通のコメントは、
私以上に辛辣だった事を付け加えておく。
<ストーリー>
西インド・グジャラート州の村に住む9歳のサマイ
(バヴィン・ラバリ)の家は貧しく、父親は小さなチャララと言う
鉄道駅でチャイを売って生計を立てていた。ある日、サマイは、
父親に連れて行かれた映画館でヒンドゥー教の神様の映画を観る。
サマイはすっかり映画に魅了され、学校に行かず、
映画館へ忍び込むようになる。そこで映写技師のファザル
(バヴェーシュ・シュリマリ)に母親の手作り弁当と引き換えに、
映写室から映画を観る取引を持ち掛けられOKする。
サマイが映画創りや撮影に興味を持ったのかと思いきや、
どうもフィルムが光を透してスクリーンに映し出される過程に
興味を持ったらしい。(なんか違うなと言う印象。)
サマイは村を出て都会に行き勉強をしたいと父親に話すが、
最上位カーストである父親は映画など低俗だと叱る。
サマイは学校の友達たちと一緒に運搬されるフィルムを盗み
廃材を拾ったりして独自の方法で映写を試みる。
友人が激怒したのは、自分の夢を叶えるために、
盗みを働いたと言うくだり。しかも学友達を巻き込むとは、
相当な悪人である、子供のいたずらでは済まされない。と。
私もそこは同感で犯罪者を夢追い人に仕立て上げ、
この映画を良い作品とするのはいかがなものか?と思う。
小さな町の映画館でもフィルム映写ではなく、
デジタル化が進みファザルは解雇されてしまう。
サマイの友達の父親が駅長であったためサマイはファザルに
駅の荷物運び(ポーター)の仕事を紹介する。
サマイがフィルムを盗んだ事が警察に見つかり、
サマイは少年院に入れられる。家に戻ったたサマイは、
友達たちと一緒に盗んだフィルムを様々な効果音を使って、
上映してみせる。それを見た父親はサマイを都市に住む
友人の元へ送る。
結果、ハッピーエンドなのであるが・・・。
まず! チャイ売りは貧乏である。
1杯10ルピー(約17円)で小さな鉄道駅で1日に売れる数は、
知れている。どう考えても100杯は売れまい。
多くて1000ルピーの売上げで、材料費を引けば知れている。
サマイの家は父親、母親と妹の4人家族である。
農村だから母親は農作業をしているかもしれないが・・・。
(シーンはなかったけど。)汚れてないしなぁ。
これがキッチンであるが、プラスチックかガラスの瓶が見える。
都会ならいざ知らず農村にこんなお洒落な容器はない。
そして下がサマイの母親が料理を作っている所だ。
何度も言うが名前も知らないような農村である。
一般家庭で使っている調理器具ではないし、
こんなスパイス入れも観た事がない。
使い込まれている様子もないし・・・・。
それからチャイ屋の収入であれば、
こんなに多くの食材は買えない。
せいぜい実の少ないスープ状のカレー汁であろう。
2019年と言えばわずか3年前である。
相当な田舎でもフィルムによる上映は、
時代錯誤な気がする。
まぁこのくらいにしておくが・・・
映画にリアリティは必要だろうか?
この作品内でファザルの台詞に、
「映画なんて嘘の世界だ。」のような言葉があった。
だからいいのか・・・・。
映画館で初日にもらった特典はチャイだった。