原作はピューリッツアー賞受賞の
ジュンパ・ラヒリの小説『The Namesake』 。
監督はミーラー・ナーイル。インドで有名な女性監督だそうだ。
インドからアメリカに移住したインド人夫婦。
夫アショーク(イルファン・カーン)は、
アメリカ生活に慣れていたが、
インドしか知らない妻アシマ(タッブー)は、
不安を抱えながらも暮らしていく。
やがて息子(カール・ペン)と娘(ヒラー・ナーイル)が生まれる。
アショークは息子にゴーゴリと言うロシア文豪の名前をつける。
これは自らが列車事故に遭遇した場面で、
九死に一生を得ることになった奇跡の名前だった。
しかし息子が成長するにしたがって、
変人の作家の名前が重くのしかかり改名を望む。
インド生まれでインド育ちの両親と、
アメリカ生まれでアメリカ育ちの子供たちは全く違った。
見かけはインド人だが中身はアメリカ人のように思えたが、
しかしだんだんと自分がインド人である事を、
思い出していくようなシーンも各所にあった。
やがて二人の子供が親元を離れ大学に通うようになった頃、
夫は単身赴任することになる。父親との別れの日、
ゴーゴリはアメリカ人のGFを伴って帰宅する。
このGFが全くのKY(空気読めない)女で、
スキンシップは慎むようにとクギを刺されていたにもかかわらず、
ハグしてキスの挨拶をしたりする。
またインド人の両親をファーストネームで呼ぶシーンには、
私でさえも違和感を覚えた。初対面の恋人の両親、
目上の人に向かって呼び捨てとは・・・・あり得ない。
アメリカはこう言う国なのか?
そして父親は息子に初めて名前の由来について語る。
その名前の重さについて知ったゴーゴリの心に、
父親の思いの深さが浸み込む。
単身赴任したアショークは、心臓発作で急死。
その葬儀に頭を丸めてインド人の長男らしく振舞うゴーゴリ。
アメリカ人のGFは黒装束で参列し、
こともあろうか葬儀の当日にゴーゴリを旅行に誘う。
あり得ない・・・。
黒装束で参列したことは仕方ないとしても、
(インドでは通常白装束。)
もっと自分の恋人の気持ちを思いやったり、
相手の祖国について考えるべきである。
結局二人は別れ、ゴーゴリは幼馴染のインド人女性と結婚する。
最終的にはこの女性にもフランス人の愛人がいて(
絶句)、
結婚は不幸な結果にはなるのだが、
ゴーゴリは「今まで経験した事のないほど自由になれた。」
と母親に語りアンハッピーエンドにはならない。
この映画ラブシーンにはドッキリしてしまった。
今までのインド映画にないほど濃密。
(とは言っても、ディープキスと肌を露にしたカラミのシーン。)
今までのインド映画にないほどの露出。
(とは言っても、脚部分の露出、後姿のヌード程度。)
やっぱり・・・インド本国ではカットかなぁ~。
それにしても、タッブーが演じたアシマは、
10代後半~40代半ばだったが、ちと無理があったなぁ・・。
それからインドの映像でタージマハルの偉大さと美しさに、
再び訪れたいと言う気持ちになった。(じ~ん)