雀の手箱

折々の記録と墨彩画

小さな旅

2016年10月14日 | 雀の足跡



 一日中こまごまと片付けに精を出し、私に代わって夫の見守りや世話をしてくれる娘へのプレゼントに、北九州工場群の夜景見物のツアーを選びました。
 一泊二日の夫のショートステイの日程とちょうど時間帯が合うのが一番の選択理由ですが、かねて学生時代に東京から帰省するとき美しいと眺めていた北九州の工場夜景が今では電車から眺めることができなくなったと嘆いていたのを思い出し、ささやかな感謝の気持ちで懐古の時をプレゼントすることにしました。

 バスツアーは初体験の娘がどういう反応をするかと思っていましたが、親子での半日の二人旅を結構楽しんでくれました。
 小倉駅に2時集合、TOTOのミユージアム見学が最初で、そのあと門司の麦酒煉瓦館とまわり、ARK門司で夕食。戸畑港からのチャーター船の乗船は18時45分で、1時間ほどの洞海湾岸のクルーズです。

 洞海湾は波も静かで見慣れた風景も海上からだと一味違った眺めとなり、昼間の物音がなくなっていて、夜のとばりが薄汚れたものを包み込んでしまっているので幻想的な風景へと変貌しています。若戸大橋を真下から見上げるのも珍しい眺めでした。





工場夜景の映像は、上は東洋カーボン九州若松工場、下は三菱化学黒崎事業所、私のカメラでは撮影できず、いずれもツアーのチラシよりお借りしました。










門司赤煉瓦プレイスの門司麦酒煉瓦館、館内のポスターなど。





TOTOミュージアムでは変遷したトイレの歴史や水洗金具、洋食器などの展示が昔をなつかしく思い出させました。

三年ぶりの九州国立博物館

2016年06月11日 | 雀の足跡


 テレビや新聞で、宣伝が行き届いていたので、兵馬俑展は、会期も終了間際だし、相当な混雑と覚悟して、博多駅に隣接のバスセンターから直行バスで太宰府に向かいました。
「始皇帝と大兵馬俑展」を目指す人でバスも満席でしたが、会場は予想ほどでもなく、修学旅行中の学生の姿も見えました。

 2013年の「尾張徳川の至宝」展以来、私には三年ぶりの九国博です。自分の車ではなくて九国博に行くのは初めてでしたが、駐車渋滞とも無縁でイライラもなく快適でした。 

 太宰府は子供の時以来という娘と天満宮境内を抜けて、虹の歩道のエスカレーターを案内して会場へ向かいました。
 途中の菖蒲園の菖蒲も盛りの時で、こちら目当ての人もいて、平日なのにかなりの人出でした。イベントが催されていると見え鳥居にはアジサイの下げもんが吊り下げられていました。











 兵馬俑展は、万里の長城を造営した人らしく、自分の死後も8000人の兵士にその陵墓を警護をさせ、生前の生活に劣らない暮らしを願ったようです。その夢は、沈む夕日を招き返そうとした我が国の権力者とは、スケールを異にした壮大で虚しく悲しさを伴う夢の展開でした。

 よく知られるように、一人一人の等身大の人物像はその特徴を精密に写し、指の先まで神経の届いた作りです。髷や冠、そして表情の違いでその役割や階級まで想像でき、今にも動き出しそうな迫力でした。
 何度か眼にしていたレプリカの兵士にも驚いていましたが、会場で間近に目にする実物は迫力が違いました。見えないところまで精密に写し取られています。当初は彩色が施されていたのだとか。
 1974年に偶然農夫に発見されるまでの2000年を超える土中にあって、さすがに今は色彩は見当たりません。

 歴史の時間に学んだ始皇帝では、思想の統一や、焚書坑儒の断行などのマイナス面を思い出させましたが、その一方、度量衡、文字、貨幣の共通化、道路の整備、そしてL字型の水道管などを目のあたりにすると、我が国の弥生時代の文化水準と思い合わせて、一般民衆にとっては功罪どちらの比重が重かったのか考えさせられました。

 会場は工夫されていて、緩やかなスローブの壇上から、広く兵馬俑坑を見下ろすかのような臨場感も感じられる構造になっていました。
 修学旅行生のためには、世界史的な年表や、関連する個々の事績が比較できるようなパネルでもあると、興味も増しただろうと思いました。











   正確な二分の一サイズに縮小された四頭立ての2両の彩色銅車馬

兵馬俑展の画像は、九州国立博物館より提供を受けたものです。








久しぶりの博多

2016年06月10日 | 雀の足跡
 今月の娘の帰省は9日で木曜日、丁度夫はショートステイに出かける日なので、用が片付き次第、なるべく早い便で福岡に着くようにするので、博多にホテルを取っておくから合流しようという連絡がありました。久しぶりの博多に大喜びで同意しました。
、自分一人だと泊まらないホテルを予約したというので、それにも期待しました。

 雨も上がってくれたので、少しだけお洒落を決め込んで、うきうきと出かけたことです。
 JRでの博多行きは5年ぶりで、沿線の風景が、高層マンションの増加で見違えるようでした。水の張られた田に赤い屋根やモダンな建物が姿を映しているところもあって、一種異様な取り合わせと眺めていました。

 利久のタン定食の昼食を一人で楽しんだ後、ハンズで日用雑貨の買い物をして、駅から見えていたロイヤルパークホテル博多まで5分ほど歩きました。
 ホテルはパリのホテルによく似ていて、予約されていた7階のレディース・フロアはセキュリティーも万全で、清潔そのもの。トイレと風呂も分割され、広い浴室のシャワーもヨーロッパ風。ベットで横になっているうちに眠り込んでしまい、到着した娘に起こされました。
 朝食だけしかついていないので、夜の博多を二人でぶらぶらして、ディーナーも駅の9階のレストラン街で心いくまでご馳走になりました。朝食も料金に見合って、食材が豊かでゆっくりできました。日ごろの父親の介護への慰労会だそうです。

 この小旅行にはもう一つサブライズがついていて、翌日は、疲れが残っていないなら、大宰府の九国博で開催中の兵馬俑展を見にゆかないかという誘いでした。博多駅から直行のバスが出ているからということで,自分の車でしか行ったことのない九博に、バスに任せて、駐車渋滞とは無関係で兵馬俑を見に行くことになりました。








外出

2016年04月24日 | 雀の足跡




 パレス穴生を退所して以来、家にいるときはほぼ毎日どなたかの支援を受けているので、、外出もままならなくなっています。
 日曜日の今日は貴重な空白日ですから、娘が東京に帰る前、屈強な介助者がいるときに、どこか近くで昼食をということになり、病院帰りによく立ち寄っていた「みくにや」に行きました。玄海のお魚が食べられる和食のお店です。
 久しぶりにとりどりのお刺身の外食を堪能し、お天気もいいから疲れてなかったらドライブでもと誘って、娘が好きな芦屋の海でも見に行こうかとなりました。途中本屋に寄ってみたいというので積文館に車を入れましたが、好きな本も長くは駄目のようで、すぐ車に戻りました。
 道中の産業医大のツツジの植え込みが満開で、見事な眺めを車中から愉しみました。娘には、サイクリングロードの下見もある筈だったので、なるべく平坦で走りやすそうなコースを通って行きました。

 生まれ育った山鹿の海岸はいつ来ても懐かしいようで、私たちの散策の間も車中で退屈もせずゆっくりしていました。

 岡湊神社の「なんじゃもんじゃの木」も今が満開で、初めて目にする娘も喜んでいました。本当は浄光寺の藤を見に宗像までゆきたかったのですが、2時間のドライブが精いっぱいのようでした。









文楽鑑賞

2016年03月08日 | 雀の足跡


 6日の日曜日は恒例の年1回の文楽公演に、戸畑市民会館まで出かけることができました。
 この会場は駅に隣接しているので便利です。
 今年の昼の部の演目は「団子売」と「心中天の網島」です。

 団子売りは初めて見る舞台でしたが、杵で突くしぐさや女房のかいがいしく、たおやかな姿に見とれました。動きの速い15分の人形の仕草はあっという間でした。



 天の網島は、現代では理解しがたい女同士の義理にせかれて心中にまで展開するというストーリーですが、人形振りで見ると、そうした無理もさておいて美しく義太夫の語りとともに引き込まれていきます。

 引退した竹本住大夫(人間国宝)に代わる若手中心の床も新鮮で力強く、楽しめました。

 今年会場入り口で出迎えてくれたのは、「釣女」の人形でした。ささやかな寄付に丁寧な仕草でお礼のご挨拶にも恐縮しました。





           天の網島 人形 紙屋治兵衛 吉田玉男(吉田玉女改め)

あしや砂像展

2015年11月09日 | 雀の足跡
 



 日曜日の8日は、菩提寺のお十夜法要に行ってきました。
 お寺から遠賀川にかかる新しい橋,「なみかけ大橋」を渡ったすぐ近くで砂像展が開かれていたので帰りに立ち寄りました。
 夏には海水浴客でにぎわうウォータースライダーや流水プールのある海浜公園の一角が会場です。

 今年は明治日本の産業革命遺産群が世界遺産に登録されたこともあって、テーマが「産業革命」に設定されていました。例年のようなきらびやかな目を惹く構造物はなくて、イギリスを中心に始まった世界の産業革命の様子が表現されていました。
 日本の産業革命の部では、三池炭鉱、炭鉱労働者、地元の官営八幡製鉄所の遠賀川水源地ポンプ場と八幡製鉄所など。
 世界の産業革命の部は、海外からの製作者による紡績工場や、ロンドンの当時の風景など。異色は、テムズ川の汚染と貧困層がシンガポールの作家によって表現されていました。
 一時中断していた芦屋の砂像展が参加数も増え、近年盛んになってきました


会場の海浜公園


会場風景
















岩屋の宿

2015年10月24日 | 雀の足跡


 空きが出たらとお願いしていた特別室が取れたので、車いすも予約して、娘と一緒に三人で出かけました。
 自宅から15分と掛からない北九州かんぽの宿です。響灘を見晴らす眺めが大きくて、夕日が海に沈むのがいいのと、夫の好物の伊勢海老が出るコースがあるので選択しました。
 もう遠距離の移動は困難です。何度も出かけているのですが、今回が最後かなとおもうと格別で、少し贅沢をしました。
 疲れたからという夫をリビングのソファーに残し宿から少し下った遠見が鼻の灯台まで散策しました。ここの天然温泉は塩気があって傷ややけどに効能が顕著だとかで遠くから来る人もあるようです。





































今年の花菖蒲

2015年06月03日 | 雀の足跡



   三年前にお詣りして以来ご無沙汰の宮地嶽神社に参詣しました。

 東京から娘が手伝いに帰省していて、幼い日の記憶しかないというので、丁度、菖蒲祭りの期間中だし、驚かしてやるつもりでした。本殿前の広い境内いっぱいに移された江戸花菖蒲が華やかな雰囲気をかもしだし、平日なのにかなりな人出で駐車場もいっぱいでした。
 朝、九州地方は梅雨入りの宣言が出て、天気予報も午後から雨というので、リハビリのデイケーヤーの迎えを見送ってすぐに出発し、曇り空のもと海岸線の遠回りのコースを辿りました。

 参詣の後は私のお目当ての菖蒲園へ廻りました。今が満開の花菖蒲は100万本と言われるだけに多種多用の艶姿で、菖蒲園の中央を区切る八つ橋には和服姿の若い人も写真撮影に余念がありませんでした。

 古民家園の合掌造りは1棟は屋根にも破れがみられ、軒先の線もみだれがあり、縄張りがしてありました。驚くと思っていた菖蒲園は、花菖蒲の本場のお江戸で、花菖蒲を見ているので、規模が小さいと言われてしまいました。

 帰途、道の駅「むなかた」に立ち寄り、船釣りの鯛と日ラス、海藻の「あかもく」などを購入し、少し遅い昼食を、割烹旅館の花わらびで、玄海いかの活き作りで贅沢をして、予報通りに降り出した雨の中を山越えで帰宅しました。



















櫻によせて

2015年04月05日 | 雀の足跡
 古人も「絶えて櫻のなかりせば 春の心はのどけからまし」と屈折した桜への思いを述懐していました。花の命は短くて「花に嵐」のたとえ通り、今日は激しい雨模様となり、開花予報以来、何かと気をもませていた満開の花は地にたたかれています。皆既月蝕も見ることはできませんでした。

 二日の木曜日、主人の体調がよく、天気ものどかに晴れていましたので、成田山にお花見に出かけました。
 まさに花盛りのこの日、三里松原から玄界灘を望むお寺も賑わっていました。










 下の三枚は、所用で中間市役所まで出かけたついでに、春雨にけぶる埴生公園でほとんど人気もなく満開の桜を独占してきました。桜の好きなブラジルの友人のための恰好のスナップが撮れました。

 満開の桜がもたらす神秘的なまでの美しさは、一種の不穏な幻想を呼びおこします。謡曲の「西行桜」の老桜の精の翁も出て来そうで、ふと、梶井基次郎のように「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と思いたくなりそうなひと時でした。







時雨の日のつれづれに

2014年12月03日 | 雀の足跡


 師走に入って以来、時雨の日が続いていますが、今日は霰交じりの氷雨も降っていよいよ冬将軍のお出ましです。 
 手指の具合がだいぶ良くなってきたので、またやりたかったことを始めています。
 必要に迫られてのミシン仕事や、繊細な表現の絵などなどです。

 今日は山帰来に赤い実がついていたので切りとってきて、備前の鶴首に入れて写生しました。昔から毒消しとして知られていますが、試した人はいるのでしょうか。俳句では山帰来の花が春の季語のようです。淡い黄緑色の花をつけます。

 カレンダーも最後の一枚となり、空調の風に揺れる姿に過ぎゆく年の哀愁を見ています。
 今年は1月早々から、眼の2回の手術で入院を体験し、身に迫った「老い」を突き付けられた年でした。










山帰来はサルトリイバラのことで当地では5月の節句のころ、ガメギノ葉と呼んで、柏餅の柏の葉の代わりに使用します。