雀の手箱

折々の記録と墨彩画

旅のかたみに

2014年11月21日 | 雀の足跡
今回の旅を記念してアルバムに残しました。その中のメモリーです。愉しかった団欒風景は、人物像が多くて憚りがありUPできないので、思い出に残る風物をブログにも残します。

 部屋の窓から眺めたスカイツリーの一日の変貌する姿。東京博物館の「国宝展」。浅草寺の朝詣り。改装なった羽田空港の中の小さな美術館の催し。4日間、毎日のホテルレストランでの食事などなどです。ただ、場所柄もあり。写真を撮るのを遠慮したので控えめです。

 計画されていたのは、到着の日は休息。ホテルのレストランで夕食。2日目の日曜日は朝はホテルで静かな和食レストラン「歌留多」。昼食は歩いて数分の「今半」。夜はホテルの最上階27階の「唐紅花」で中華料理でお祝いの席。3日目と、4日目は、名高いこのホテルの朝食バイキング。昼食と夕食は は外出先で。となっていたみたいですが、予定の、歌舞伎見物も、夜のツリーから夜景を眺めるというのも、疲れたからというのでキャンセル。車いすで久しぶりに浅草寺の朝詣りをして、「蕎麦」をいただいてきました。
 夜も、「あなただけでも出かけたら」と勧められましたが、またの機会に取っておくことにして部屋で過ごしました。最後の日の夕食はまた和食の「歌留多」の懐石になりました。






至福のとき

2014年11月20日 | 雀の足跡
 今回の旅の思い立ちは、あるじには初めてのひ孫の誕生に、命あるうちに会っておきたいという目的があり、娘や孫たちには祖父90歳の卒寿を祝って、この旅をプレゼントするという心づもりがあったようです。
 一切の経費を、私たちには支払させず、移動はすべてタクシー利用でした。あるじのための車いすの予約も手配してあり、万事がスムーズに運びました。羽田空港から、ホテルまでシャトルバスが出ているようでしたが、待ち時間や、シートの座り心地もあるからと、タクシーで45分のドライブでした。小春日和の高速道を走りながら、2年前の結婚式以来の東京が、空港はじめ、さらに進化を続けている姿にただ驚いていました。



 予約されていたのは「浅草ビューホテル」のエグゼクティブフロア、24階です。部屋に入って驚いたのは、ベランダ風の張り出しは、床から天井までのガラス窓で、その中心にスカイツリーがでんとそそり立っていました。広々とした和洋室は「ご対面」のひ孫が自由に動けるようにとの心配りもあったようです。



 食事も到着の日は、疲れているだろうから、静かな処がいいのではと、二人だけでホテル内の和食レストラン「歌留多]が予約されていました。次の日曜日、娘に夫の世話を任せて、午後の会合まで、一人で出かけることにしました。
 上野の東京国立博物館で「国宝展」が開催中なので短時間の見学には、近くて丁度いいかと出かけてきました。
 期待は外れましたが、それでもすべてが国宝。テーマを―祈り、信じる力― に絞ってあるだけに仏画、仏像などを中心に、展開されていました。法隆寺や奈良の寺々でお目にかかったことのあるものもたくさんでしたが、そのなかでは、初めて目にした土偶の逞しい生命感と、善財童子立像の動きのある愛らしさにひかれました。宗像大社、沖ノ島の神に奉げられた神宝にも再会しました。最終室では「卯花堵」「大井戸茶碗」にも対面しました。
  気もそぞろで、午後からの初お目見えに備え早々に東博を引き揚げタクシーでホテルに戻りました。

 無垢な幼子の元気あふれる動きに眼を奪われ、パワーをもらったことでした。さながら撮影会の趣でしたが、幸いご機嫌も上々で、泣き声一つ立てず、人見知りもなく、つぶらな瞳をいっぱいに開いて愛嬌を振りまいてくれました。

 この日の夕食はホテル内の最上階27階のレストラン「唐紅花」で、中華料理のご馳走でした。北京ダック。上海蟹と、滅多に口にしない珍味を堪能しました.
日曜日のツリーは、照明も赤で華やいでいました。


本日の真打










地域の秋祭り

2014年10月19日 | 雀の足跡
 あまりの好天に、居眠りばかりの夫を誘って、金山川のコスモスを見に出かけました。
 今日は日曜日で思いがけずコスモス祭りが開催されていました。午後も3時近くで人出も減ってはいましたが、それでもいつもとは違って賑わいを見せていました。
 桜の季節と、コスモスの季節にボランティアの方たちが丹精された花が見られます。川には屋形船が浮かび、カヌーの講習も行われていました。
テントの屋台はそろそろ片付けの時間で棚は空になっているものばかりでした。















 先週は、ぜひ見たいというブラジルからの来訪者と一緒に、一駅隣りの長崎街道の宿場としてかつて賑わった黒崎まで、秋の宿場祭りにも出かけました。その折のスナップです。
 大河ドラマ「官兵衛」の放映中とあって、例年の呼び物の黒田二十四騎も今年は元気があったようです。




会場の曲里の松並木 わずかに宿場の名残りをとどめています。



ステージに勢ぞろいした黒田二十四騎






見物の犬も侍のコスチュームです。


補注
長崎街道は小倉から長崎まで57里(約223.8km)あり、25の宿場が置かれていました。
江戸時代、日本で唯一、海外と交易を行っていた長崎から異国の文化や技術を伝える街道として重視されていました。
諸大名の参勤交代、長崎奉行やオランダ人の江戸往来に利用されただけでなく、多くの偉人や象などの動物も通ったと言われています。
祭りのテントで日ごろの姿が判然としないので、トップの写真と共にNHK北九州「ふるさと探訪」よりお借りしました。

有田やきもの紀行 その2

2014年10月12日 | 雀の足跡







 次の日9日も、汗ばむほどの好天にめぐまれ、有田を目指しました。ここでは陶器市などの時は大変な人出となるのですが、イベントの無い時は町じゅうひっそりと静まっています。

 一目瞭然で「有田」を効率よく理解できるという弟の推薦で、九州陶磁文化館に行きました。
 特別企画展「白き黄金」―有田・伊万里・武雄。嬉野の陶器の美と技―が開催されていて、海外からの見学者のグループも来館されていました。
ここには私の好きな柴田夫妻コレクションが展示されています。寄贈された江戸時代の有田磁器の変遷の歴史も学べます。(およそ1000点)
ここ九州陶磁文化館は、今もすべてが無料でした。

 帰途は伊万里を経由して、唐津から虹の松原を通って博多を経て帰りました。2時間半の行程です。




古い窯跡から発掘された陶片



輸出用に焼かれた装飾用の焼き物



技法の解説板の一部



からくり時計1時間ごとに開いてオルゴールが鳴り人形が現れる



開いた時計

有田やきもの紀行

2014年10月11日 | 雀の足跡
 ブラジルからの賑やかな来訪者と一緒に嬉野温泉に1泊で出かけました。「有田」を見たいというので近くの温泉をと選択したものです。
弟が運転する車で5人の賑やかな旅でした。


 





 まずは波佐見焼を見学。窯の歴史を知るには最適の、野外博物館「世界の窯広場」を推薦し、古代から近世に至る12基を山上の野焼き窯はじめ、東洋、オリエント、ヨーロッパと時代と共に下がって配置されているので、ここ波佐見での見所です。何度か見学しているので私たち二人は、公園内の陶芸の館「くらわん館」で資料を見たり、作家の作品や、展示即売の品定めをしていました。

 慌ただしく過ごしていて、私はこの日8日が皆既月食というのを気づいていませんでした。最上階の特別室は角部屋で、中にリビングを挟んで二部屋ありました。起居に問題がある私たちがベッドの部屋で、弟たちが畳敷きの部屋となりました。
 180度の展望の中で、刻々に変貌する月の姿を楽しむことができました。雲一つない晴天の天体ショーのおまけつきで、赤黒い月を初めて見たことです。





はじめての露天風呂の小さな滝に大喜びでした。



有田焼のランプスタンド。




轟の滝 国道沿いのこの滝は高さ11メートルの三段式。滝壺面積2500平方センチメートル。奈良時代から存在が知られる。(案内板)









柳井の金魚ちょうちん

2014年07月24日 | 雀の足跡
 長かった梅雨がやっとあけたと思ったら、連日30度を超える暑さで、変化に対応できかねています。皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

 のどかな柳井の金魚ちょうちんで、しばしの涼を感じていただければと思っています。





 最後に柳井を訪れたのはもう十数年も前になるでしょうか。
 軒端に揺れる金魚ちょうちんの、愛らしくも少しとぼけた姿が気に入って、土産に買い求めてきました。夏になると窓際でのんびりと揺れて、涼を運んでくれます。我が家の定番で、冬のリビングにはお隣の下関の河豚提灯が登場しています。

 柳井は江戸期には「岩国藩の御納戸」とよばれ、商業都市としての賑わいがあったところと聞いていますが、今は駅近くの古市,金屋地区に商家の白壁の街並みが残るひっそりと静かな町です。(国の伝統的建造物群保存地区)八月には「金魚ちょうちん祭り」で賑わうようです。町中に明かりが入った提灯が揺れる風景を見てみたいものです。







「魯山人の宇宙」展

2014年06月28日 | 雀の足跡





 梅雨の晴れ間、久しぶりに会期終了間際の魯山人展に出かけました。病院通いで日が過ぎてゆく中、少しだけの遠出はいい気分転換になりました。珍しく夫からの誘いで、重い腰を上げての北九州市立美術館行きでした。

 ただ、展示されているものが、今までに観たいろいろな「魯山人展」と比べて、作品がお行儀のいい小ぶりなものばかりで、特徴の奔放さや、思いっきりのいい野性味のあるものが少なく物足りなく感じました。地元の田川美術館や、世田谷美術館などで見たものとは格段に見劣りし、魯山人は、もっと力強いスケールの大きい人だったと思ったことでした。こうした勝手な感想は、期待していただけに物足りなかったのかもしれません。
 魯山人語録の小さなパネル展示が、その人となりを彷彿させていました。

「宇宙」と銘打つにはいささか領域も狭く、漆の食器や、書家としての魯山人の看板の揮毫、篆刻などは見当たらず、早々に引き揚げることにし、帰途、いつものコースで、「魚蔵」でゆっくり昼食を愉しみました。



模索

2014年04月27日 | 雀の足跡
 まだ納得できずにバラを追っています。
 何かに気を取られていると、それだけで、他を失念してしまいます。物忘れがひどくなって、ブログもUPしたつもりが下書きのままで投稿して日数が経っていたり、約束の日時を間違えて思い込んでいて迷惑を掛けたりと散々です。

 これは、そうした日々の中での作品?です。老耄を嘆いてもはじまらないので開き直って、あるがままとまいります。



















桜探訪

2014年03月28日 | 雀の足跡
 北九州市内の、それも自宅から20キロあまりの範囲での身近な桜紀行です。

 本日午後、もう見納めになるかもしれないから、小倉城の桜を見ておきたいとのたまう心細げな夫の希望を容れて、20℃を超えて車内では汗ばむほどの陽気の中を一路小倉城を目指しました。
 平日ながら、満開の情報が新聞にも出ていたので、かなりの人出でした。ただ、ブルーの場所確保のための花見シートはまだちらほらで、明日の土曜日曜あたりは、大変な混み合いになることでしょう。

 松本清張記念館の駐車場に車をいれ、城内へと進みました。お城の天守閣が見えるところまで200メートル足らず歩いたところで、もうこの辺りでいいというので、石垣のへりに腰を下ろしてサクラの海を眺めていました。

 帰路は北九州美術館から、荒生田の高見神社へ抜ける桜並木を車中から眺め、どこも桜、さくら、サクラの山手通りのコースを国際道路へと桜並木の中を通って帰宅しました。

 思い返せば、転倒、骨折の始まりは昨年の、一人で出かけた小倉城の花見の帰り道からが始まりでした。今年90歳。気心の知れた親しい友人たちは次々に他界して、小倉に出かけても立ち寄りするよすがもないのを気の毒に思っての道行でした。共通の今は亡き友人知人の思い出話を交わしながら、早々と引き返したことです。



久しぶりの例会

2014年03月14日 | 雀の足跡
 このところの穏やかな陽気に、躊躇っていた例会に出席する気になり、車で迎えに行くからというTさんの誘いに便乗しました。

 皆さんの歓声に迎えられて、賑やかな会になりましたい、
 今日は口を慎んで、ひたすら久しぶりの感触を楽しんで筆を運んでいましたが、丸2ヶ月遠ざかっていた絵は、どこかぎこちなく迷いがそのまま出ていました。
 仲間とはありがたいもので、控えめな線がいつもとは違って愛らしいなどと煽てられてしまいました。そのうち慣れてくることでしょう。

 紙と水の相性にも戸惑いがありましたが、無理やり絵にしてみました。これで、吹っ切れたみたいです。
 記念にUPしておきます。